災害支援活動報告

東日本大震災 DMAT活動報告

有村副院長DMAT活動報告

 3月11日午後2時46分に発災した地震とそれに続く大津波は、未曾有の大災害をもたらした。私達鹿児島市医師会病院DMATチームはニュースで情報を得てから派遣要請があれば直ちに出発できるべく資機材の準備を行った。この時点でDMATの連絡網であるEMIS( Emergency Medical Information System)にわがチームの活動状況を記載した。最初は検討中としていたが、県当局との話し合いにて暫く様子見をしようということになって推移を見守る事とした。九州他県の情報がなかなか得られない状況で我々の判断も2転、3転してしまい県の意向もあり最終的には派遣不可と記載した。この間の情報が私は得られず、結果的には被災地への出発が遅れる結果となった事は残念であった。市立病院DMATチームが11日夜に出発した事を12日朝4時ごろ連絡があり、我々も直ちに朝方福岡へと向かった。出発前に病院長に許可を得、更に県当局に報告を行った。今回は急に行くことが決まった事もあり、派遣の人選がうまくいかなかった点は反省すべきことだと思っている。今回は1チーム8人の構成で出発した。12日午後1時過ぎには春日自衛隊板付基地に到着した。そこには長崎医療センター、大分県立病院などDMATチームが4チーム待機していた。我々もその場所で待機していたが、その場所での統括者からSCU(staging care unit)の設置を行うよう要望があったため、自衛隊の格納庫にて準備を始めた。12日は被災地からの情報待ちとなり結局その場にての待機となった。13日になり、大阪の伊丹でのSCUの撤収が伝えられ福岡空港でもSCUの撤収がなされた。我々は13日の午前中に帰路の途についた。今回はDMATとしての活動は全く出来ずじまいであった。現在わが医師会病院にはDMATチームが2チームある。1チームは現場への派遣チーム1チームは病院支援を行う事が当を得ていると考えられるが、他の施設では2チーム同時派遣や交互派遣などの報告もあり、発災場所や災害の規模に応じて検討すべきであると考えている。災害発生の情報を得たならば、幹部ミーティングで情報の共有を行い、直ちにDMATメンバーで会議を開催し、派遣の人選等を検討する。そのためには事前にマニュアルを作成する事が必要である。以上の事を改善策と考えている。今回のDMAT派遣は本番であったにも関わらず、多くの反省点が見られた。次回派遣の機会があるときは上記の改善策に従い、鹿児島市医師会病院の名に恥じない行動をとりたいと思っている。

診療部 山口麻酔科部長DMAT活動報告

3月11日に発生した東日本大震災の災害支援のため、12日早朝にDMAT出動要請があった。今回は、当院同様ほとんどのDMAT派遣施設にとって初めての本番であったため、不慣れな点が多々あったと思われる。当院でも出動の命令系統や連絡体制、出動人員などに不備があったことは否めない。
福岡空港参集の指示があったため、我々は病院の救急車で陸路福岡に向かった。早着隊は既に自衛隊機で現地に向かった後であった。その後は、自衛隊機数自体が災害支援などの関係で絶対的不足となったため、我々は福岡空港待機の上、広域搬送で現地から来るであろう重症患者の対応を待つこととなった。しかし、今回の未曾有の大災害は、我々の想像を絶する惨状であり、現地からの情報では、津波による溺死体か、健常人かのどちらかしかいない…というものであった。広域搬送の基点は他にも、羽田、伊丹、新千歳にも設けられたが、いずれの基点にも搬送に値する患者はなく、結局我々は13日の午前に撤退の決断をすることとなった。
今回の出動に当たり、反省点として、大災害発生時に病院で院長召集の会議を持ち、参集指示があった際の隊の運用とその間の病院体制などについて話を持つべきではなかったかと思う。またDMAT自体の認識が当院ではクローズな感があり、院内で盛り上げる努力を怠ってきたことも事実である。我々も病院を代表して出動するという誇りを持ちたいと思っている。
資機材については、救急車のスペース上かなりの制約があることがわかった。災害拠点病院という性格上、病院の救急車もこのような災害支援にも十分対応できるものに更新する必要がある。
いろいろ反省点の多かった今回のDMAT出動であったが、訓練を重ねて今後に生かしていきたいと思う。

看護部 中馬副看護部長DMAT活動報告

 DMAT(災害派遣医療チーム)は阪神大震災で、救助されても医療を受けられないまま死亡する「避けられた災害死」が生じたことをきっかけに平成17年4月に発足した。平成18年に私達も隊員になったが、これまで一度も出動の機会はなかった。3月11日に厚生労働省の待機要請メールが届いて、早速、出動に向けての準備品・携行機材の準備をはじめた。その日の17時過ぎの派遣要請に『2時間以内で参集場所の福岡空港に着けない』との理由でその日の出動は見合せとなった。翌朝、出動が決定され2チーム10人の隊員中、勤務調整のできた8人で自病院の救急車で参集場所の福岡空港に向かった。現地で到着後、SCU立ち上げが依頼され、持参した備品・携行機材で、患者受け入れ体制を整えた。しかし、今回は津波の被害が甚大で救急救命というDMAT本来の役割を発揮できない状況で、福岡への搬送はないと判断され13日の10時にその場を撤収した。被災地まで行けなかった悔しさと後ろ髪を引かれる思いともどかしさでいっぱいでした。

