随筆・その他

リレー随筆

フェデラー対ナダルの決勝戦を観て思ったこと


中央区・市立病院支部
(鹿児島市立病院) 田平 達則

 僕の趣味はテニスです。テニスをすることで日々の健康や体力をキープしております。
 テニス観戦も好きで,中学生の頃から観ておりましたので,なにか義務感のような気持ちで今でも観つづけております。

 2014年8月に開催された男子テニスの全米オープン(4大大会の1つ)で錦織 圭選手が準優勝に輝いてから日本でもテニスの試合が多数放送されるようになりました。リレー随筆のお話をいただいたときは錦織 圭選手の素晴らしさに関して書いてみようと思っていたのですが,2017年1月に開催された男子テニスの全豪オープン(4大大会の1つ)の決勝がロジャー・フェデラー(スイス)対ラファエル・ナダル(スペイン)という名選手中の名選手に挙げられる二人の対決になったことに感動してしまい,フェデラーとナダルのことを書いてみようと思います。

 2000年代から,男子テニスは面白く,素晴らしいプロスポーツになったのではないでしょうか。多くの解説者が口を揃えて現在の男子テニスは歴史上最高の時代を迎えていると話します。その最大の要因のひとつがロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルのライバル対決にあることは間違いないと思います。フェデラーとナダルのことを書く前に2000年以前の男子テニスのことに触れなければいけません。1990年代の男子テニスはピート・サンプラス(米国)とアンドレ・アガシ(米国)の時代であったといってもよいと思います。米国生まれのスーパースターの対決にテニスファンは熱狂しました。サンプラスはグランドスラム(4大大会のこと)で14回も優勝しました。またアガシは4大大会で8回優勝したのですが,全豪オープン(以下全豪),全仏オープン(以下全仏),ウインブルドン,全米オープン(以下全米)のすべてで優勝し,さらにアトランタオリンピックでも金メダルを獲得していたので生涯ゴールデンスラムを達成しました。
 2002年の全米において,サンプラスが14個目の4大大会で優勝したときは,当時の解説者は今後この最多優勝記録が破られることは絶対にないでしょうと口を揃えて発言していました。もちろんそれには理由があります。サンプラス以前の4大大会最多優勝記録はロイ・エマーソン(オーストラリア)の12回でした。テニスの4大大会は1967年以前はアマチュアの選手しか出場資格がありませんでした。1930年代から4大大会の競技レベルの低下を認めるようになってしまい,1968年に4大大会はプロ選手の出場を解禁することを決定しました。よって1968年以後を「オープン化時代」と呼ばれ,それ以前の記録とは区別されます。エマーソンが獲得した12個の4大大会のタイトルはすべてオープン化以前のものでした。よってオープン化以降にエマーソンの4大大会最多優勝回数の記録が取り沙汰されることはなかったそうです。しかし,1990年代前半からサンプラスが4大大会で優勝回数をのばしていき,エマーソンの記録がサンプラスの目標として現実味をおびてくると,エマーソンの名前がメディアでも取り沙汰されるようになりました。サンプラスの4大大会での14回の優勝回数の記録は今後は誰も到達できないと言われるほどの記録となったのです。

