=== 新春随筆 ===

       白     兎
(S38年生)


西区・武岡支部
(野口内科)

 野口  仁
 私の従兄弟は島根医大に入り,そのまま現地に居着いてしまった。今は島根大学に統合されたため無くなってしまったのだが,島根医大のシンボルには兎があしらわれていた。なぜ兎かというと「因幡の白兎」の神話に基づくらしい。サメをうまく言いくるめて海に一列に並べ島から本州に渡ったものの,騙されたと気付いたサメに毛をむしり取られ泣いていた兎。通りかかった出雲の神オオナムチに蒲の花粉の上で寝そべっていろとアドバイスされ,それを実践したら傷が癒えたという内容だが,これが一応日本最古の書物とされる古事記に記述されているため,日本で一番古い医療行為の記録とみなされている。出雲は日本の医療の先進地,ということでシンボルに取り上げられていたようだ。
 ところで,丸裸なのにどうして白い兎とわかったのだろうか。サメがちゃんと確認していたから ? 治癒したら白い毛が生えてきたから ? 実は古事記には兎が白いとは一言も書かれていないのである。漢文調の古事記において兎を修飾している漢字は「素」。この漢字の下に人という字をあてがうと確かに「しろうと」と読むが,素手や素顔,素肌などの言葉からわかるように手袋や化粧をせずに地肌があらわになった状態を「素」は表現している。つまりこの神話では,毛をむしられて皮膚が露出した状態の兎であることを「素」という字に込めているのである。昔の人が漢字を丁寧に選択して表記していたにもかかわらず,時代が下って誰かが白い兎だと勘違いして解釈し,それが定着して今に至るのであろう。事実,日本の固有種に白い兎がいないのだが,山陰には全く別の白兎伝説があるようで,アルビノ種を縁起物と重宝がる信仰と相まって混同されたのかも知れない。
 このように本来とは全く違う意味に解釈されてしまい,それが一般的になっているものは多々ある。例えば「ピンからキリまで」。室町時代にポルトガルから伝わったカルタ遊びで,最低の1点の札をピンと呼び最高の12点のものはキリと呼んでいたらしい。そのとっておきのカードである「切り札」という言葉を現在でも普段よく使っているにもかかわらず,この慣用句においては意味が逆転してしまっているのである。

 誰もが解釈を間違っていることもあれば,自分が何かを勘違いして覚えてしまっていることもあって,正しい知識を持ち合わせるのは実に大変なことだと思う。日常ごく普通に行われている医療行為の中にも正しい医学的な知見からすると根拠に乏しいものもあり,昨日まで当たり前にやってきたことが覆されることがある。最近の例で見ると,みんながこぞってやっていた抗生剤点滴前の皮内反応はデメリットの方が大きいことからルーチンでは行われなくなったし,消毒せずにガーゼも当てない湿潤療法を半信半疑ながら実践してみると傷が早くしかもきれいに治癒するので驚嘆したこともある。
 消化器の分野でここ数年の間に普及してきたものに経鼻内視鏡がある。経口での検査法が確立されているのに,なぜわざわざ画質を落とし挿入ルートを変える必要があるのかと最初は思ったのだが,実際に経鼻で検査し始めてみると被検者の苦痛は極めて軽くとても好評で,今では経口内視鏡を手にする機会がめっきり減ってしまった。経鼻では被検者がいろいろ問いかけてくることも多いので,こちらもモニターを指さしながら専門用語ではない一般の人にもわかりやすい言葉で説明する技量も身に付いたが,これは普段の診察の場面でも役立つこととなった。
 新しい知見が加わって従来の診療行為を転換すべき時に素早く対応するには,情報収集と柔軟な頭が必要であると考える。日頃テレビや新聞などで目にする報道は政治や経済,事件などが中心だが,最も発信量の多い情報は医学に関するものと言われている。事実,自分の専門とする分野の情報に限っても漏れなく目を通すことは到底不可能である。しかし,兎が長い耳をピンとそば立てて周囲の音に気を配っているように,新しい情報をできるだけ早く,数多くキャッチしていく心構えは常に持ち合わせていたい。もちろん無闇に振り回されないように取捨選択することも大切だが,既成概念にとらわれず「まっ白」な気持ちでこれらの情報に相対して,有益なものは上手に活かしていきたいものである。




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