随筆・その他

リレー随筆

『僕と音楽と,時々オーディオ』


鹿児島県立大島病院 神経内科 有水 琢朗

 鹿児島県立大島病院・神経内科の有水琢朗です。同僚の脳神経外科・東先生より飲み会中にいい気分でいるときにバトンを渡されて,酔った勢いで快諾してしまいましたが,いざパソコンの前に座ってみると,ネタがまったく浮かばず,何を書こうか1週間くらい寝る前に床の中で考えておりました。仕事のことを書くのも面白くないし,書くとしたら趣味について,が無難なのですが,趣味といえば,音楽鑑賞,サッカー観戦,読書,子供と遊ぶこと,くらいで,ゴルフをするわけでもないし,楽器も弾けません。その他の高尚なことも全くしておりません。まあ,一番好きなのは音楽で,いろんな曲,アルバムがいつも人生の片隅にはあり,恥ずかしい思い出からハレの日まで何かしらの曲やアルバムがリンクして思いうかびます。また,小説家・奥田英朗の「田舎でロックンロール」という彼の青春時代の音楽エッセイをたまたま読んだこと,さらにテレビで某作曲家(TKさん)が曲を作る時に大事にしていることは?との質問に,「思い出とリンクするような曲を作る」と話しているのをたまたま見て,ああやっぱり自分の半生と,リンクした音楽について書こう,と決めました。皆様も「青春時代の思い出の曲」が多かれ少なかれあると思います。私の音楽遍歴の紹介と思って,興味がなければ読み飛ばしてください。読んでくださる方は,そのCD知ってる!というものもあれば,なにそのアーティスト,知らんよ,というものもあるかと思います。適当にお付き合いください。また,凝ってはいませんが父に影響を受けて少し興味のあるオーディオについても書いてみようかと思います。

①幼少期~小学生
 まず,音楽を好きになったのはやはり父親の影響が大きいかと思います。私の幼少時,1980年代後半から父親がオーディオに凝り始め,家の中で音楽を大音量で聴くようになりました。流行りの音楽からクラシックやジャズまで色々と流れており,一番最初に記憶した曲はチャイコフスキーの「くるみ割り人形」だったと思います。かといってクラシック音楽にはまったかというとそういうものでもなく,単にメロディが気に入っただけでした。
初めて買ってもらったCDは槇原敬之のアルバムでした。小学1年生の頃でしたが,朝の会で「どんなときも」を歌うからであり,自分の意思で買ってもらった,とは言えません。初めて自らの意思で購入したのは,小学5年生の時,Mr.Childrenのシングルであるシーソーゲーム(今ではお目にかかれない,8㎝シングル,細長いやつですね)でした。まあ男女の恋愛を歌った曲で,小学生当時の自分は歌詞をまったく意味もわからず,ただメロディを気に入って親にねだって買ってもらったと記憶しています。今でもMr.Childrenは聴くのですが,やはりシーソーゲームを聴くと,よくこの曲を小学生の自分が好きになったな,と苦笑してしまいます。またビートルズ好きの父親にベスト盤である所謂,赤盤,青盤を買ってもらって聴いていました。昔は赤盤が好きでしたが,歳をとってからは青盤のほうが好みです。ビール好きがウイスキー好きになるような経年変化でしょうか。
 この当時,オーディオは自分用のものはなく,父親のONKYOのコンポでかけてもらっていました。

②中学生
 中学1年生になって初めて,小遣いで,アルバムを買いました。これまたMr.Childrenの「深海」というアルバムで,今でも大好きな作品で,Mr.Childrenの最高傑作と思います。このアルバムは全体的に暗いアルバムではあるのですが,中学生当時,何故かはまって,以降も愛聴盤となっています。大学生のころ,試験期間中に鬱々と車を運転しながらハミングしていたこと,嫁さんと付き合い当初に,このアルバムがお互い好きなことで盛り上がったこと,などが思い出されます。いま聴いても色褪せない作品です。また中学生になってしばらくしてからは,いわゆるヴィジュアル系バンドが全盛期を迎え,御多分にもれず,よく聴いていました。1990年代中盤のころですね。LUNA SEA(アルバムではMOTHERとかSTYLEが好きでした)とかよく聴いていまして,エレクトリックギターも買ってもらってちょっとだけ習いに行っていましたが,全然上手くならず,今では弾けません。やれやれです。
 オーディオシステムは父がJBLのスピーカーを購入したため,父のお下がりのONKYOのコンポ(製品名不明)を使用していました。

