随筆・その他

リレー随筆


地域と家庭を守る育メン医師


鹿児島県立大島病院 総合診療科 榎木 康人

 皆様初めまして!大島病院で一緒に勤務しているというご縁から濵平昂一先生よりリレーを繋ぎました。今回担当の榎木康人と申します。鹿児島大学病院に所属されている先生が多いなか,自治医科大学卒ということで,このリレー随筆に新しい風をお送りいたします。長くなりますがお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。

 ①簡単にですが自己紹介をさせていただきます。私は生まれも育ちも鹿児島市原良です。中学,高校をラ・サール学園で過ごし,非常に楽しみ過ぎた結果,名門北九州予備校にめでたく入学,受験勉強延長戦に突入という高校・浪人時代でした。その時の予備校チューターから「鹿児島で医師生活を送れば学費が無料な医学部大学があるよ。」という殺し文句に騙されて,自治医科大学を受験し,入学。。。大学時代は働いてからの義務年限が待ってるということを一旦忘れ,フットサル,演劇部,軽音楽部に所属し,自治医科大学学園祭の実行委員長をさせていただきました。ここでも,これでもかと思うほど激しく楽しんだのですが,高校・浪人時代を反省し,大学では特に成績不良となることなく,無事に卒業,医師国家試験合格し,医師免許を得ることができました。ご存知ない方もいらっしゃると思いますので自治医科大学についてもご説明しますと,自治医科大学は各県より2~3人(鹿児島は私と同期の2人でした。)の入学者を得て,6年かけて地域・僻地医療を担う医師を育成します。その後,自身の出身県へ戻り,9~10年間診療所や田舎の中核病院,巡回診療に従事します。鹿児島県の場合,各県と比較し,離島が複数あり,医療圏において僻地が多く存在します。そのため勤務地は地域中核病院である県病院(大島,鹿屋,北薩,薩南)や赤十字病院(三島・十島村への巡回診療も兼ねてます。)に加え,南さつま市の野間池診療所,南大隅町の大泊診療所,甑島の鹿島診療所,屋久島の永田診療所,奄美大島の瀬戸内診療所を義務内卒業生20人ほどで分担しております。
 私の場合,今年度は鹿児島県立大島病院総合診療科として勤務し,来年度はまた巡回診療や僻地診療所へ転勤する予定となっております。9~10年間の義務年限が終わると,そこからは自分のしたい専門領域へ飛び込むことができるようになります。義務中に鹿児島大学入局することも可能ではありますが,医局の人事にご迷惑をおかけしてしまうことから,義務後の入局が多い現状です。私もなんとなく専門として考えている領域はありますが,まずは義務をしっかり全うすることを第一に医師生活を送っております。
 左上は学園祭の一風景です。自治医科大学の学園祭は3日間で構成され,初日が学年対抗大運動会でした。6年生で優勝した時の集合写真です。左下は軽音楽部でベースを弾いていた時のワンショットです。下手でしたが,楽しく演奏しておりました。今でも時折練習して何かの機会で演奏しております。右側上下は友人とアメリカ西海岸周辺を2週間程キャンピングカーで旅した時の写真です。
 とても楽しい大学生活でした。

