[設立70周年記念特集]

鹿児島市医師会70年を祝して


東区・紫南支部
松本 清志
 鹿児島市医師会は戦後間もない頃創立されてから70年,会員皆様ほか関係する皆々様のご尽力により発展して今日を迎えました。誠におめでとうございます。私事ですが,はじめ鹿児島市医師会と刀圭会の違いも分からないまま,たしか先輩の勧めで入会させていただいたのはいつ頃でしたか,はっきりした記憶がありません。以前に勤めました勤務医のころには日本医師会本部については勿論,鹿児島市医師会各支部の構成や活動内容など全く知らないまま,その後クリニック開業の後になって,おぼろげ乍ら医師会組織の全体を知りました。ずっと後になりまして,図らずも執行部に参加させていただきました。当時は故 松岡克己会長の時代で,定例理事会に出席しましたところ,むかし同級生の有馬 桂理事,■島信一理事,土持昭男理事がすでに以前から活動中とのこと,うかつにもその時初めて知りました。このような有様ですから,新参の私が場違いの発言をしていたのでしょうか,「君がもの言うと手に汗が出てこまる」とあとで聞かされ,過ぎた昔のことですが反省しております。
 思い返しますと,鹿児島市医師会理事として平成8年4月から8年間お世話になりましたが,その中で最初に担当しましたのは看専校高等課程で,当時は医師会と看専校合同の大運動会があり,各支部の皆様の親睦もかねておおいに盛り上がりました。聞くところ,先輩担当理事の時代の看護専門学校の修学旅行は,客車を何両か貸し切りで行われたそうですが,のち飛行機を利用するようになりました。ある時は台風接近の中で雷鳴と雷光に機体は大揺れで,高射砲の嵐の中のようで,もしかしたらと緊張しましたが動揺する学生は居なかったようです。国会議事堂見学では,地元選出国会議員の方の案内で,テレビではよく目にする本会議室は,実際には思ったより狭い感じの空間でありました。ディズニーランドで今思い出しても愉快でないことは,初めて乗ったジェットコースターです。あの真っ逆さまに下降するスピードは危険すぎる,制限年齢を少し超えたものがお付き合いで乗ったせいでしょうか,二度と経験したくありません。できることならコースターはゆっくり下降し,やがて猛スピードで上昇する方が面白いのではないかなどと勝手に考えています。そのほか医師会病院,産業保健,経理,医事紛争,入会相談などを担当させていただき,世間について不勉強のものにとってはこの上ない経験をさせていただきました。
 そのあと閉院してから現在は在宅会員でありますが,近頃は医師会活動としては新年会や刀圭会のほかはあまり参加の機会がありません。閉院以来十数年欠席していましたが,このたび誘われるままに所属の支部会忘年会に出席しましたところ,旧知の先生が多くいらして心強く,お役には立ちませんが今後は積極的に出席したいと考えています。




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