最近のテレビ・ニュース番組を見ていると,“Jアラート”の言葉を聞くことが多くなった。これは大地震・大津波など大規模災害や,有事関連情報伝達時の「全国瞬時警報システム」のことらしい。特に後者は北朝鮮のミサイル発射などに際し実施され,平成16年2月にミサイルが沖縄上空を通過した時に発せられたことがある。最近では宮城県の大崎市役所内でテスト放送中,誤って市内全域に流れて大騒ぎとなった。実際にどんな音かと聞いてみたら,戦争末期にしばしば聞いた空襲警報と同じなので驚いた。今は80歳以上の後期高齢者でないと聞いた経験はないと思うが,これを聞いたら走って防空壕内に逃げ込まないといけないので,思い出したくない不気味でいやな音だ。
米国ではオバマ大統領の後,大方の予想を裏切ってトランプ氏が政権を受け継いだ。彼は財界出身の大富豪で政治の経験は無く,世界情勢は大きく変化してきた。つまり世界の警察官を担うという従来の伝統的役割を投げ捨て,自分の国だけ良ければよいという「アメリカ・ファースト」をスローガンとして一般大衆の支持を獲得した。
日本関連で一番驚いたのは「在日米軍の駐留費は全額日本が負担しろ,さもなくば米軍を引き揚げる,自分の国は自分で守るのは当然だ」という要求であった。
昭和20年8月の敗戦により,マッカーサーを総司令官とする占領軍の統治が始まったが,早くも翌昭和21年11月3日には明治憲法に代わって日本国憲法が公布,昭和22年5月3日に施行され,今年は丁度70周年になる。本来,統治能力が無い占領下で,憲法のような重要法案を変えるのは良くないとされている。しかし,マッカーサーは昭和天皇との最初の面接で命乞いに来たと思ったのに,「たとえ自分の身はどうなろうとも,国民の命は助けて欲しい」との言葉にいたく感動した。そしてソ連やオーストラリアのように天皇をA級戦犯として裁くべし,との戦勝国の意見が有るし,また極東委員会に邪魔される前に,天皇を元首とする憲法を速やかにつくるべきと考えた。昭和20年10月に発足した幣原喜重郎内閣では,ポツダム宣言に合うように国務大臣の松本烝治等が憲法草案を作成していたのが毎日新聞にスクープされた。マッカーサーはその松本草案の提示を命じたが,明治憲法と殆ど変らなかったので認められず,GHQ(総司令部)が独自に作ることになった。そして,①天皇制の維持,②戦力の不保持,③封建制度の廃止の三つを基本条件として織り込み,驚いたことに僅か9日間で草案を作成し,英文のまま日本政府に提示した。松本大臣は法制局の佐藤達夫,入江俊郎等と共にこれを基に草案を作成し直し,閣議で決定したのち約2週間後GHQに返答した。
昭和21年5月,第一次吉田 茂内閣が発足し,6月から衆議院で憲法草案の審議が開始された。一番問題になったのは戦争放棄を定めた9条である。マッカーサーは太平洋戦争で日本軍との戦いに手こずったので,日本弱体化政策の柱として,例え自衛のためでも軍隊の保持は禁止,交戦権も認めないとした。国会で中国の亡命から帰国した共産党幹部の野坂参三が「自衛のための軍隊がないというのでは,国の独立が保てる筈はない」という詰問に対し,「心配はない」と吉田首相は苦しい答弁をした。結局賛成421,反対8(共産党など)で衆議院を通過した。護憲派に変わっている現在の共産党とは大違いである。そして先進国で唯一戦争放棄を謳った憲法となった。マッカーサーは当分戦争は起こらないから,平和を愛する諸国を信じておれば,無防備でも大丈夫だと妄想を持たした。日本国民は長い戦争にうんざりしていたので,東洋のスイスになるのだと歓迎ムードに包まれていた。当時,私は七高の学生だったが,調べてみたらスイスは徴兵制度でしっかり国を守っているので,だまされたような気がした。
昭和20年5月,ドイツが降伏し,西は米英,東はソ連に分割統治され,ソ連に占領されたポーランド,チェコ,ハンガリーなどには共産主義政府が誕生した。当時,父はハンガリーの陸軍駐在武官だったがソ連に保護されモスクワに滞在し,終戦2週間前に帰国した。8月にソ連は日ソ不可侵条約を破棄して満州,北朝鮮,樺太,千島に侵攻して占領し,米国から2発の原爆を落とされ,日本はポツダム宣言を受諾して降伏した。中国では毛沢東軍が蒋介石軍を台湾に追放して共産党独裁国家を樹立した。ここで欧州の東西及びアジアの南北冷戦が始まり,太平洋戦争終結による平和は数年にして破られることになった。