 アガシが1999年の全仏で優勝したことで生涯ゴールデンスラムを達成したときも,当時の解説者は今後生涯グランドスラムを達成する選手は出てこないでしょうと口を揃えて発言していました。それには理由があります。4年に一度しか開催されないオリンピックで優勝することの困難さは納得していただけると思うのですが,4大大会すべてを獲得するグランドスラムもとても困難なのです。そのことをお伝えするために,4大大会の特徴に関して書きたいと思います。テニスの4大大会(グランドスラム)は全豪,全仏,ウインブルドン,全米の4つの国際大会のことです。それぞれの大会に特徴があるのですが,最も大きな特徴はコートの種類です。全豪はハードコート(全米のハードコートと比較すると球足が遅めと言われています),全仏はクレーコート(赤土),ウインブルドンは天然芝のコート,全米は速めのハードコートで試合が行われます。テニスは,コートの種類で選手の実力が発揮できるコートと発揮しにくいコートがあります。速いサービスや,攻撃的なボレーやストロークを軸に攻撃的に試合を組み立てる選手は,ウインブルドンの天然芝や全米の速めのハードコートのように,ボールがバウンドしても,スピードが落ちることのないコートで実力が発揮できる傾向にあると言われています。また回転量の多い守備的なストロークと粘り強いフットワークで,相手が攻撃してきたところを逆にカウンターを狙ってポイントを奪うような守備的な選手は全仏のクレーコートや全豪の遅めのハードコートのように,ボールがバウンド後にボールスピードがすこし落ちるコートで実力を発揮できる傾向にあると言われています。よって,4大大会すべてで優勝するには,サービス,ボレー,ストロークのすべてのショットに穴がなく,また攻撃も守備もこなすことのできるオールラウンドなプレーが求められ,とても難しいのです。4大大会で14回優勝したサンプラスは速いサービスを軸としたサービス&ボレーが主体の攻撃的な選手でしたので,ウインブルドンでは7回も優勝し,全米では5回も優勝しましたが,全仏では準決勝進出が最高成績でしたので,生涯グランドスラムを達成することはできませんでした。アガシが生涯ゴールデンスラムを達成する以前にグランドスラムを達成していた選手はオープン化以降では1969年のロッド・レーバーというオーストラリアの名選手ただ一人だけでした。だからこそ,4大大会で14回も優勝したサンプラスでさえ達成できない生涯グランドスラムは古き良き時代の記録であるとの見方が一般的であり,グランドスラマーという言葉がテレビの解説や画面のテロップにでてくることはありませんでした。だからこそアガシが1999年の全仏の決勝の舞台に立ったときは,テニスの情報番組は大騒ぎでした。オープン化以降では1969年のロッド・レーバー以来30年ぶりの生涯グランドスラム達成の可能性が訪れたからです。アガシは1995年に世界ランキング1位までのぼりつめましたが,翌年からは不調に陥り,1997年にはランキングも140位まで落ちてしまっていたので,優勝候補には挙げられていませんでした。そんなアガシが決勝で勝利し生涯ゴールデンスラムを達成したときは世界的なニュースになりました。アガシ自身も自分が生涯ゴールデンスラムを達成する選手になるとは思っていなかったとコメントしていました。アガシの生涯ゴールデンスラムも今後は誰も達成できないと言われるほどの記録となったのです。
 1993年から2000年の8年間で7回もウインブルドンで優勝したサンプラスが2001年のウインブルドンの4回戦で敗れる波乱がありました。その相手こそが若干19歳のロジャー・フェデラーでした。フェデラーは次戦で敗退してしまうのですが,芝の王者と呼ばれたサンプラスが19歳の若手に敗れたことは世界的なニュースになりました。そして,2003年のウインブルドンでフェデラーは4大大会初優勝をはたすのですが,そこから怒涛の快進撃が始まり,ウインブルドン5連覇,全米5連覇を含め2008年までに4大大会で13回優勝しました。サンプラスの4大大会最多優勝回数の14回を超えることは間違いないと言われるようになりました。しかしそんなフェデラーでも生涯グランドスラムを達成することはなかなかできませんでした。それはサンプラスも苦手にしていた全仏で優勝することができなかったからです。

