=== 随筆・その他 ===

薩 摩 郷 句 入 門

       三條 風雲児

(注)鹿児島医師会医報の、43巻(平成17年)10号〜12号に掲載されました。


(1)

薩摩郷句とは
 「世態人情などに取材して、それに穿ち味・滑稽味・皮肉味などを加え、鹿児島の方言で表現する、郷土色豊かな十七音字の詩である」と定義つけています。
薩摩郷句は人間諷詠
 薩摩郷句は人を詠むものです。それで、

  二百年振い雲仙が噴っ上げっ
  にひゃっねんぶい うんぜんがふっきゃげっ

は、いかにも薩摩郷句のように見えますけれども、これは人間不在で、単に自然現象を説明したに過ぎません。

  誤診一代ん補償をまっ被っ
  みたてちげ いっでんほしょを まっかぶっ

  呻吟っ子い手も突ったくっ氷割い
  うめっこい てもつったくっ こおりわい

のように、人を詠みます。
人以外の素材の詠みかた

  雪祭い裸け乗い込だ島大根
  ゆっまつい はだけのいくだ しまでこん

  向日葵も背中を向けた照い続っ
  ひまわいも せなかをむけた ていつづっ

 動植物とか自然を、擬人化する方法があります。右の句のように、大根や向日葵を人のように見立てる方法です。
 もう一つの方法は、

  磯ん猿士族じゃろそな顔をしっ
  いそんよも しぞっじゃろそな つらをしっ

  蟇蛙蹴れば跨っ四股を踏ん
  がまどんこ ければまたがっ しこをふん

のように、人との関わりを持たせることです。人以外のものはこの方法を用います。
郷句味を加える
 穿ち味・滑稽味・皮肉味・諷刺味などを郷句味と言っていますが、鹿児島の方言で表現してあっても、これが加えてないものは薩摩郷句とは言えない訳です。

  見すっでち牛をば庭い引張っ出っ
  みすっでち べぶをばにわい そびっでっ

これは、単なる説明です。「見せてやる」と言って、庭に牛を引っ張り出したというだけのことです。ところが、

  見すっでち痩牛しゅ庭い引張っ出っ
  みすっでち やせうしゅにわい そびっでっ

となると、「人に見せるような牛か」という皮肉が「痩牛」という言葉に込められている訳です。
穿ち味の句
 穿ち味というのは、看破するとか、洞察するというようなことですが、もっと平たく言えば、「そうだそうだ」と膝を叩きたくなるような味わいのある句です。真実味とか、人間味というようなものもこれに含まれると言ってよいと思います。

  言えば騒動言わんにゃ胸が治まらじ
  ゆえばそど ゆわんにゃむねが おさまらじ

  通夜ん晩猪口の遣い取や遠え血筋
  つやんばん ちょっのやいとや とえちすっ

  色艶が良がち癌どん慰めっ
  いろひっが えがちがんどん なぐさめっ

  子も居って嫁ん名を言て目を落てっ
  こもおって よめんなをゆて めをおてっ

というような作品が、穿ち味の句と言えるでしょう。
滑稽味の句
 薩摩郷句は、笑いの文芸と言ってもよいくらいですから、ユーモラスな句は大いに結構です。ただ気をつけたいことは、下品なことや卑猥なことで笑わせようとしないことです。品格のない句は「破礼句(ばれく)」と言って、私は詠むべきでないと思います。

  只飲んちなれば出っ来いだっきょ面
  ただのんち なれば出っくい だっきょづら

  膝枕寝付けば座敷け転ばけっ
  ひざまくら ねつけばざなけ ころばけっ

  短気者釣れんにゃ海ぬ掻っまぜっ
  たんきもん つれんにゃうんぬ かっまぜっ

  逆箒が効けて亭主ずい連立ん出っ
  さかぼっが きけててしずい てのんでっ

 滑稽味の句に加えてもよいと思いますけれども、諧謔味の句があります。おどけ、冗談が中心になった句です。

  名の分な美智子じゃっどん煤け女房
  なのぶんな みちこじゃっどん すすけかか

  垂れ下がっもう魅力か無か女房ん乳房
  たれさがっ もうみりょかなか かかんちち

 穿ち味の句とも言えれば、滑稽味の句とも言えるような場合があって、必ずしも分けられないこともありますが、要は句の中に郷句味を必ず加えることが大事です。
 


(2)