昭和25年6月22日,ソ連の指示を受けた北朝鮮軍が突如として38度線を越えて韓国に侵攻し,遂に熱い戦争となった。韓国には駐留米軍が殆ど残っていなかったので,4日後にはソウルが占領され,怒涛の如き勢いで釜山近郊まで迫った。マッカーサー総司令官は腰を抜かさんばかりに驚いて,早速日本駐留米軍を中心に国連軍を組織して韓国の仁川に逆上陸させて北朝鮮軍を退却させた。手薄になった日本を守るため,日本政府には7万5千の警察予備隊の創設を命じた。これは小型兵器装備の事実上の陸軍であるが,自分の作った憲法9条のため陸軍とは呼べなかった。また海上保安庁に8千人の増員を指示した。米国のトルーマン大統領は米軍は中国との国境に近づいてはならないと指示していたのに,米韓両軍は中国国境の鴨緑江に達した。すると30万の中国義勇軍が攻め込んできたので,38度線まで退却してやっと休戦となった。マッカーサーは原爆を使ってでも中国軍を破るべきと,トルーマンに進言したが容れられず,逆に総司令官の身分を解任された。
昭和23年秋,私は半年後に七高の卒業を控えた時に肺結核で倒れ,朝鮮戦争の時は病気療養中であった。ストマイ等の特効薬はまだなく,大気,安静,栄養療法が主であった。しかし焦土と化した日本経済はどん底で,食べ物もお金もないという状況で苦しかった。それが朝鮮特需でみるみる内に好転して楽になり,日本復興が大きく増進した。
昭和26年9月,サンフランシスコにおいて吉田首相が主席全権で対日講和会議が開かれ,日本は独立を取り戻したが,軍備がないので同時に日米安全保障条約が調印され,在日駐留米軍がそのまま留まることになった。少し前にジョン・フォスター・ダレスが特使として打ち合わせに来日して再軍備を勧めたが,吉田首相はまだ経済力がないといって断ったという。これで9条改憲のチャンスを逃し今日に至っている。同じ敗戦国のドイツはさっさと再軍備して,NATO軍の中核となった。
日本の警察予備隊は装備を充実させて陸海空の自衛隊となり防衛庁も防衛省に昇格(平成19年)している。従弟の一人がラサール高校から防衛大を卒業(2期生)して航空自衛隊に入り,若い頃は戦闘機のパイロットで活躍していたが,中堅幹部になってから防衛省勤務となった。学会などで東京に出張した時は良く会いに行った。自分では国土防衛という命を懸けた大事な仕事をしているつもりだが,一般の人は誇りある仕事と思ってくれないようで,憲法に自衛隊の規定が一語もないのが悲しいという。さすがに税金泥棒だとか偽にせ軍人という人はいなくなったが,今でも背広で出勤して防衛省で制服に着替えているという。戦争中,私は陸軍幼年学校の生徒だったが,街に出ればエリート将校の“たまご”だと,羨望の眼まなこでみられたのとは大分違うようで気の毒に思った。彼は空将まで勤めて退官した。
戦車や戦闘機,イージス艦や潜水艦までもった自衛隊は誰がみても軍隊で,自衛のためでも軍隊は持たないとして施行された日本国憲法では違憲的存在だ。しかし独立国は国連憲章も認めているように個別的自衛権を保有しているし,9条2項の芦田修正もあり合憲としている。でも政府は用心していまだに自衛隊は軍隊でないといっている。だが最近では集団的自衛権も違憲ではないと解釈改憲しているのは問題で,もし海外で隊員が捕虜となった時,武装したテロかゲリラ集団と見なされ,直ちに処刑されても文句は言えない。従って一日でも早く9条を改めるべきだ。
そもそも長いこと経済大国第2位(現在は3位)という日本が,自分で自分の国を守れないというのは情けない話で,トランプ大統領から指摘されて長年の平和ボケから目が覚めた日本人が増えてきた。日米安保で米国が日本を守っていると思うのは妄想で,日本駐留軍は米国本土を守るためにいるので,日本を守るために死んでも良いという米兵は一人もいない。日米安保では日本が攻撃を受けた時,駐留軍は一応自衛隊を助けるが,片務的で逆はない。しかし安倍晋三内閣は解釈改憲で,違憲とされる集団的自衛権の一部を認めたので少し状況が変わってきた。70年に亘って安保タダ乗り論でやってきたが,トランプ氏が大統領に決まった時,安倍首相は真っ先に彼の所に駆けつけて,日米同盟に変化のないことを確認した。しかし日本が依然として米国の従属国であることは変わりなく,改憲して真の独立国になるよう安倍首相に期待して止まない。
