=== 新春随筆 ===

悪 石 島 の「美 女」を 想 う

KTS鹿児島テレビ 社長

     山元  強
 私は船が苦手である。どうやっても船酔いするのである。鹿児島の自然や歴史を語る時、奄美諸島やトカラ列島抜きでは話になるまい。だから、そうした話に出くわすと、行ってみたい、と憧れながら、行動は臆病になる。そんな不甲斐ない気持ちの中で最近、トカラ列島・悪石島の皆既日食についてひんぴんと耳にするようになった。2009年7月22日に今世紀最長の皆既日食が、面積僅か7.49平方キロメートル、人口およそ70人のこの島で見られるという。
 すると数年前に天文館で偶然に出会ったトカラ列島を行政区とする十島村役場の副村長福満征一郎さんからお借りした本を再び読み返したくなった。早速、お尋ねしたところ、コピーしたものをお貸しいただいた。何しろ半世紀も前に出版された本なので、部数が少なく、1冊しかない蔵書を海上保安庁の方にお貸ししているそうだ。海上保安庁の巡視船は島と本土をつなぐ命綱の一つであるから、関係者が読みたくなるのは当然だろう。事実、その話も登場する。
トカラ列島・悪石島あくせきじま

 その本の題名は「美女とネズミと神々の島」である。副題は「かくれていた日本」とある。朝日新聞西部本社の記者だった秋吉 茂さん(故人)が47年前に悪石島に会社の命令でいきなり取材に乗り込み、およそ1ヶ月生活し、そのルポルタージュを新聞に連載した。その後、数年たって連載記事を補充取材、再編集し、出版したものだ。
 題名がいい。一度、聞いたら忘れることができない。中身は、島人の生きざまであり、柔らかい文体は、私のような硬派記事ばかりを書いてきた者にとっては、羨望の的である。
 「美女」とは、秋吉記者(当時)に現地妻として差し出されそうになった島の若い女性のことであるが、当時、27、8歳。まだ17歳のころ、奄美大島からやってきた若い男と恋仲になり、島の反対を押し切って同棲し、娘一人を生んだものの、やがて男に捨てられた。実名かどうか分からないが、「志乃」という。もっともこの「美女」は特定の個人ばかりでなく、島全体の女性の顔かたちが整っており、娘たちが可愛いことも指しているようにも思える。だが彼は、「島の娘のかわいさにくらべて、これ(大人の女性は)はなんというはげしい変貌であろう。長い間の粗食と、過労と、ハダシの生活が“花の命”をけずりとった残骸である」とルポし、厳しい島の暮らしぶりを浮き彫りにしている。単なる「美女」論ではない。
 「ネズミ」とは、この島に海を泳いで渡ってくる不吉な動物として描かれている。中型のネコぐらいの大きさ、というから我々がよく目にするネズミではない。普段は島にわずかに生息しているだけだが、竹の実が熟れる25年目には大集団で上陸、女竹の大豊作になる60年目には、大襲来がある。その時に大半の植物や食糧を食い尽くすので、島は深刻な大飢饉になる。「神々」とは、島のあらゆるところに祀ってある「やおよろずの神々」である。神々の祀ってある区域は、聖域であり、人間が荒らしてはいけない掟がある。飢えに悩む島人と栄養失調の自分のために、この区域のスッポンを捕り、食べてしまう記者の話も載せられているが、結局、総代(島の実力者)から、口止めされてしまう。聖域を解放し、島の暮らしに役立てようと試みた彼の行動は封印されてしまう。余談になるが、私の敬愛する東大名誉教授の月尾嘉男氏は、「ヤオヨロズ日本の潜在力」(2004年11月)を講談社から出版された。ITウォッチャーでは日本一といわれた月尾氏は、一線を退かれた後最近では、環境問題やカヌーなどに取り組んでおられる。この本の中で月尾氏は「このヤオヨロズという言葉こそが、日本という国家や民族の特徴を一言で表現しているが、これまで残念ながら、それは旧弊として軽視されてきた。しかし、画一の方向に収斂しつつある世界を多様な方向に逆転するためには、このヤオヨロズこそ、いま見直すべき日本そして世界の財宝である」と言い切っている。やおよろずの神々に新たな光が当たりつつあるのでないだろうか。
 秋吉氏に戻ろう。美女とネズミと神々の3つが織り成す島の物語を実にたくみに描写し、読むものをぐいぐいと引きずり込む。中でも本人に分からぬように食べ物などを補給し、美女「志乃」を黙って10年も支えた無口な青年とのラブストーリーは泣かせる。島の掟を破った「志乃」は、この青年との結婚を許してもらえず、隣りの諏訪乃瀬島に脱出し、新たな人生のスタートを切ったのだが、これには秋吉記者のひと働きがあった。ただ、彼は、ラブストーリーを書いたのではない。電気も医者も医療施設もなく食べ物も充分でない島に住む人々は、貧しい。しかし、彼は、「すべてが無垢で、すべてがおおまかで、すべてが自然そのものである」(本より引用)と評価し、むしろ感動しているのである。聖域スッポン話の封印も、記者が、心の底では納得したからこそ受け入れたのだろう。
 このルポの連載(10回)は、当時、大変な反響を呼んだらしい。続々と善良な経済的支援も寄せられた。
秋吉記者を記念した文学碑
仮面神ボゼ
ボゼが出現するテラに隣接するお墓の入り口に立つ石像

 実は、一昨年夏、この秋吉記者を記念した文学碑が、島に建てられた。制作者は、石彫家の半田富久氏。日航機事故の慰霊塔と納骨堂をデザインされ、海音寺潮五郎墓碑や海音寺生誕百年記念公園を手がけられた。悪石島の除幕式には、半田氏のほか秋吉夫人やご子息も参列されたという。秋吉、半田、そして海音寺潮五郎の三氏は、酒を酌み交わす盟友だった。碑は、半田氏の制作で、碑文は海音寺氏の文章である。「秋吉氏のルポルタージュは、ペーソスがあり、ユーモアがあり、男の憂えと怒りがあり、最も正確な報道文でありながら、すぐれた小説の持つ面白さをそなえている。」とある。離島でなければ、マスコミにもっと華々しく登場したであろうに・・・。
 ところで、その後、あの美女は、どうなったか。もう75歳ぐらいだろうか。この本を借りようと鹿児島市内の村役場を訪れた際、伝聞だが、健在であると聞いた。そっとして置きたい一方でどのような人生を歩まれたか聞いてみたい気持ちも湧いてくる。
 今の島には、電灯も民宿もある。医者はいないが、看護師のいる村営の医療施設もある。皆既日食で世界中の観測家たちがやって来ようとも、「やおよろずの神々」も「すべてが自然そのものである」ことも続いてもらいたい。行きもしないで念願するだけなのだが、お許しいただきたい。以上

(写真提供:十島村 福満征一郎副村長)


















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