[緑陰随筆特集]

自 家 用 乗 用 自 動 車

南区・谷山支部 水枝谷 渉

ベンツ夫人が運転した自家用乗用車第1号(1885)
yanase-kagoshima提供

 実用的な自動車が開発されたきっかけは,1867年,ドイツ人オットーによるガソリンを燃料とする内燃機関の発明であり,これを応用して1885年,同じくドイツ人ダイムラーとベンツがほぼ同時にガソリンエンジンを搭載した自動車を造り出した。中でもベンツ夫人は自社製三輪自動車をみずから運転して路上に乗り入れ“訓練と知識さえあれば誰でも操縦できる”と宣言し,自動車を自家用乗用車としての道を開拓した第一人者である。因みに操縦という字の意義は,縦ホシイママに操アヤツるという意味でドライブともいうが,飛行機の操縦は別にコントロール(制御)という言葉で区別されている。いずれにしてもベンツ夫人が“訓練と知識さえあれば誰でも・・”という条件を付けながらも,自動車を人間の足として一般市民の生活に導入した功績は大きく,それまで馬に頼るしかなかった生活様式を一変させた。生き物である以上,馬は使わない時でも餌を与えねばならないし糞の始末やねぐらの掃除も欠かせない。速いといっても当時英国やアメリカ東部で使われていた郵便馬車の最高速度は時速11.2㎞だった記録からも自動車には遥ハルかに及ばない。因みに今話題になっているオリンピック予選の100m種目が,仮に10秒を切ったとしても計算してみると時速36㎞に過ぎず,これが人間や馬の限界である。そして現在,救急,消防のほか居住性まで持つに至った自動車の効用は発明者の想像を超えた。そして問題点も増えた。
 かつて1970年代,トロントに滞在する機会を得たが,所持して行った国際運転免許証の有効期限を超える滞在であったため,事前にカナダの運転免許を取得する必要に迫られた。手続きをすると,先ず学科試験に合格することが実地試験の条件であった。日本とは逆である。理由を聞いたわけではないが,今思えばベンツ夫人の云った訓練と知識の二つのうち,学科試験の合格つまり知識の水準を条件とし,これに合格出来ないような者に自動車の操縦などもってのほか・・という意が汲み取れる。しごく当たり前のことである。本邦の制度では操縦の技量さえあれば,学科・法規は常識程度のものと考えられてはいないだろうか。のちにドイツでの免許取得がさらに厳しい水準であったことから合わせ得られた個人的見解ではあるが,日本の免許水準が甘いということは事実である。たとえば,レーン変更の際,ウインカーをどのタイミングで出し,追い越した車の前に入る時のサインの出し方など,ドイツをはじめヨーロッパ各国の路上では,後続車のフラッシュサインなしにレーン変更をしてはならない厳しい規則がある。また,教習所では黄色の信号が点灯したらそれは停止であってブレーキを踏め・・と教えられた筈であるが,この目で見る限り,黄色信号は速度を上げて突破せよと理解しているらしい。これらは法規の遵守意識に欠けるとしか云いようがなく,草鞋 ワラジ から靴に履き替えた民族の認識不足,学科を厳しくしている欧米の制度や理念と大きく異なる本邦の欠点であると思う。はじめに条件あり,つまり“訓練と知識”と云ったベンツ夫人の理念から教え直す必要があるのではないだろうか。
 また最近,興味ある情報を耳にした。それは車輌事故発生件数を車種別に分析した結果,業務用,自家用にも,また車種の大小にも有意差はなかったのに対し,フロアシフト車とオートマ車との間に若干の差が見られるという傾向である。しかもこれがヨーロッパの自動車先進国では殆ど差がないのに対し,日本における事故発生件数と,オートマ車の普及率との間には明らかな相関が見られる・・という調査結果である。確かにフロアシフト車は時代遅れというイメージがわが国では漂っている。しかしヨーロッパでの傾向だが,年齢に関係なくフロアシフト車の利用者が多いのは確かである。オートマ車の開発は本質的に操縦の利便性を向上させた,が,しかし車をほしいままに操れる装置ではない・・ということの自覚が失われがちではないだろうか。

ベンツ第1号車のスケッチ
操作はすべて手動,正面にハンドル,左側下にブレーキレバーが見える。




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