皮肉味の句
 皮肉とか諷刺は、薩摩郷句では大事な要素ですが、その加減は大切でしょう。

  吝しごろ足袋の破れい墨ぬ塗っ
  つましごろ たっのやぶれい すんぬぬっ

  成い上がいタイルん風呂でとんくりっ
  ないやがい タイルんふろで とんくりっ

  貨車ん壁べスト決行ち不調法な字
  かしゃんかべ ストけっこうち ぶちょほなじ

 皮肉や諷刺が強すぎると、嘲笑や罵倒になりかねませんので、対象に対する思いやりを忘れないことです。

時事吟
 新聞記事になるような社会事象を詠んだものが時事吟ですが、これは時間が経つと句の生命が稀薄になり、その句意さえ不明になるという欠点があります。それでその素材となっている事象が白熱化している時に詠むことです。次の句は古い句です。

  木炭車堀切坂で追越されっ
  もったんしゃ ほいきいざかで うこされっ

  安保スト峠ん豆腐屋へ大豆が来じ
  あんぽスト とげんおかべへ でっがこじ

定型を守る
 薩摩郷句は、十七音字の短詩です。私はこれを守ることを大事にしています。

  家族ごっそまくじいでけた鯖刺身
  けねごっそ まくじいでけた さばさしん

  木強者刀ん尖端で髭を剃っ
  ぼっけもん かっなんさっで ひげをそっ

 これはいずれも五・七・五の十七音字です。こうしたものが最も望ましいのですが、

  折角の土産眠た児を抱っ起けっ
  せっかっの みやげねたこを だっおけっ

  義理の子を負るっわが子は歩ませっ
  ぎいのこを かるっわがこは あゆませっ

 この句の場合は、意味の流れからして、いずれも八・九の十七音字になっています。このように、詠んだ時リズムがあれば、きちんと五・七・五になっていなくても構いません。

  孫が池ん錦鯉ゆ釣っうっ食っ
  まごがいけん にしっごゆつっ うっくっ

 これは全体では十七音字ですが、どこで切って読んでもリズムがありません。こんな句をリズム破綻句と言いますが、これは薩摩郷句とは言えない訳です。

薩摩郷句に用いる用語
 用語は、鹿児島の方言を用いることが原則ですが、いわゆる「からいも普通語」などと言われる、方言と共通語がチャンポンになったような言葉は好ましくありません。「為(し)が出来(でけ)ん」とか「とぜんない」とか、「そげんじゃっね」などという言葉を耳にしますが、薩摩郷句では頂きかねます。
 一方、昔は「てちょどい」「ぎった飛(と)っ」と言ったものを「雄鶏(おんどい)」「ゴム飛(と)っ」と表現するのは構いませんし、現在では遣われることの少ない「蝸牛(つんぐらめ)」「渦(ぎぎい)」「乱髪(やんかぶい)」などを駆使して詠むことも結構です。

