[設立70周年記念特集]

新制鹿児島市医師会70年の歴史の中から


東区・紫南支部
(今村小児科アレルギー科)
今村 正人
 昭和56年2月小児科開業,鹿児島市医師会会員として今年で36年,新制医師会70年の歴史の半分を過ごさせていただいたことになる。その間,昭和63年から平成14年までと,その後,間をおいて1年半,医師会役員として任に当たらせていただいた。この間に多くの思いがあるが,私なりに重要な歴史の一端に触れてみたい。
 開業当初は,予防接種もまだ限られていて不十分,小児科開業医にとっては麻疹を始めとする感染症,その他の急性疾患への対応が中心であり,夜間,休日などの時間外診療に手をとられていた。
 当時,鹿児島市医師会は,いち早く救急医療体制の構築に向けて検討,着手しており,昭和42年3月から休日在宅医当番制を実施,昭和54年3月には休日夜間急病センター開設,同年11月には全夜間輪番在宅医制発足,59年6月に医師会病院が開設して二次救急医療に対処,小児科は小児救急医療拠点病院の指定を受けて医師5人体制となり,依頼の急患はいつでも受け入れてもらえ,紹介入院全症例についての症例検討会が定期的にもたれるなど,緊密な連携がとられていてありがたかった。平成3年10月,1年間,15回の検討を経て救急医療検討委員会答申が出された。答申では,休日夜間急病センターを夜間急病センターとして休日のみならず全夜間に拡充することが示され,具体的検討がなされた。平成5年8月1日,夜間急病センターは365日終夜体制となって始動し始めた。その6日後,かの8・6水害に見舞われ,床上50cmの浸水被害を受けて閉鎖を余儀なくされたが,職員の懸命な復旧作業により1週間後の8月13日には診療を再開。以後1日も休むことなく大学病院をはじめ病院勤務の医師,開業会員の協力,職員の頑張りにより市民,市近隣地域住民の夜間1次救急医療を守って今日に至っている。以来,個々の開業小児科医の日々の夜間診療も緩和されていった。
 続けて3年,大晦日に出向して夜勤をつとめたことがあったが,その折,わざわざ足を運んで当番職員全員に年越しそばを差し入れて下さった先輩役員ご夫妻の温かいお気持を忘れることはできない。また,夜勤終了時の元旦の朝7時に車で迎えに来てくれた家族と城山に上がり,初日の出の神々しい太陽に手を合わせた時のなんとも清々しい気持を思い出す。
 最大支部と最小支部の間に会員数で8倍,医療施設数で9倍の格差があるなど,会員の医師会活動に支障をきたすことが危惧されたため,将来の医師会活動の活性化を図るために平成2年7月,太原会長のもと,支部再編成検討委員会が設置され,平成3年6月までに12回委員会が開催された。平行して定款等検討委員会が設置され,13回にわたり検討が行われ,同年7月,両委員会より答申が出された。
 当時の支部は,昭和43年4月に編成されたとされ,以来,郡元支部の分割,紫南支部の新設等,若干修正された経緯はあるが,全支部にわたる再編成は,それまでの支部の長い歴史的背景により先送りされてきたきらいがあった。委員会では適正規模の支部に再編成する必要があり,再編成することが望ましいとの認識が示された。一方,再編成に対する「総論賛成,各論反対」という会員の意識にどう向き合えば会員の納得が得られるかが課題となった。支部感情を考慮して検討する中で,支部はそのままにしてその上に区という組織を乗せる案が検討されることになった。区のメリットとして,幅広い交流の場を作っていくことができる,医師会活動,行事等も区単位で実施でき効率的な運営が望め,活性化につながる,各種委員会委員,代議員,役員候補者の推薦母体になる等が考えられた。
 以上を受けて,平成3年から5年にかけて小委員会で区制導入についての検討が重ねられたが,一時中断を余儀なくされた。再度,新たに区制検討委員会が設けられ,検討ののち,平成11年7月開催の第174回定時代議員会での質疑,討論,支部長会での説明を経て,同年11月開催の第175回臨時代議員会で可決,平成12年4月1日から区制が施行されることになり今日に至っている。このように長年にわたる生みの苦しみを経て区制が導入され,今日,医師会活動が円滑に進められている。2回にわたる代議員会で賛否両論,質疑応答,熱のこもった実のある討議が行われて区制導入が可決されたが,そこに健全な医師会の姿を見た思いであった。海江田会長のリーダーシップのもと,庶務担当理事として本議案に深く関われたことは貴重な経験であった。支部機能は従来通り変わらず残されていて,各支部で会員交流,活動が行われている上に,所属会員数にあまり差のない区制が導入されて諸活動基盤が均一になり,効率的,良質な医師会活動が行われている現状を見て当時を思うことである。
 思えば,70年という歳月の中に多くの進歩・発展の歴史が刻まれていることと思う。終戦間もない困難な中を乗り越えて必死に市民を守り,医師会を守り,尽くしてこられた先輩の方々のことを思わずにはおられない。時代は変わり,人々の暮らしも変わり,疾病構造も,そして医学・医療の進歩・発展によって,また人々を取りまく社会環境の変化により,病める人々への対処に更なる配慮が求められることになろう。少子超高齢社会,人口減少時代に,健康を守り,支え,安心を与える良質な医療,温もりのある介護,福祉が行き届いた社会の到来を期待したい。鹿児島市医師会が,会員,市民に信頼され続ける存在であることを願っている。




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