=== 随筆・その他 ===

桜  島  の  植  生


中央区・中央支部
(鮫島病院)         鮫島  潤
写真 1
写真 2
写真 3 桜島観光案内板による
写真 4
写真 5
写真 6
写真 7
 中学1年の時,博物の先生から「今の桜島に植物は何から育成し出すかは非常に興味のある所だ」といわれた事が何となく記憶に残っていた。当時,桜島は見渡す限り全くの真っ黒い溶岩原で,凹凸の激しい溶岩,奇石怪岩の広がりはまるで宇宙旅行の月面もかくやと思われる程だった(写真1,2)。その後戦中,戦後の70年を経て,先日久し振りに袴腰の月読神社の展望台に登って見渡した。あの溶岩群一帯は全くの松林の密林になっていた。あの時先生から折角良い暗示を戴きながら,若い私達は戦中,戦後の生活に追われ顧みる事が無く今日に到った。
 最近,思い立って桜島の一周を試みた。大体昔からツバキ,アコウ,マテバシイ,ハゼ,それに世界一大きい桜島大根,世界一小さくて美味しい桜島小蜜柑や枇杷などが有名である。桜島の噴火には26000年の歴史があり,その後頻繁に爆発しているが判りやすく安永溶岩(安永8年1779年),大正溶岩(大正3年1914年),昭和溶岩(昭和10年1935年)に分けて考える(写真3)。私は桜島を一回りしながら地域により松の育成差が有るように感じた。安永溶岩原と思われる金床川の砂防ダムの辺りを見ると溶岩はクロマツを中心にするクロマツ,タブ,シイ,イタドリ,ヤシャブシ,それにクズの蔓に覆われて全く地表は見えない,悠久の自然の営みの偉大さを思わせる。此れを見ると我々人生50年の人生など儚い物だと痛感する。
 各時期の溶岩原の略図(写真3)。初め桜島のゴツゴツした溶岩原は栄養分や水分が乏しいが,この厳しい環境にシダや苔が生え,次第に枯れて腐蝕してそれにダニやバクテリアが繁殖し水を蓄える。それにススキやイタドリが侵入繁茂する草原時期と言える(写真4)。これらも成長,枯死を繰り返して次第に養分を蓄え,風媒花のクロマツや根瘤菌を共生させるヤシャブシが生育する(低木林・昭和溶岩;写真5)。この繰り返しで植物が繁茂し土地が肥沃になり,鳥や動物が集まって溶岩も風化し土となり,植物が繁茂しだす。陽樹林・大正溶岩はすっかり風化が進んで来た。陽樹の下に蔭に沿って植物が成長する極相林・常緑広葉樹林・安永溶岩に見られる。然し昭和溶岩原は松も幼くツタもまばらだ。溶岩の風化も未だ進んでいない。桜島についてこの70年の間に地形の変化と植生のパワーを肌で感じる事が出来た(写真6)。
 昭和30年ごろ南薩,大隅方面から県下,全国に松喰い虫の被害が甚だしい時期があった。全県下の昔からの街道筋に風情を添えていた松並木や磯から山川に至る海岸線の白砂青松もスッカリ枯れて茶褐色になっており非常に悲惨な状況だった(写真7)。しかし,不思議な事に桜島の大正溶岩地帯のクロマツ群には全くと言ってよいほど被害がなくて非常に不思議に思っていた。その原因については1)カミキリ虫が少ない 2)カミキリの線虫保有が少ない 3)島のクロマツは抵抗性が強い4)火山の灰やガスがカミキリの産卵を阻害する 5)クロマツの活力が高いなどの諸説がある。鹿児島大学の田川日出夫名誉教授は常緑樹を交えた適切な林相で有れば松喰い虫はこんなには繁殖しない,植生があまり松に偏りすぎて松喰い虫の栄養が豊富になって大発生したと考えられている(自然愛護:昭和50年3月)。しかし,平成10年頃になると桜島の松にも松喰い虫の被害が出始めた。なぜだろう,非常に不思議な事だった。
 昭和40年頃から溶岩原のクロマツが松喰い虫で枯れてしまって真っ赤になり景観上不味いということで,せめて世界一広いという事で有名な袴腰の辺りだけでも松を伐採して本来の溶岩原の景観を史跡として残そうとの運動が有ったのだが,国立公園だ,国有林だから切ってはならないとの事で立ち消えになった。そしてクロマツは思う存分繁茂した。此処で考えるのは,例えば城山の場合メダケの異常な繁茂により土地は非常に乾燥した。昔は苔蒸した巨木の樹皮に多数の陸棲貝がいたのだが樹木はだいぶ枯れて,山の斜面は崩れやすくなり山裾の家は危ないと言うのに,天然記念物だからメダケは切ってはならないと言って其の侭にしているような物だ。そう言いながら一方,袴腰では国立公園の溶岩原を整地して海岸に沿って赤水までの道路はあるのに,大規模な直線道路を造設し市営住宅や,マーケット,運動公園が出来ている。然も不可解な事には国立公園内だからマーケット看板の色は地味な色にしているとの事。大正溶岩原を開鑿するのと黒神・戸柱鼻方面に道路を開鑿するのとは意味が違うと思う。私は政府が重要な意味のある事には目を向けようとしないで,意味の無い事に力を入れていることに非常な不満を感じている。
 昭和50年に山根銀五郎教授が「自然保護と人間尊重」と題して「人間の生活は自然の恩恵の上に成り立っている,自然の破壊は人間生活の破滅に通ずる事を改めて痛感する」と説いておられる。我々は生まれたときから余りにも眼先の欲求に溺れ,自然開発の名のもとに自然の破壊に慣らされて来た。改めて考え直さねばなるまい。桜島は将に天然の博物館である,島の植生を見る度に考えさせられる。

写真説明
 1)昭和初期の大正溶岩(袴腰より)
 2)大正溶岩道路(烏島展望台付近)
 3)年代別溶岩原(青・安永 黒・大正 赤・昭和)
 4)草原時期
 5)低木林時期
 6)充分に繁茂した極相林(袴腰展望台)
 7)松喰い虫の被害

参考資料
 広報さくらじま(平成4年7月)
 鹿児島県森林整備課(平成19年8月) 松喰い虫被害の仕組みと対策
 自然愛護(平成5年3月) 桜島の松はなぜ枯れ難いか?
 自然愛護(昭和50年3月) 自然保護と人間尊重
 


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