薩摩郷句に用いる文字
 豆腐(おかべ)、夕立(さだっ)、養生(よじょ)、看病(かびょ)、後悔(くけ)、義理(ぎい)、大根(でこん)、一張羅(いっちゃびら)というような漢字は、誰でも迷うことはないと思いますが、どの字を当てればよいか分からない言葉も多いと思います。そんな時は、言葉の意味に当てはまる漢字を当てればよい訳です。
 ただ親類(しんじ)と親戚(しんじ)、実家(さと)と里(さと)、甘藷(からいも)と唐芋(からいも)などはどちらを用いても良いですが、面(つら)と顔(つら)、髭(ひげ)と髯(ひげ)と鬚(ひげ)、算盤(そろばん)と珠算(そろばん)、地面(じだ)と土地(じだ)などは、字の持つ意味が異なりますので、どちらでも良いという訳にはいきません。
 また、疲(だ)れたと病(だ)れた、我慢(きば)っと頑張(きば)っと気張(きば)っなど、鹿児島で遣われる言葉ですが、意味が大きく違いますので、句の内容とか、作者の意図によって、どの漢字にするかは決まってきます。
 同じ漢字でも、「台所」を、おすえ、ながし、あれむんどこい、はしいなど、いろんな言い方がありますから、どの読みがなをつけても差支えありません。



(3)

字数の数え方
 拗音(ヤユヨやアエなどを小さく書く)
  社長(しゃちょ)・焼酎(しょちゅ)・沸(うぇ)っ・ファン  二音字
  正直(しょちっ)・亭主(とのじょ)・社員(しゃいん)   三音字
 促音(小さく書くッ)
  泣(な)っ・行(い)っ・伸(ぬ)っ・取(と)っ        二音字
 撥音(ン)
  花見(はなん)・行かん                  三音字
 長音(引っぱる語)
  ボート・カーブ・フェリー                  三音字

薩摩郷句独得の表記
 「俺(おい)」「石(いし)」などは、「おれ」「いし」ですので、「おい」「いし」と読みがなにします。しかし、「俺に」とか「石に」という時は「俺(お)い」とか「石(い)し」と、「い」や「し」を送りがなにします。この場合には送りがなにした「い」や「し」が助詞「に」のはたらきをする訳です。
 このような表記のしかたは、薩摩郷句の場合は大へん多いですので、読みがなにするか、送りがなにするかで、句意が違ってきますので、気をつけましょう。
 送りがなにする例を若干お示しします。
  山(やま)へ行く     山(や)め行っ
  其所(そこ)へ置け   其所(そ)け置(お)け
  客(きゃく)に出せ    客(きゃ)き出せ
  膝(ひざ)に抱く     膝(ひ)ぜ抱っ
  海(うみ)を見た     海(う)む見た
  此(これ)をくれ     此(こ)ゆくれ
  足(あし)を出せ    足(あ)しゅ出せ
  君(きみ)に頼む    君(わ)い頼ん
  式(しき)を挙げた   式(し)く挙げた

句品を大事に
 江戸時代に始まった前句付が、「狂句」という名になって、明治時代まで約百年間破礼句(ばれく)(下品卑猥な句)が主流を占めましたので、狂句というのは、面白おかしく下品なことで笑わせればよいと考えられた時代がありましたので、昔の薩摩狂句にはずいぶん露骨なものが沢山ありました。
 ユニークな郷土文芸というならば、これではいけないと私は主張してきましたが、平成八年に、私の主宰する「渋柿誌」が五百号に達したのを機会に、郷句と改め、品格のある句を詠むようにしました。郷句を発展させるためには、句品を大事にすることを忘れてはならないと思います。うかつには人前で発表できないような句や、句意を聞かれて、説明に困るような句は詠むべきでないと思います。

まず詠んでみる
 「薩摩郷句を読むのは好きだが、作るのは、才能もないし、頓知もよくないから駄目だ」という人々が意外に多いです。しかし薩摩郷句に才能だの、頓知だのというものは要りません。誰でもできる文芸です。
 なにごとでも同じでしょうが、最初から上手い人はいない訳ですから、まず詠んでみることです。そして続けるうち、だんだん上達するものだと思います。
 また上達には個人差がある訳ですから、他人と比較したり、成績にこだわったりせず、マイペースで続けることが肝心だと思います。
 薩摩郷句の基礎的なことを、三回にわたって述べましたが、鹿児島のすばらしい方言を駆使して、郷土色豊かな薩摩郷句を詠んで下さる方々が、一人でも二人でも増えて頂ければ、望外の喜びです。




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