=== 新春随筆 ===
女工の結核と原子力施設労働者の健康障害
−産業革命期の労働者と今日の原発労働者の健康問題を考える−
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労働衛生の歴史は産業発達の裏面史(石川知福)とされる。古来,産業発展の裏には,これを支えながら生命を失い健康を損なった労働者が多数存在した。温故知新,年頭に際し,わが国における産業革命期と福島第一原発事故後の労働者の健康問題について若干考えてみたい。
わが国の産業革命と労働者の健康問題
わが国における産業革命は,欧米諸国より一世紀以上遅れた1880年代からといわれ,以後,さまざまな社会問題や労働問題・公害問題などを惹起した。第一次産業革命の時期は日清戦争頃で,製糸・紡績などの軽工業が中心であり,この時期には,特に結核の蔓延が社会的問題となった。第二次産業革命は日露戦争頃の製鉄・造船など重工業が中心の時期で,結核に加え,労働災害の多発や,じん肺・職業性難聴・タールがん・一酸化炭素中毒・鉛中毒など各種の職業病発生が大きな問題となったが,対策は遅々として進まなかった。
石原 修の「女工と結核」発表と工場法施行
わが国における産業革命期の結核の蔓延とその対策に関しては,今から100年前の1913年(大正2年)に石原 修(1885−1947)が行った工場労働衛生の実態調査報告の意義を忘れることはできない。
石原 修は兵庫県伊丹町生まれで,京都帝国大学福岡医科大学(現在の九州大学)に在学中に衛生学を志し,卒業後に東京帝国大学の衛生学教室へ移り,1909年,内務省・農商務省の委託により,東京帝国大学医学部衛生学教室の横手千代之助教授の指導のもとで,鉱山・工場の労働衛生調査を中心的に担当した。この一連の調査結果を,上司の許可が下りなかったにもかかわらず,敢えて国家医学会例会での「女工と結核」の講演と国家医学会雑誌(第322号)の論文「衛生学上ヨリ見タル女工之現況」として発表した。
これらは,「女工哀史」(細井和喜蔵)や「あゝ野麦峠」(山本茂美)などで紹介されているような劣悪な労働環境で働いていた紡績工場の女子労働者における結核の蔓延と,彼女らの帰郷に伴う結核未汚染の農村地帯への恐るべき速さでの結核拡大の実態を追跡調査も加えて報告し,劣悪な工場労働と労働環境の改善を訴えたものである。
この報告は,農商務省が工場労働者の実態調査を行い発行した『職工事情』(1903)とともに,わが国初の労働者保護法として過酷な労働条件下にあった主として工場労働者の最低労働基準を規定した工場法が1911年に制定されたにもかかわらずその施行(1916年)が遅れていた状況に対して,その促進に論拠を与えたものとして高く評価されている。
なお,石原 修は,その後,初代の鉱務兼工場監督官や大阪医科大学教授,大阪帝国大学医学部教授などを歴任し,産業医学会の創設にも尽力した。わが国における産業医学の先駆者として決して忘れることのできない人物の一人である。
福島第一原発事故後の労働者の健康問題
いうまでもなく,すべての原子力施設は,事故にならなくても,被曝労働なしには稼働できない。福島第一原発事故の収束作業は長期化し,今後,少なくとも40年以上は続くといわれ,これには,当然,膨大な数の労働者が必要となる。原子力施設の労働者の実態に関しては,「マスコミなどに話したら仕事を辞めてもらう」などという徹底した労働者の口封じがあるにもかかわらず,その劣悪な労働実態が,「検証 原発労働」(岩波ブックレット 827)や各種のマスコミ報道などでも紹介されている。
原子力施設での労働では,作業のための特別な防護服とフードマスクの着用が必要だが,夏場は高温・多湿のために適切な着用はなかなか困難である。さらに,労働者は退職か被曝隠しかを迫られ,線量計を鉛カバーで覆うという事件なども明るみに出ている。
一般に現場で作業しているのは,下請け,孫請けと,三次下請け以下の労働者で,彼らは複雑な多重・重層的下請け構造で雇用関係が曖昧になっており,労働者の権利や安全がないがしろにされた環境下で働いていると指摘されている。実態は労働者派遣なのに請負に見せかける違法行為もあり,通常の請負では請負会社の労働者がその会社の指揮命令下で働くが,偽装請負では元請会社の指示に従う。使用責任が不明確になるため,労働者派遣法や職業安定法では禁じられているが,派遣契約より人員削減などしやすいため,原発労働では横行しているという。
原子力関連施設は治外法権のような区域といわれ,「使い捨て労働」が横行し,暴力団など反社会的団体の介在を許す温床となっていると報告されている。ここでは,労災職業病や賃金未払・ピンハネ(ピンハネ率93%という報道もある)の発生などが常態化し,労働者はまさに使い捨ての状態にある。しかし,労働法令等の違反が指摘されても,労働基準監督署も職員数が足らないということで,申し立てがあれば動くというのが現状だという。
100年前で常態であった貧困問題や使用者の法令無視が,今日の原発労働などでも,劣悪な労働者の状態を蔓延させる要因になっているといえよう。
このような原子力施設の労働者の健康管理に関しては,既述のような労働条件や労働環境への適切な対策が不可欠であるのはいうまでもないが,さらに,被曝対策を中心にした具体的な労働衛生の5管理が必要である。被曝労働者への健康管理手帳の交付とその活用,被曝線量を超過した場合の生活保障,放射性物質吸引で生ずる内部被曝の的確な把握,晩発性障害の賠償基準の明確化などの対策も,無論欠かすことはできない。
終わりに
福島第一原発事故の苦い教訓から学び,核エネルギー制御と高レベル放射性廃棄物処理の困難さ(放射能の安全性を考えると10万年以上後までも管理を要するといわれている)などを考えるとき,省エネ生活へのいっそうの努力と並行した原子力エネルギーから脱却して分散型代替エネルギーの開発・導入を選ぶ持続可能な社会を目指す道が,次世代にできるだけ「負の遺産」を残さない最良の選択であることは明白である。しかし,過日の衆議院議員選挙では,「低迷する経済を脱却してわが国を国際競争力のある国にするには原発は不可欠である」と主張する勢力が,残念ながら多数を占めた。彼らは,高レベル放射性廃棄物処理の問題一つをとってみても,これを冷静かつ科学的に見据え,「負の遺産を次世代に丸投げせず責任を持てる」と本当に考えているのだろうか?
今年こそ,人類の生存にかかわる脱原発・核兵器廃絶の課題への取り組みについて,次世代の人々から批判されることがないような方向に社会が着実に進むことを期待したい。

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