トランプ大統領就任以来,北朝鮮を取り巻いて凄くキナ臭くなってきた。北朝鮮に対し日米韓と国連が核とミサイル開発を止めるよう再三に亘り忠告し経済制裁も加えてきたが,全く効果は無い所か逆にエスカレートしている。世界の警察官を止めると言っていたトランプ大統領は,逆に毒ガスを使用したシリアに59発のミサイルを撃ちこみ,パキスタンに超大型爆弾を落としたり,原子力空母を朝鮮海域に派遣したり,また中国の習近平主席になんとかしろと注文つけたりで180度変わってきた。
これに対し金正恩委員長も負けておらず,戦争となれば日本や韓国は原爆ミサイルの攻撃で火の海となると警告している。毒ガスもあるようだし原発が狙われたら大変だ。いまや一触即発の危険な状況で,テレビでも“Jアラート”が発せられた時の訓練なんかしてないのでどうしたら良いか分からない,というのが話題となっている。核シェルターなどが紹介されているが,日本には殆どないようだし,韓国には沢山あるという。
昭和16年12月8日,東京青山の青南小の6年生の時の朝,繰り返し放送される日米開戦を知らせる臨時ニュースに驚いたのが昨日のことのように思い出される。翌年,東京府立一中(現・都立日比谷高校)に入学,戦争には何としても勝たねばの思いから1年修了後,陸軍幼年学校(大阪に配属)に進学,戦争末期の夜間空襲では大阪市の郊外にあった学校から真っ赤に燃える街が良く見えた。
昭和20年7月初め,本土決戦で米軍が和歌山海岸に上陸した時は,我々幼年校生徒も戦闘に参加することになり,家族に別れを告げるため5日間の休暇が出た。当時,父はモスクワにおり,文系大学に行っていた兄は学徒出陣で陸軍少尉になり広島の部隊に配属され(原爆投下時は山口部隊に短期出張中で奇跡的に生存),母は東京から郷里の鹿児島に疎開中で,結局,大阪から鹿児島に向かった。途中姫路近くで空襲警報が鳴り列車は止まった。窓から外を見ていると,グラマン戦闘機がパイロットの顔が分かるほど急降下してきて,両翼からロケット弾をドカンと発射した。生きた心地はしなかったが,幸い弾がそれて助かった。鹿児島に着いたら街はなく焼け野が原なので驚いた。
今年5月3日の憲法記念日,都内で開かれた改憲派の集会に,安倍首相はビデオメッセージを寄せ,自分の任期中の2020年までに憲法改正を実現する方針を発表した。特に9条については現行の1項,2項を維持した上で,自衛隊に関する条文を3項に追加するという。9条改憲は自民党の党是で,既に9条2項を削除し国防軍を創設するという改正案ができているが,それとは全く違う党総裁としての意見なので,自民党内に衝撃を与えた。
国会の憲法審査会ができて10年経過したが,具体的な改憲の議論は全く進まず,無為に過ごしている実態に安倍首相はシビレを切らしての発言と思われる。自衛隊の最高司令官として,命を懸けて任務を果たしますと宣誓している隊員に対し,せめて憲法に自衛隊の1語を入れたいという一心から出たのだと推定される。いきなり本命の国防軍創設ではハードルが高く,公明党の了解も得られず,国民投票もクリアできないので次善の策と思われる。自衛隊の幕僚長経験者は概ね賛意を表明しているようだ。
国民の多くは9条があるから侵略されないと勘違いしたり,日本の防衛は米国がやってくれると国民は信じていて,自分で自分の国を守ることを考えたことがない。ベトナム戦争で米国は南ベトナムを支持して戦ったが,北ベトナムに勝てないと分かった途端,米軍はさっさと引き揚げたことなど忘れている(1975年)。それと国防軍になったら徴兵制度になっていやだと考える。しかし先進国の大部分は志願制度(米,英,仏,独,伊,スウェーデン‥‥)で,徴兵制度(露,中国,スイス,イスラエル,韓国,北朝鮮,台湾)は少数である。
しかし安倍首相案にも色々問題はある。9条2項に戦力の不保持を謳っているので,自衛隊は違憲であるという学者がまだいる以上,自衛隊の任務を9条3項にどのように書き込むかについては工夫がいる。2項削除の上,自衛隊記載ができれば問題は減るのだが。それと本命の国防軍設置に切り換えるのは何時になるか霞んでしまうという意見もある。
北朝鮮問題も何とか戦争を避けるよう皆で努力しなければならない。しかし備えあれば憂いなしで,かねてから対策を考えて実行する必要がある。9条守って国滅ぶになっては困る。

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