 全仏のコートはクレーコートです。先程も紹介したようにクレーコートは守備的な選手が実力を発揮しやすいコートと言われます。ボールのバウンド時に球足は遅くなり,ボールは高くバウンドします。よって,なかなか1本のショットではポイントが決まりにくく,ラリーが長く続きます。世界中の多くの選手がハードコートで練習している選手が多いなか,スペインやフランスや南米の選手はクレーコートで練習しているので,全仏の優勝者は圧倒的にスペインや南米出身の選手が多いのです。クレーコートスペシャリストの中には,苦手なウインブルドンなどの球足が速い天然芝の大会には出場さえせずに,クレーコートの大会に集中する選手もいました。そんなクレーコートスペシャリストを最も多く輩出してきたテニス大国のスペインで頭角を現したのが,ラファエル・ナダルです。ナダルは2005年の全仏において「19歳2日」という若さで優勝します。そしてその準決勝で下した相手が当時世界ランキング1位であったロジャー・フェデラーでした。それ以降もクレーコートで無類の強さを発揮したナダルは全仏において2005~2014年までの10年間で2009年を除いて9回優勝するという偉業を達成します。2005年以降もナダルに敗れたフェデラーは,2006年~2008年と3年連続で決勝の舞台まで駒をすすめましたが,ナダルに一度も勝利できませんでした。サンプラスも苦しんだ全仏が鬼門となりフェデラーもグランドスラムの達成は難しいのでは?という声がささやかれるなか2009年に最大のチャンスが訪れます。ナダルが全仏の4回戦で敗れてしまったのです。この大会でも決勝まで駒をすすめたフェデラーが優勝し,とうとう生涯グランドスラムを達成しました。同時にこのタイトルが4大大会の14個目のタイトルであり,サンプラスの4大大会最多優勝回数に並んだ大会ともなりました。このとき世界のメディアの反響はすごいものでした。1990年代の解説者たちが口を揃えて,「この記録は破られないであろう」と語っていたサンプラスの4大大会最多優勝回数14回とアガシが達成した生涯グランドスラムをフェデラーが同時に成し遂げたからです。フェデラーは同年のウインブルドンも優勝し,4大大会最多優勝回数を15回にまで更新しました。以降は2010年の全豪,2012年のウインブルドンで優勝し,4大大会最多優勝回数を17回にまで更新しました。しかし,フェデラーが4大大会で優勝しても,解説者たちは1990年代にサンプラスが記録を伸ばしていたときのように「この記録は誰にも破られない」という発言をする解説者はいませんでした。それはナダルがいたからでした。1990年代に全仏で優勝していた名選手はセルジ・ブルゲラ(スペイン),グスタボ・クエルテン(ブラジル),カルロス・モヤ(スペイン)といった選手がいました。この選手たちはクレーコートスペシャリストと呼ばれていたのですが,その理由はクレーコートには無類の強さを発揮するのですが,それ以外のコートでは思うような成績を挙げることができなかったからです。しかし,この時代はそれが一般的でした。フェデラーやサンプラスのように速いコートが得意な選手が全仏で優勝できなかったのと同様に,クレーコートスペシャリストたちは全仏以外の4大大会では優勝することができないというのが一般的でした。ウインブルドンには出場さえしない選手もたくさんいました。よってナダルもクレーコートの大会では評価されましたが,ウインブルドンやハードコートでフェデラーに勝つことは困難であろうと言われていました。しかしナダルは過去のクレーコートスペシャリストとは違って,ハードコートや天然芝のコートにも積極的に出場していました。そして出場するたびに,今までのような回転量の多いショットだけではなく,回転量をおさえた攻撃的なストロークや速いサービスを身に付け,ハードコートや天然芝のコートでも勝利するようになりました。ウインブルドンでは,2005年は2回戦で敗退したのですが,2006年には決勝でフェデラーに負けてはしまいましたが準優勝しました。2007年のウインブルドンでもナダルは決勝まで勝ち上がり,2年連続でナダル対フェデラーのライバル対決になりました。この年もフェデラーに負けてしまいましたが,ファイナルセットまでもつれ,フェデラーを追い詰めました。2008年のウインブルドン決勝でとうとう,ナダルはウインブルドンで5連覇中のフェデラーとの4時間48分に及んだ試合をフルセットで制し,初制覇を成し遂げました。その勢いのまま同年の北京オリンピックでも優勝し金メダルを獲得しました。その年にナダルは初めて世界ランキングでも1位の座につき,フェデラーが継続していた世界ランキング1位連続保持の世界最長記録を237週でストップさせました。2009年の全豪決勝でもフェデラー対ナダルの対決になりました。ハードコートではフェデラーが勝利するであろうとの声が多かったのですが,ここでもファイナルセットでナダルが勝利しました。試合後のインタビューでフェデラーが悔しさのあまり急に泣き出してしまう場面があり,世代交代を印象づけるシーンでした。また全豪を優勝したことで,ナダルにも生涯グランドスラム達成の可能性がメディアで取り沙汰されるようになりました。2010年は全仏,ウインブルドン,全米で優勝し,自身初の4大大会三冠を達成しました。また全米で優勝したことで24歳の史上最年少記録で生涯ゴールデンスラムを達成しました。しかし,2011年にフェデラー,ナダルの影にいたノバク・ジョコビッチの快進撃が始まりました。ジョコビッチはデビュー当時から将来のチャンピオン候補と言われていましたが,体力的な問題などで試合を途中で棄権してしまったり,大事な試合でフェデラーやナダルに勝利することができずに「第3の男」などと言われていました。2011年にジョコビッチは全豪,ウインブルドン,全米に勝利し4大大会三冠を達成しました。以降は2016年のウインブルドンまでジョコビッチの強さが際立ち,ナダルもフェデラーもなかなかジョコビッチに勝利することができませんでした。しかし,全仏だけはナダルが譲らずに2011年には決勝でフェデラーを,2012年には決勝でジョコビッチを,2013年には準決勝でジョコビッチを,2014年には決勝でジョコビッチを破り,ナダルが優勝しました。2014年の全仏優勝でナダルは全仏5連覇と9度目の優勝,またサンプラスの記録である4大大会14勝目に並んだのです。しかし,2015年から調子が下がり,格下の選手にも負けてしまうことも多くなりました。クレーコートシーズンでも勝利を挙げることができなくなり,全仏でも準々決勝でジョコビッチに敗れてしまいました。
 2016年にも調子が上がらず全仏も大会途中で左手首の怪我の影響で棄権してしまいました。最も得意なサーフェスであるクレーコートでも,ジョコビッチに勝てなくなってしまったこともあり引退説がささやかれるようになってしまいました。