学生時代の私です


 ②さて,漸く今回のタイトル 『地域と家庭を守る育メン医師』 ですが,実は私,鹿児島大学医学部地域枠卒の先生と結婚し,共に地域医療に従事しております。また7カ月になる愛娘もおり,日々仕事と育児に励んでおります。
 鹿児島大学地域医療支援センターや県庁の方々にご配慮いただき,今は同じ大島病院総合診療科で勤務しております。職場の雰囲気はとても良く,非常に働きやすい環境です。患者も奄美群島を広域にカバーしていることもあり,多岐に渡ります。色々な症例を数多く経験しながら,からっぽな頭を悩ませながら,地域住民の健康を守るため努力している毎日です。大島病院は複数科を抱えた,鹿児島県内では比較的大きな総合病院です。そのため鹿児島大学医局から派遣でいらっしゃる先生方には公私に渡り,大変お世話になっております。自治医大卒で医局に所属していない私ですが,科の垣根を越えて,多くの先生が治療方針や手技,診察・検査技法を教えて下さいます。地域で不足する科の対応をする時に役に立つからと,皆さんとても優しい先生ばかりです。また義務年限を終えたのち,「入局を待ってるよ」,とお声かけ下さる先生もいらっしゃいます。同じ鹿児島で医師生活を送る上で,所属のない私にとって,こんなにも嬉しいことはなく,働く場は違えど,一緒に地域を守っているのだなと心強く思います。
 私生活の話もさせていただくと,夫婦共働きということもあり,家庭では娘に非常に甘々な親バカ道を突っ走っている状況です。夫婦揃って子供好きだったことに加え,すぐに子宝に恵まれたこともあり,娘の日々の成長を楽しく見守るという,幸せな毎日を送っております。妻は産後4カ月で保育園に預けるという,後ろ髪を引かれるではなく,後ろ髪が離れず動けないような状態での仕事復帰でした。最初のうちは娘に対し,共に申し訳ない気持ちで一杯でしたが,保育園の職員の皆様にとても大事にされる娘の姿を見て,今では預けて良かったとさえ思うようになりました。保育園でたくさんのお兄ちゃん,お姉ちゃんと一緒に生活する影響か,齢7カ月にしてお座りはおろか既に掴まり立ちを覚え,今にも歩こうとしている娘に日々驚かされるばかりです。通園する園児数も100人を超え,決して多くはないスタッフの数で,こんなにも一生懸命大事に育てて下さる保育園職員の皆様に感謝してもしきれません。こういった地域の医療以外の現場をみることも,地域を知る上で,地域を診る上でとても大事なことなのではないかなと思っております。仕事での派遣と言ってしまえば,それまでですが,折角その地域で勤務するというご縁をいただいたからには,その地域を楽しむことも地域医療の一環ではないでしょうか。またそのように楽しめた方が,仕事へのモチベーションも高まるといったものです。
 私は昔からその場,その環境で如何に楽しむかを考えることが好きな人間でした。今も大島病院の職員にお声かけし,フットサル同好会を設立して共に汗を流しております。医師,薬剤師,コメディカル,事務と幅広く集まっていただき,初心者・経験者問わず和気藹々と活動しています。また病院の忘年会で楽器演奏したり,一芸を披露したりと色々とさせていただいております。勿論遊びだけではありません。家事育児も積極的に参加しています。もともと料理が好きだったこともあり,妻に新しいレシピを教えてもらいながら一緒に作ったり,掃除洗濯も可能な限り,一緒にしています。妻が楽しそうに家事育児をするため,自然と手伝おうという気になりました。全てができているわけではありませんが,これからも可能な限り,共に頑張っていこうと思っております。何より娘と遊ぶのが楽しく,仕事の疲れやストレスも帰ってくると一気に吹き飛ぶため,全く苦ではないんですがね(笑)。
 左下と右下は愛娘『陽奈子(ひなこ)』です。平成29年2月3日に生まれました。私自身男3兄弟だったため家庭に女の子がいるというのは初めてです。毎日の癒しで,可愛いですね。良く笑い,帰ると満面の笑みで迎えてくれます。

私生活写真


奄美祭りの一風景
消化器内科,脳神経外科,救急集中治療科の先生方と。

100日記念での家族写真
これからもたくさんの思い出を作っていきます。

 ③最後にこれからの目標ですが,まだまだ地域も家庭も守れる育メン医師にはなれていない現状です。地域医療を通じて,地域に溶け込み,妻と共に医療・家庭と研鑽を続けていく次第であります。何が正解かは現時点ではわかりません。しかし,医療現場で患者さんに真摯に向き合い,一生懸命考え,治療を行い,家庭では家族仲良く,お互いを思いやることを忘れず日々を過ごしていけば義務年限が終わる頃には何かを見つけられているのかなと考えております。私の育メン医師生活はまだまだ始まったばかりです。楽しみながら頑張ってみようかなと思います。今回この随筆文を読んで下さった先生ともいつかどこかで仕事をご一緒させていただくこともあるかもしれません。その際は夫婦ともにご指導ご鞭撻を賜ることができたなら幸甚であります。拙い文章となりましたが,お付き合いいただき誠にありがとうございました。















次号は,鹿児島県立大島病院の松田耕輔先生のご執筆です。(編集委員会)





このサイトの文章、画像などを許可なく保存、転載する事を禁止します。
(C)Kagoshima City Medical Association 2017