災害支援活動報告

東日本大震災 JMAT活動報告

診療部 鮫島小児科部長 JMAT活動報告

 今回の東日本大地震・津波の災害には強い衝撃を受けました。心よりお見舞い申し上げます。少しでも医療的貢献ができればとJMATに参加しました。私の役割は北茨城市立総合病院の診療応援で、震災から10日間ほど小児科診療は行われていないとのことだったので、出発前は多くの小児患者を想定し風邪や胃腸炎などを想定したくすりを持参していきました。3泊4日昼夜連続の診療でしたが来院したこどもは50名~60名ほどでした。当地は福島県の県境で原発事故の放射能被害の懸念や断水で多くの子どもたちは疎開しているとのことでした。少数でしたが、疎開したくてもできない子も多いことを考えると診療応援に行ってよかったと思います。疾患は感冒、インフルエンザ、胃腸炎、皮膚炎などでした。なお支援期間中に断水は解消され、また日立総合病院小児科による診療も再開されることになり後を託して帰鹿しました。自分にとってはとてもいい経験になりました。

診療部 山口循環器内科部長待遇JMAT活動報告

 第二班は、北茨城市立総合病院のライフラインが回復していたため、同院内で診療支援を行った。到着するまでは、どこで(救護所?病院?)、何を(健康相談?診察?)するのかが、ほとんど判らないままであった。震災から約10日が経過し、同院常勤医師の疲労がピークに達していたため、医師の負担を減らすことが目的となった。具体的には夜間当直を行い、また午前午後の外来を代行することで、常勤医師が救護所などを巡回する時間を作った。上気道炎や下痢症が多く、期間中に内科の救急要請2件を受け入れ、その内1件(心不全)を日立市内の病院へ紹介搬送した。以上のような業務がどこまで役に立ったのかは判らないが、3泊4日間のJMAT派遣であった。

 

看護部 折田看護師JMAT活動報告

 今回、東北地方太平洋沖地震において、日本医師会災害医療チーム(JMAT)の派遣要請を受け、北茨城市の某病院に4日間の医療支援を行った。北茨城市も震災によって、地震と津波の被害を受けており、某病院は病院機能が困難となった。入院患者を他の病院へ搬送し、外来のみ対応していた。当院のチームは、日中は総合外来、夜間は緊急外来対応の支援を行い、幅広い科の患者や患児の対応をした。そして、外来受診していた患児を隣の市にある病院へ、救急隊や他の支援チームと共に緊急搬送する経験もした。支援を行った病院スタッフ自体は被災者であり、親族を失った者もいたが、医療を必要とする患者へ、限られた物的医療資源と人的医療資源の中ではあるが、丁寧かつ笑顔で対応し、医療提供を行っていた。支援を行う中で、不足している中での医療や看護について学ぶことができた。今回の学びを日々の職務や今後のDMAT・JMAT活動に活かしていきたい。

看護部 小田看護師JMAT活動報告

 今回のJMATでの活動は、外来のみ機能している病院で行った。看護師として外来診察の介助についた。その中で夜間の受診患者やその家族から少し話を聞くことができた。「受診したかったが、ガソリンがなく受診しに来ることができなかった。」や「最初は症状が軽かったので病院を受診するほどではないと思っていた。」、「今日の昼間は久しぶりに近くのスーパーが開いていたので夜でないと来られなかった。」など、食料や物資が不足していることや被災者の心境などを知ることができた。慣れない環境での活動は思っていた以上にストレスがあった。活動中はどれだけ被災者の役に立てているのかわからなかったが、帰る時に職員から「とても助かりました。ありがとうございました。」と、お礼を言われた時に自分が役に立てたと思えた。普段の業務では経験できない貴重な体験をすることができた。

事務部 倉谷総務課副主任JMAT活動報告

 今回、東北地方で起こった大地震の被災地に医療支援チーム(JMAT)として活動してきました。私の任務は業務調整員(事務)として被災地や支援場所の正確な情報を収集し、継続的な次の支援に役立たせるものでした。実際に被災地を目の当たりにしたときは、思わず言葉を失うほどの衝撃を受けました。私達の医療支援はマンパワーの不足している病院の支援でしたが、震災直後から不自由な生活の中で医療活動をしている職員の方々は大変疲弊しており、医師や看護師の外来、当直支援は疲労した心と身体を久しぶりに休めることが出来たと大変喜んでいました。しかし、一方では、このまま支援に頼ってばかりではなく、自分たちでやっていける体制を早く作っていかなくてはいけないと言う話を聞き、復興に対する力強さを感じました。今回JMAT活動に参加させてもらい、自分なりにとても貴重な経験が出来たと思います。


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