③高校生
 友人になったジョージ君(現在はアメリカ在住)の影響もありB'zを聴き始めました。そこを入り口に洋楽を聴き始めましたが,いわゆるヘビーメタルとかハードロック(当時はBONJOVIとかですね)にはさほどハマりませんでしたが,レッドツェッペリン(1969年~1980年が活動期です)は好きになりました。よって1970年代からの名盤と言われる作品が気になり始め,探求心に火が付きました。雑誌を読み漁り,気になる作品は沢山みつかったのですが,その当時インターネットはまだ普及しておらず,試聴はまったくできませんでした。幸いにも天文館にはCDショップが幾つかあり(当時はCROSS以外にも十字屋があり,これ以外にもいくつかありましたね),学校帰りによく立ち寄って試聴していました。試聴ができないアルバムは,雑誌のレビューを見て,おそらく気に入るだろうと思ったものは注文していました。その当時の自分の趣味ではなく,外れもたまにありましたが,時間が経って聴くと,「これ,割といいな」というものもありました。例えばStrokesのアルバム「IS THIS IT」とか,最初聴いたときは「なんだこのスカスカな音は・・・。無駄金だったな・・・。」と思っていましたが,いまでは愛聴盤になっています。
 この当時,色々と購入しましたが,今でもよく聴くのはB'z「SURVIVE」,オアシス「モーニンググローリー」,ジェフ・バックリー「Grace」,ニルヴァーナ「in utero」,デビッド・ボウイのベストアルバム,ですね。ミレニアムを迎えた2000年当時,高校でデビッド・ボウイの「golden years」を口ずさんで,同級生のりょうぞう君に「何,変なの歌ってんだよ?」と真顔で聞かれた記憶があります。「ボウイだよ」と答えて,「布袋寅泰の?」と言われて世間一般との乖離を感じました。他にはレディオヘッドの「OK COMPUTER」,「KID A」なんてのも聴いていました。友人のジョージ君に薦めようと「KID A」を聴かせて,「お前こんなん聴いてんのかよ・・・意味わからん」て言われましたね。ああ懐かしい。ミスチルの1999年のアルバム「DISCOVERY」は「OK COMPUTER」からの影響を結構感じますね。そこら辺を一人でニヤニヤしながら聴いていた頃でした。
 この頃のオーディオシステムは父がTANNOYのスピーカーを購入したため,父からお下がりでもらったB&W802(バワーズアンドウィルキンス,イギリスのメーカーです),ヤマハのプリメインアンプ(商品名不明),ヤマハのCDプレーヤー(商品名不明),でした。価値もわからずただただ,大音量で音楽を聴いて楽しんでいた時代です。

④浪人生
 めでたく現役で医学部合格!ともいかず,浪人生活へ突入しました。自分が肩書を持たない,何者でもない時期というのは思い出すだけで辛くなりますね。まさに暗黒時代。この頃はCDを買いまくるなど当然無理で,CD購入もあまり出来なかったのですが,稲葉浩志「志庵」や宇多田ヒカル「Deep liver」を購入してMDに録音して,友人のジョージ君(前述と同じ人物です)と予備校で一緒に聴いたり,実家から予備校までの行き帰りにもバスの中でよく聴いていました。これまで洋楽ばっかり聴いていましたが,日本語詞が心に響いてきましたね。とても励まされました。今でもこれらを聴くと,当時の何とも言えない気持ちが思い浮かびます。

