=== 新春随筆 ===

       72歳 の 年 男 の 楽 し み
(昭和21年生)




  鹿児島市医師会 副会長 新名 清成

 趣味は,楽しみは,と聞かれればドライブと温泉と答える。ドライブを楽しむには色々なやり方があるのであろうが,自分の場合は運転そのものが楽しいようである。「ようである」とは妙な言い方だが運転をしていて楽しくてたまらないわけではない。ただ運転をしていると苦にならず,車窓の景色を味わっているとなんとなく心がおちつくのである。20年ほど前から2,3年に一度2〜4泊程度の遠出をするようになり,九州,四国,山陰方面に出向き一人旅のドライブを楽しんでいた。遠出をするときは目的地,宿泊地を決めて出発するのはもちろんであるが,出向いた先の名所,歴史を調べ,当地に着いてからはその各々を確認し見識を広め満足すると言うのが常識であろう。自分にはそのような高尚な趣味はなく,すんなりと見て廻り,ただただ「目的地に来たぞ!」の満足感のみで心は十分に満たされるのである。
 近畿以北への遠出は妻の許可がおりずなかなか行けなかったが,10年ほど前からは関東,北陸方面への遠出を妻の反対を押し切り決行するようになった。関東方面への遠出の最初は“日本の里山を見たい”の思いで小諸を目指した。島崎藤村の千曲川旅情の歌は「小諸なる古城のほとり,雲白く遊子悲しむ」までしか憶えていないので,ここまでを幾度も頭で繰り返しながら,これが千曲川か,佐久の鯉太郎とはこの辺りか,田んぼがきれいだな,などと一人納得した。その後は草津温泉に向かい立ち寄り湯でひと風呂浴びた。
 車を買い替えての最初の遠出は“富士山に行こう”であった。九州道,山陽道,中国道は慣れていたが大阪辺りの高速道路は九州,中国地方ののんびりした高速道路とは異なり,いかにも都会の高速道路の感じで,この上ない緊張の運転であった。富士山は第三内科入局間もないころ都立府中病院で勉強させてもらっていたが,鹿児島から愛車スプリンターをフェリー(宮崎県日向よりサンフラワーで川崎へ)でもっていっていたので,暇なときはよく府中から中央高速にのり,荒井由実の名曲中央フリーウェイを聞きながらこれが都会と一人満足し,あこがれの富士山に何度も通っていた。ついでの思い出であるが,府中での一人暮らしの様子見に来てくれた母を車で富士山に連れて行ったときはこの上ない曇天であった。しかしながら五合目に着いて母と過ごしたその間だけ日が差したことを今でも思いだす。富士山は自分にとっては特別な場所である。
 この富士山への遠出の後に能登半島,近畿,伊豆半島,新潟,青森,立山黒部アルペンルート,四国などへの遠出をした。このころは高速道路の物珍しさはなくなっていたので鹿児島を午後8〜9時に出発し,山陽道までの高速道路は妻に作ってもらった夜食のおにぎりを食べながら徹夜で夜中に走ることとし,大阪近傍での渋滞が始まる前の午前6時ごろに大阪をすり抜けるようになった。医師会の会議があるときは会議を終えたその足で出発した。遠出の最初の目的地に昼頃に着くときは“来たぞ,来たぞ!”とそこらを満足しながら割とすんなり見て廻り,夕方に着くときはそのままホテルへ向かう。宿泊はビジネスホテルであるが,一人で夕食を食べに出かけるのはおっくうなのでコンビニでビール,つまみ,おにぎりを買い込み一人宴会をする。翌日以後は前もってのスケジュールに沿いひたすら走る。
 能登半島への遠出は小学生か中学生のとき輪島塗のことを教えられ,何故か一生のうちに一度は行かねばならないと決めていたのでその実行であった。途中,東尋坊,永平寺を“来たぞ,来たぞ!”の思いで見て廻った。次いで白川郷へ向かったが,紅葉で有名な有料道路を通るつもりが前日で冬期の道路閉鎖となっており高速道路を走ることになった。白川郷では合掌造りなどをすんなりと見て回った。その後下呂温泉へ車をまわしひと風呂浴びるつもりであったが,うまく立ち寄り湯を探せず残念な思いをした。
