東日本大震災 DMAT活動報告
有村副院長DMAT活動報告 | ||
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診療部 山口麻酔科部長DMAT活動報告 | ||
福岡空港参集の指示があったため、我々は病院の救急車で陸路福岡に向かった。早着隊は既に自衛隊機で現地に向かった後であった。その後は、自衛隊機数自体が災害支援などの関係で絶対的不足となったため、我々は福岡空港待機の上、広域搬送で現地から来るであろう重症患者の対応を待つこととなった。しかし、今回の未曾有の大災害は、我々の想像を絶する惨状であり、現地からの情報では、津波による溺死体か、健常人かのどちらかしかいない…というものであった。広域搬送の基点は他にも、羽田、伊丹、新千歳にも設けられたが、いずれの基点にも搬送に値する患者はなく、結局我々は13日の午前に撤退の決断をすることとなった。 今回の出動に当たり、反省点として、大災害発生時に病院で院長召集の会議を持ち、参集指示があった際の隊の運用とその間の病院体制などについて話を持つべきではなかったかと思う。またDMAT自体の認識が当院ではクローズな感があり、院内で盛り上げる努力を怠ってきたことも事実である。我々も病院を代表して出動するという誇りを持ちたいと思っている。 資機材については、救急車のスペース上かなりの制約があることがわかった。災害拠点病院という性格上、病院の救急車もこのような災害支援にも十分対応できるものに更新する必要がある。 いろいろ反省点の多かった今回のDMAT出動であったが、訓練を重ねて今後に生かしていきたいと思う。 |
看護部 中馬副看護部長DMAT活動報告 | ||
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看護部 川畑主査DMAT活動報告 | ||
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看護部 池田看護師DMAT活動報告 | ||
福岡空港に到着すると、先に到着した九州各県のDMAT隊が待機していた。私たちは広域医療搬送に対して準備を行うよう指示され、SCU(Staging Care Unit)を立ち上げることとなった。自衛隊基地でSCUを立ち上げることひとつをとっても、立ち上げる場所の確保から許可をとるのに時間がかかった。今回は福岡までの広域医療搬送はなく、次の日に解散となったが実際に現場へ救護に行くとなると、さらに予想もしない、研修ではスムーズに行くと考えられたことがうまく出来なくなるということを体験した。 日頃より情報収集を行い、どのようなことにも対応できるよう心の準備をし、また研修で学んだことをいつでも実践できるよう心がけていかなければいけないと再確認した。今後はDMAT隊員として自覚を持ち活躍できるようにしていきたい。 |
薬剤部 高橋薬剤師DMAT活動報告 | ||
平成23年1月23日、DMATになるためのトレーニングを受け,DMAT隊員業務調整員(ロジステック;以下ロジ)になりました。研修後は、いつ起こるかわからない災害に対して、日々の訓練がとても重要であることを再確認しました。また、3月12日は、いざ出動になりましたが、情報の収集、EMISの入力で自分自身のトレーニング不足と知識不足を実感する事になりました。 ロジの役割の中で重要である仕事の一つに、情報の収集や情報の共有があり、今後、いざと言う時に役に立てるように、日々、訓練したいと思います。 |
診療支援部 前野リハビリテーション室主任DMAT活動報告 | ||
業務調整員として私の活動は、他の業務調整員と常に、現場状況、DMAT活動状況など必要な情報をPCで取り寄せ、医師、看護師に情報共有してもらうことでした。福岡空港での活動はSCUの準備と自衛隊内での待機となりましたが、その中で多くの反省点があがりました。DMATが出動するまでの病院体制、チームの連絡体制、準備のチェックリストなどです。今後、いつ出動要請があっても十分な態勢で、常に万全の出動ができるように改善して、訓練を重ねて行きたいと思います。 |
事務部 東総務課主任DMAT活動報告 | ||
今回、8人で出動しており、業務調整員は3人とも出動したが、待機だけだったとはいえ、業務調整員が3人いてよかったと思う。 自分は、福岡での統括DMATや、自院の事務部長、総務課長との連絡調整、金銭管理に徹することができ、他の業務調整員がパソコンでのDMAT管理メニューの更新を行うなど、役割分担できた。仮に、2チーム目がいなかったら、業務調整員としての業務を1人で遂行しなければならず、これに実働が加わっていたらと思うと、果たしてやれただろうかと不安に思った。 |
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