=== 新春随筆 ===

甲突川健康掲示板のご紹介
人類永続・生物永続の地球的調和づくり



中央区・中洲支部
(ヲサメ内科クリニック) 
              納  利一

 この地球を生物を育む星として永続させたい。この人類共通の願いを実現していくためにはどう考え,どうしていけばよいか。
 3つの理念の社団法人生命科学振興会と4つのテストの鹿児島城西ロータリークラブの共催で平成元年に鹿児島市で講演会が開催された。これを契機に地域社会との「かけはし」として甲南保健クラブが誕生した。甲南保健クラブの呼びかけで実行委員会(三木 靖委員長)が組織され,毎年6月の第1日曜日に「甲突川の集い」が開催されるようになった。
 平成15年6月1日,鹿児島市立甲南中学校の体育館で開催された甲突川の集いで甲突川健康宣言が採択された。甲突川健康宣言の碑が甲南中学校の校庭と郡山にあるロータリー100年記念かけはしの庭に建立された。
 ホームページ「甲突川健康新聞」の目的は甲突川健康宣言の理想を実現していくために人間・社会・自然が調和する地球的調和時代への「ウェブのかけはし」をかけていくことである。甲突川健康新聞の掲示板(甲突川健康掲示板)にご意見をいただくなどよろしくお育て下さるようお願いしたい。
 掲示板に投稿したり,ご投稿いただいた文章のいくつかを誌幅の許す範囲でここに転載したい。
 甲突川健康掲示板:http://www.koutukigawa.jp/

1.「よい欲,わるい欲」
 投稿者:清流 72歳
 投稿日:2011年11月22日
 この地球を生物を育む星として永続させたい。この願いが全人類共通の公欲でなければなるまい。この公欲を実現していくための人類永続・生物永続の地球的調和づくりにプラスになる欲が「よい欲」であり,マイナスになる欲が「わるい欲」であろう。
 公欲が「よい欲」で,私欲が「わるい欲」であろうか。私欲がなければ人間は生きていけない。公欲だけでは人類は永続できない。公欲と私欲のバランスではなかろうか。

 私欲は本能,公欲は学習。
 人間とはモットモット病の患者である。
 人間とはモットモット病のコントロールである。


2.「私欲は本能,公欲は学習」
 投稿者:清流 71歳
 投稿日:2011年11月11日
 自分と自分の子どもを守るのは動物としての人間の本能である。「みんなに公平か,みんなのためになるかどうか」の「みんな」の範囲を広げることは学習しなければ身に付かない。人間の社会を健康に永続させるためには「みんな」の範囲を広げていかなければなるまい。
 自分の心を見詰めてみると「みんな」の範囲が狭いことに気付く。「みんな」の範囲が狭いことを恥ずかしく思い,広げていく努力を続けたいと思い続けるのが日本の「恥の文化」ではなかろうか。

 みんなの範囲の広い「よい人間」になりたい。なれないけれども「よい人間」になりたい。そう思い続けながら生きていきたいものである。

 別府義昭先生の三方限古典塾が満5年。三方眼古典塾は公欲を育てる学習の場である。

3.「みんな」とは何か
 投稿者:清流 71歳
 投稿日:2011年11月4日
 個人,組織,みんな。
 個人とは何か。組織とは何か。「みんな」とは何か。空想しながら考えてみたい。
 個人のための個人。個人のための組織。組織のための個人。組織のための組織。個人のためのみんな。みんなのための個人。組織のためのみんな。みんなのための組織。みんなのためのみんな。
 ロータリークラブの「4つのテスト」には「みんな」が2回でてくる。真実かどうか。みんなに公平か。好意と友情を深めるか。みんなのためになるかどうか。

 「みんな」とは何か。

 ロータリークラブの「4つのテスト」の「みんな」の範囲を広げていくことを心がけていけば,我欲が小さくなり,公欲が大きくなっていくのではなかろうか。
 生きとし生けるものが幸せでありますように。
 私の嫌いな人々も,私を嫌っている人々も幸せでありますように。
 世界が平和でありますように。
 日本が嫌いな国々も,日本を嫌っている国々も平和でありますように。
 人類永続・生物永続の地球的調和が実現していきますように。
 この地球を生物を育む星として永続させたい。この人類共通の目標に向かって全人類が結束して歩き始めるべき時が 「今」ではなかろうか。
 上記は先日,鹿児島城西ローターアクトクラブの皆様とディスカッションしながら考えたことを作文してみたものである。
 「みんなのためになるかどうか」,「ロータリーみんなの森」などをキーワードに検索すると甲突川健康新聞の「ロータリーの健康から地球の健康を」などがヒットする。

4.「老人とは何か」
 投稿者:清流 72歳
 投稿日:2011年11月18日
 満72歳になった。「老人とは何か」を空想しながら考えてみたい。
 最期があることは確定している。それがいつ,どのように訪れるかは未定である。

 老いは幸運の果実,死は当然の最期。
 よろこび老いて,平然と逝く。


 日々残り少なくなっていくこれからの人生の時間を,どう考え,どう生きていけばよいか。

 古稀をすぎたら男は翁(おきな),女は媼(おうな),老人は死んだつもりで生きたらよかろう。
 先人の御恩を受けて「われづくり」,御恩返しは明日への「ひとづくり」。
 「われづくり・ひとづくり」が人生の目的であり,人生のすべてではなかろうか。


 私たち老人は,残されている時間を「死んだつもりで生きる」とよいのではなかろうか。すでに亡くなられた過去の方々の代理人として現在と未来への奉仕を心がけながら生きていくのが老人らしい生き方ではなかろうか。
 「老いは幸運の果実」,「死は当然の最期」,「よろこび老いて,平然と逝く」,「ありがとう,なかよくね,さようなら」,「人生とは『かけはし』である」,「われづくり・ひとづくり」,「死んだつもりで生きてみろ」などをキーワードにインターネット検索すると甲突川健康新聞の記事などがヒットする。

5.「平和づくり・調和づくりのロウソクリレー」
 投稿者:清流 71歳
 投稿日:2011年10月15日
 「この地球を生物を育む星として永続させたい」,この人類共通の願いを実現していくためには,どう考え,どうしていけばよいか。

 自ら小さなロウソクになろう。

 暗いと言わずに自ら小さなロウソクになろう。まず自分のロウソクに火をともそう。そうして,身近を静かに照し始めよう。それから,もう一人の誰かのロウソクに火をともしてあげることができれば,そこからロウソクリレーが始まる。
 ロウソクは平和づくり・調和づくりのシンボル。私が平和になり,身近なもう一人が平和になり,いつの日にか世界中が平和になり,人間・社会・自然が調和して,人類永続・生物永続の地球的調和が実現していくことを期待できるようになっていくのではなかろうか。





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