⑤大学生
 2浪の末に宮崎大学になんとか合格して,一人暮らしが始まりました。ご存知の方もいらっしゃると思いますが,宮崎は民放テレビが2つしかなく,ケーブルテレビに入ることにしました。そこで,MTVやスペースシャワーTVといった音楽専門チャンネルの視聴が可能になり,いろいろな音楽を聴けるようになり,浪人時代の憂さを晴らすかのごとく,さらに様々な音楽を聴く,買うようになりました。基本的には洋楽,ロックが多かったですね。音楽の趣味が合う部活の先輩(すがはらさん)や同級生(あきおかくん)がいて,お互いにこれがお薦め,とかこれはダメだった,とかよく話していました。
 洋楽ではナインインチネイルズ,レッドホットチリペッパーズが特に好きでした。レッドツェッペリンの過去のアルバムを幾つか購入したり(Ⅳとか,PRESENCEとかですね)もしていました。デビッド・ボウイもアルバムを幾つか購入しました(HEROESがお気に入りです)。ビートルズも「アビーロード」とか後期の作品を揃えました。大学低学年の頃,流行していたのは洋楽ではラウドロック/ミクスチャーロックという,ハードロックとラップを足したような音楽で,その中ではインキュバスというバンドが好きでよく聴いていました。その後は1980年頃の音楽であるニューウェーブ(U2とかが有名)の影響を受けたバンドが多く現れ,BLOC PARTY,フランツフェルディナンド,など流行っていました。BLOC PARTY「WEEKEND IN THE CITY」はお気に入りで今でもよく聴きます。あとはThe MUSICっていうバンドも好きでよく聴いていました。
 邦楽ではアジアンカンフージェネレーションとか,RADWIMPSとかが好きでよく聴いていましたが,洋楽8割,邦楽2割くらいでした。
オーディオシステムは県外で一人暮らしでもあったため,入学後しばらくはRogersのモニタースピーカーLS3/5Aという小型スピーカーをこれまた父親からのお下がりで持参し,高校時代から引き続きのヤマハのプリメインアンプ,CDプレーヤーはヤマハのもの(GT-CD2)を使用していました。RogersはイギリスBBCのモニタースピーカー(スタジオで使用する原音に忠実な,スピーカー)で癖のない,良質なスピーカーでした。インピーダンスが高く,鳴らしづらいのが欠点でしたが,使用しなくなった今でも実家に置いてあります。気に入っていたのですが,大学3年生の時に父がJBLのスピーカー4428をプレゼントしてくれまして,アンプもお下がりですが,ラックスマンのプリアンプ(LUXMAN C7f),マランツのパワーアンプ(marantz/SM17-SA)へ変更,CDプレーヤーは引き続きヤマハ(GT-CD2),という学生には分不相応なオーディオシステムで聴いていました。イギリス産のRogersと比べてJBLはアメリカ産らしい生々しい音であり,ライブ感がとてもあるスピーカーです。違う音で聴くと,今まで興味がなかった音楽も聴いてみたくなり,ジャズも聴き始めました。ビルエバンス「WALZ FOR DEBBY」,キースジャレット「ケルンコンサート」,ソニーロリンズ「ニュークスタイム」,ナットキングコール「アフターミッドナイト」などまあ定番なものばかりですが今でも聴いています。ジャズは1950年代~60年代,ビッグバンドよりはシンプルなトリオ,カルテットくらいが好みです。

⑥社会人
 社会人になってからはあまり新しいアルバムは購入しなくなりました。Mr.Childrenのアルバムや宇多田ヒカルの新譜は毎回購入していますが,流行りの音楽はあまり受け付けられなくなりつつあります。「近頃の若いもんは・・・」と昔からある言い回しですが,まさに「近頃の若もんの音楽は・・・」になってきました。年齢のせいなのでしょうか,邦楽,洋楽とも特にヒットチャートの曲の大半は琴線に触れません。そこでもはや古典と化している過去の作品を大人買いしたいのですが,我が家には幼子が2人いるので,家では聴く余裕はなく,自動車内で聴くことくらいしかできないので買わずにいます。そのうち,そのうちとは思っているのですが。
 オーディオシステムは異動のため,鹿児島市内の自宅に置いたままにしてありますのでなかなか楽しめてはいませんが,たまに帰って音を鳴らすと,カーステレオとはまったく違って,音の粒がはっきり,くっきりしており,同じ作品でも全然響きが異なり,やはり音楽はいいな,と思います。また実家にある私のよりも随分凝っている父のオーディオシステムで聴くと,「ああ,この演奏にはこんな音が鳴っていたんだ」と感嘆します。
 もちろん素晴らしい作品があってのオーディオではありますが,素晴らしい作品は良いオーディオで聴くと違う感動と発見があります。私のオーディオシステムは大学生当時のままですので,いずれは色々と(嫁さんの許可が下りれば,ですが)購入,変更してみたいと思っています。家を建てる機会があれば,ぜひ,シアタールーム,オーディオルームを作って,心行くまで音楽を堪能したいのですが,はてさて,叶うやら・・・。

 駄文にお付き合いいただきありがとうございました。これを読んで,お薦めがあるよ!という方がいらっしゃいましたら是非お声掛けください。

次号は,鹿児島県立大島病院の鮎川卓朗先生のご執筆です。(編集委員会)





このサイトの文章、画像などを許可なく保存、転載する事を禁止します。
(C)Kagoshima City Medical Association 2017