随筆・その他

リレー随筆


走        り


鹿児島県立大島病院   松田 大樹

 そこにあるのは何回も繰り返し走った,走りなれた道,見なれた風景。それなのに,なぜだろう。いつも違った感情が湧いてくる。
 それは,天候のせいもあるだろう。暑い日が差すとき,冷たい雨が降るとき,しとしとと雪が降るとき,風が邪魔してなかなか進まないとき,様々なシチュエーションの中で走る。
 それは,一緒に走る人にもよるだろう。互いに切磋琢磨し合った走り仲間達,場所は違えど同じ目標に向かって練習する仲間達,同じコースを走っている見知らぬ人たち,同じマラソン大会に出ている競技者同士なのに声をかけてすれ違ってく人たち,そのどれもが走っている自分の感情,自尊心?をくすぐって走り去っていく。
 それは,自分の気持ちの整理の場でもあるのだろう。走りながらの空白の時間では,自然と今日1日が思い出され,こんな面白いことがあったな,あれはもっとこうすればよかったな,明日はこうしようかな,今日の夕飯楽しみだなと,様々な感情が湧いてくる。
 それは,中毒性があるらしい。走りは気分屋ではなく,誠実に結果を出してくれる。今日の距離は明日には超えられる。今日のペースは数日後には楽に走れている。いつも同じ時間に走っている人が走っていないとなんだか心細くなる。同じマラソンに出た人たちは見知らぬ人でも仲良くなってしまう。走り続けている限り,自分の中の終わりのない連続ドラマを体験し続けることになる。
 それは,いつの間にか自分の歴史の一部にもなっていた。ただただ,先輩たちに負けたくないから,学校に行く前,はたまた帰宅後に,飛び出して来る野良猫に驚かされながら走った小学生時代。校区内で1番になりたくて,地区の人や大人に負けるのが悔しくて,体操服で走る素人でもユニフォームの陸上部に県大会で勝てることを証明したくて走り続けた中学生。でも,うまくいかないことの方が数知れず。部活や勉強,家族や人間関係で悩んだ思春期は,ただただ逃げ出したくて走りに出かけていた。夜の月を見ながら,流れる雲を眺めながら,奄美大島の大海を横目に潮風を感じながら…。走りで戦うのはもちろんだが,走りに癒しも求めていたようだ。そして,陸上部に入り仲間と走ることの楽しさを知った高校・大学時代。これまでの壮大な思いを胸に秘めて挑んだ数々の記録会や陸上競技大会,マラソン大会では,くじけそうになる度に,これまで走ってきた自分や一緒に走ってきた周りの人を思い出して,ここで諦めるのはもったいないと思い,強力な走るパワーに変えてきた。結果として自分でも驚くような記録が生まれることがある。話をする人にはその記録に興味をもってもらうことが多いが,もっと走ることの楽しみを知ってほしい。こんな贅沢な気持ちを,他に味わうことが出来るのだろうか。僕にとっては,走ること意外には考えられないが。
 前述と重複するが,よく,走る人の気持ちが分からない,何を考えて走っているの?ときかれる。もちろん,競技になると話は変わってくる。ペースを考えたり,ずっとついて来る相手をいつ抜くか駆け引きをしたり,効率よく走るフォームを意識したりとせわしないばかりだ。しかし,それだけが走りの全てではない。きっと,自分も含め,走ることで満たされるいろんな感情に支配されたいがために,多くの人が走っているのだと思う。結局,走っている理由は明確には言えないのかな。
 今回の記述を機に,自分なりに「走る」ことについて考えることが出来た。ちょっとはまともな返答ができそうだ。このような機会を与えてくれた県立大島病院の研修医の皆様,ならびに医師会に感謝しています。
 さて,走りにいこうっと!
次号は,鹿児島大学病院の前田将久先生のご執筆です。(編集委員会)



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