=== 新春随筆 ===

       年男, 還暦, ハイデガー
(昭和33年生)



西区・甲北支部
  (メンタルホスピタル鹿児島) 上原 一芳

 若い頃,鹿児島市医報の原稿依頼を請けましたが,あの頃は「何?,くそ」と,気負っていまして,そのまま手付かずにしてしまいました。今回は年男ということで再び原稿依頼です。私も当時と比べ心が丸くなり,お受けいたしました。小生,昭和33年7月生まれ,還暦です。市医師会では介護認定審査会委員を賜っております。
 我が庭を森にしようと思って木を植えてまいりました。森の中を散歩するのが好きということがありました。はじめ,コニファーと呼ばれるヒノキ類を植えました。植えた木としてはこれが最多数です。次,シマトネリコを植えました。近年この木は,樹液の出る,かぶと虫などの集まる木とされています。去年の秋は鹿児島でカメムシが異常大発生してこの木は木肌が見えない程にカメムシに被われてしまいました。オオスズメバチも混じっていましたので近寄るのがたいそうはばかられました。それから植えたのはモチノキ,ビワ,ヤマモモ,ボンタン,フユガキ,グワバ,カリフォルニアオレンジ,ウメ,モモ,クルミなど。散歩しながら季節の木の実をちぎって口に入れようという魂胆です。こういう楽しみが待っているので木を植える労苦もまったく感じません。私自身まだ若かったのでしょう。 
 さらにクヌギ,エノキ,ソメイヨシノ,イチョウ,センダンの苗木を去年植えました。直径2cm程の,若い頃の私には植えるのに手ごろの大きさの苗木です。苗木を植えるには,直径40cm,深さ40cm程の穴を掘らねばなりません。今回穴を掘るのに大そうな労苦を覚えました。さらに,「今60歳。森になるとして20年かかる。私は80歳になっている。私は生きているだろうか。クヌギにクワガタ,カブト,エノキにタマムシが集まり,それを孫たちが捕まえる。孫は30になっている。30になってそんなことはもうしない。今頃苗木を植えてなんになる。森は無駄だ」と穴を掘りつつ思いました。ご存知でしょうか,あの綺麗なタマムシはエノキの葉を食べ,朽ちた枝に卵を産みます。センダンは双葉より芳しく,年数を経て大樹の陰をつくる。すばらしい人生の見本である,とのことで,私の名に芳の字を父が入れてくれ,私も娘の名に芳の字を入れました。ソメイヨシノは町内会の野球部のキャプテンが球場にあった,と言って持ってきたもの。イチョウは友人のウィルス学のY先生が小学校で拾った銀杏を貰い受け,芽が出て育てたもの。以上の木々は私にとってそれぞれに愛着のあるものです。定植が終わる時分には,穴掘りが大変だから森はあきらめるつもりに一時的になったのだ,と考えが変わり,また森になるのも20年でなく10年待てばいいかと思えてきました。安堵しました。
 ちなみに我が森は結局,雑木林なのですが,その一角には亜熱帯植物のコーナーがあります。フェニックスやし,ソテツ,巨大シダ,普通のシダ類などがあり,岩手県盛岡市出身の我が妻はこれらを見ると唖然とします。森の中よりには芝が植わっていて孫の野球場となります。近所の人はゴルフ場と言いますが。孫はスキー場に行った折,私に還暦の赤いパンツを買って来てくれました。私は違和感無くはいています。この前,先輩のF医者に赤いパンツが見えていると言われたので,「還暦の赤い衣装は貰わなかったんですか」と問うと,「そんな物,いらん」とのこと。私の方が自由度は高いと感じました。
 森の縁の日当たりのいいところは菜園です。姶良,加治木辺りの方が畑のことをこのように申されます。島津義弘公以来の奥ゆかしさを感じる言葉です。去年から穴熊が出没するのです。今年はにんじんの発芽が悪く3回種まきして,やっと発芽したところを穴熊が全部掘り返して,にんじんは全滅です。穴熊は穴を掘ってミミズを食べるのです。うちの隣は穴熊侵入阻止の為,屋敷を1周網で囲っておられます。近所の外科の先輩S医師は,ドアに開けた猫の出入り口から穴熊が入り猫のえさを食べるとのことで,市役所で5万円の駆除業者を紹介されたと申されます。先日は,まだ業者に頼んでないと言われました。先生は心優しい方なので穴熊が猫のえさを食べるのを見守っておられるのでしょう。先生のところの穴熊とうちの穴熊は同じ穴熊と思っていますので,私は今度先生とお会いしたら5万円を折半して早く穴熊を退治しましょうと提案するつもりです。
 添付した顔写真は30年前ヴェニスで撮ったものです。ちょうどゴンドラが泊まっていて,それを見つけた私が得意げに両腕で指し示しているところを妻が撮りました。私のお気に入りです。顔写真を求められれば20年来これを使ってまいりました。ところが去年辺りからこの写真を見て,「子供さんですか」と言う人が一人出てきました。その時,自分は老いたのだと思いましたが,残りの人達はだれ一人そうは言いませんのでまだ当時の若さを保っていると安堵します。
 この写真以前に気に入っていたのは,小学2年生の初夏,学校から帰宅すると祖父が祖父の為に写真屋を呼んでいて,そのカメラマンが撮ってくれた一枚です。庭先にて汗で濡れている髪を手櫛で分けて撮った一枚です。表情がとても豊かで我ながら映画スターのようだと思いました。この頃は身も心もとても充実した,言わば弟達,親類縁者の子達の餓鬼大将でもあり,大そうな幸せ感でいっぱいでした。私は長いこと依存症にかかわってきました。アルコールが多いです。ただひたすら飲む,楽しみは遠に忘れて,苦しみつつも飲む人に,子供の頃の楽しかった頃を思い出して今の現実を変えましょうと話します。私の実感なのです。
 以上のような老いと若さの入り混じったような体験を通してヒトは老いを強く自覚して行き,その先にある死の覚悟ができていくのでしょう。そして現存在から将来へ。これはハイデガーの「存在と時間」ではないかぁぁ....




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