看護部 川畑主査DMAT活動報告

 去る3月11日に東北大地震が発生したことを、DMAT本部からのメールで知り、震災の激しさを目の当たりにしました。鹿児島県から待機要請もあり、救助に行く必要があるのではと思い、出動準備の為病院に行きました。しかし、病院は早々に出動不可を決定しました。出動しているDMATに思いを託し、訓練には何度も参加してきただけに救助に行けないジレンマと無力さを痛感してしまいました。結局、翌日出動することになり、スタッフからのエールや行く先々で頑張ってと言葉を貰い、より一層士気を高め向かいました。福岡には約10チームのDMATが同じ思いで来ていました。地震津波災害の為、傷病者は「黒」「緑」が多いと伝達される中、指示に従い医療ブースを立ち上げました。私達は翌日引き上げを決定し、他のDMATも救助に行けない無念さを感じつつ地元に帰省したのだと思います。今回、改めて鹿児島市医師会病院のDMATとは何をする役割を与えられているのかを考える機会となりました。

看護部 池田看護師DMAT活動報告

 私は今年1月にDMAT研修を終えたばかりで、こんなに早く出動がくるとは思わず、実際呼集がかかった時にはとても緊張してしまった。気持ちの準備も出来ておらず、自分の荷物も何が必要か準備するまでに手間取ってしまった。
 福岡空港に到着すると、先に到着した九州各県のDMAT隊が待機していた。私たちは広域医療搬送に対して準備を行うよう指示され、SCU(Staging Care Unit)を立ち上げることとなった。自衛隊基地でSCUを立ち上げることひとつをとっても、立ち上げる場所の確保から許可をとるのに時間がかかった。今回は福岡までの広域医療搬送はなく、次の日に解散となったが実際に現場へ救護に行くとなると、さらに予想もしない、研修ではスムーズに行くと考えられたことがうまく出来なくなるということを体験した。
日頃より情報収集を行い、どのようなことにも対応できるよう心の準備をし、また研修で学んだことをいつでも実践できるよう心がけていかなければいけないと再確認した。今後はDMAT隊員として自覚を持ち活躍できるようにしていきたい。

薬剤部 高橋薬剤師DMAT活動報告

 このたびの、東日本大震災の被災者とそのご家族には、心よりお見舞い申し上げます。被災地の1日も早い復興をお祈り申し上げます。
 平成23年1月23日、DMATになるためのトレーニングを受け,DMAT隊員業務調整員(ロジステック;以下ロジ)になりました。研修後は、いつ起こるかわからない災害に対して、日々の訓練がとても重要であることを再確認しました。また、3月12日は、いざ出動になりましたが、情報の収集、EMISの入力で自分自身のトレーニング不足と知識不足を実感する事になりました。
 ロジの役割の中で重要である仕事の一つに、情報の収集や情報の共有があり、今後、いざと言う時に役に立てるように、日々、訓練したいと思います。

診療支援部 前野リハビリテーション室主任DMAT活動報告

 自宅で待機していたら、3月12日の朝、医師会病院から連絡が来て準備をしました。テレビで東北地方の地震情報を観ていただけに、身が引き締まる状態でした。今回は、福岡空港航空自衛隊内でのSCU(臨時医療施設)活動として出動しましたが、結果、搬送はなく撤収となりました。
 業務調整員として私の活動は、他の業務調整員と常に、現場状況、DMAT活動状況など必要な情報をPCで取り寄せ、医師、看護師に情報共有してもらうことでした。福岡空港での活動はSCUの準備と自衛隊内での待機となりましたが、その中で多くの反省点があがりました。DMATが出動するまでの病院体制、チームの連絡体制、準備のチェックリストなどです。今後、いつ出動要請があっても十分な態勢で、常に万全の出動ができるように改善して、訓練を重ねて行きたいと思います。

事務部 東総務課主任DMAT活動報告

 自分はもともとDMAT1チーム目で、1チーム目には業務調整員は自分1人しかいなかった。震災の1カ月半前に2チーム目がDMAT隊員養成研修を受講しており、うち業務調整員は2人で、2チームあわせると業務調整員は3人となった。
 今回、8人で出動しており、業務調整員は3人とも出動したが、待機だけだったとはいえ、業務調整員が3人いてよかったと思う。
 自分は、福岡での統括DMATや、自院の事務部長、総務課長との連絡調整、金銭管理に徹することができ、他の業務調整員がパソコンでのDMAT管理メニューの更新を行うなど、役割分担できた。仮に、2チーム目がいなかったら、業務調整員としての業務を1人で遂行しなければならず、これに実働が加わっていたらと思うと、果たしてやれただろうかと不安に思った。


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