 近畿への遠出は“天橋立を見たい”の思いで出かけ,その足で島根県安来市の足立美術館,下関美術館を廻ることとした。例によって天橋立はすんなりと景観を見てこれが日本三景の一つと納得した。次いで足立美術館へ向かった。足立美術館は以前鳥取砂丘に行ったときその足で立ち寄ったことがあった。借景で有名な庭があるがその優美さを十分に堪能し,ここだけはややゆっくりと過ごした。美術館巡りもこの遠出の目的であったので下関美術館に立ち寄り浮世絵の展示を見て,帰りに唐戸市場で握りずしをほおばった。伊豆半島への遠出は“富士山を色々な方角から見てみたい,伊豆の踊子の天城隧道を通ってみたい,石川さゆりの名曲天城越えの浄蓮の滝を見てみたい”の思いをかなえる遠出であった。伊豆半島の付け根にある宿から浄蓮の滝を目指す往路で車窓から朝の富士山を堪能し,復路では夕日の富士山を満喫した。鹿児島への復路では浜名湖に至るまでの東名高速で車窓とバックミラーで富士山の美形を確認し大満足であった。
 新潟は神経学会出席も兼ての遠出であった。新潟でそそくさと学会出席の手続きを済ませ日光の東照宮に向かった。日光は例により,これがいろは坂か,見ざる,聞かざる,言わざる,とはこれか,ねむり猫も見たぞとすんなりと鑑賞した。帰路は奈良の薬師寺に参詣した。
 青森への遠出はこれまた小学生の時に習った十和田湖のヒメマス養殖の和井内貞行のことが頭を離れず,十和田湖は是非一度は行かねばならないと決めていた。夜中立ちをして徹夜で26時間走り翌日の夕方6時頃青森に着いた。翌日朝早く十和田湖に向け出発し,奥入瀬渓流を車窓から見ながら十和田湖に着いた。例により十和田湖湖畔をすんなりと歩き,高村光太郎の乙女の銅像を見た。十和田湖近くに和井内という地名があることも知った。残念ながらヒメマスは食べそこなった。その足で松島や瑞巌寺を見て廻り,翌日は二度目の日光を観光した。
 去年は立山アルペンルートを目指し,富山側からアルペンルートを行くことにした。例により鹿児島を夜中立ちして翌朝6時ごろに立山に着いた。車は立山に置き,お決まりのルートを乗り物を乗り継いで観光した。途中の景色をさらりと愛で,ハイライトの黒部ダムの放水に感動し,お決まりのルートで長野側の扇沢に到着した。多くの人は冬のトレッキングや登山の装いで来ており,ルートの名所を時間をかけて楽しみ,人によってはルート内のホテルで宿泊しゆっくりと立山連峰を鑑賞するのであろう。自分の場合はダウンを着てカッコつけにほぼ空のリュックを背負い,いつもの如く,“来たぞ,来たぞ!”でいくつかの景色の名所をさりげなく通り過ぎ,目指す扇沢にたどり着いた。車は前もって業者に頼むと観光している間に代行運転し立山から扇沢に回してくれ,客が扇沢に着くと待つことなく乗れるようになっている。その日は松本に宿泊した。翌日は河口湖に向け出発した。この遠出のもう一つのハイライトは“富士五湖周辺の立ち寄り温泉を一日で出来るだけ多く立ち寄る”ことであった。松本から河口湖までは約2時間かかるが立ち寄り湯が開くのが10時であるので18時までの間に本栖湖,精進湖,西湖,河口湖,山中湖周辺の10の温泉を巡れるように計画を立てた。自分の温泉グッズ持参で,一カ所には約20分滞在とし,各温泉にある湯船には必ず一回はつかることとした。また各温泉で販売している温泉施設名の入ったタオルを購入し記念の品とした。入浴料1,500円まではそんなものだろうと思ったが,1,800円の7軒目の立ち寄り湯では,一回の入浴ではもったいない気がしてもう一度全部の湯船につかった。さすがにこの時は頭がボーとした。最終的には10の温泉のうち2カ所は入浴できなかったので8カ所の温泉に立ち寄ったことになった。今までの一日の立ち寄り記録は6カ所であったので大幅更新となった。おそらくこの記録は自分としてはもう破れないだろうと思っている。
 今年は“四国の橋を渡りたい”との思いで高松での学会出席を兼ねて遠出に出かけた。四国に架かる三つの大橋は四国への遠出の時や,本州からの遠出の帰路に,橋を渡りたいだけのためにわざわざ遠回りして幾度か渡ったことがある。早朝のすがすがしい景色や夕日の瀬戸内海を味わうのは何とも言えない良い気分になる。
 やはりドライブは“来たぞ,来たぞ!”である。
 ドライブと温泉以外の楽しみは何といっても孫である。5人の孫がいるが一年に数回会う孫と手をつないで歩いたり,食事をしたり,お話したり,遊んだりすると何とも言えないうれしい気持ちになり,おじいちゃん気分を十分に楽しんでいる。今年は72歳になるが,孫が成人するまではボケることなく見守り,できることなら夫婦揃ってひ孫の誕生を見届けたいものである。




このサイトの文章、画像などを許可なく保存、転載する事を禁止します。
(C)Kagoshima City Medical Association 2018