 一方のフェデラーは2013年に背中の怪我もあり不調に陥りますが,2014年から再び調子を取り戻します。それでもジョコビッチにグランドスラムで勝利することができずに,2014年にウインブルドンで準優勝,2015年にウインブルドン,全米で準優勝に終わります。2016年は膝の怪我と背部の怪我もあり,ウインブルドンでのベスト4を最後に残りのシーズン全てを欠場することになりました。ウインブルドンで7回の優勝を勝ち取った芝の王者が,準決勝のミロシュ・ラオニッチ戦で芝に足を取られて転倒しうずくまってしまった場面が世界のスポーツ紙の表紙をかざり,「フェデラーとうとう引退か?」などと書かれてしまいました。しかしそれも無理はありません。そのときフェデラーは34歳になっていましたし,年齢的にも限界説がでてもおかしくはありません。
 さらに4大大会で優勝したのは2012年のウインブルドンを最後に遠ざかっていましたので,モチベーションを保つことも困難なのでは?という意見が多数でした。

 2016年の後半はフェデラー,ナダルという二人のレジェンドが欠場したことで,二人の引退の危機がささやかれるようになりました。今の男子テニスの人気を作りあげた二人が引退した場合の次のスター候補は誰?といったたぐいの紙面も多く観られました。そんな中,シーズン最初の4大大会の全豪が1月に開催されました。
 大会前の優勝候補は世界ランキング1位のアンディ・マレーと2位のノバク・ジョコビッチでした。ノバク・ジョコビッチは全豪のハードコートを得意にしていて過去に6回優勝していたので,オーストラリアの地元の新聞ではノバク・ジョコビッチが優勝する可能性が一番高いと言われていました。
 いざ大会が始まるとすぐに大波乱がおきました。ノバク・ジョコビッチが2回戦で敗退してしまい,さらに4回戦(ベスト16)で世界ランキング1位のアンディ・マレーが敗退してしまいました。そのチャンスもあり,誰も予想していなかったフェデラー対ナダルの決勝戦になったのです。4大大会の決勝で二人が戦うのは2011年の全仏以来となります。4大大会最多優勝回数17回,生涯グランドスラム達成のフェデラーと4大大会優勝回数14回で史上2位,生涯ゴールデンスラム達成のナダルが再び決勝の舞台で戦うことに世界中のテニスファンは熱狂し,全豪史上最高の71万人の観客動員数となりました。フェデラーが勝利すれば自身の持つ4大大会最多優勝記録を18回に更新することになり,ナダルが勝利すれば4大大会優勝回数を15回に更新しフェデラーに肉薄することになります。結果はファイナルセットでフェデラーが勝利しました。2012年のウインブルドン以来4大大会の優勝から遠ざかっていたフェデラーが自身の持つ4大大会最多優勝回数17回を18回に更新したのです。
 試合後のインタビューも感動する内容でした。2009年の全豪のインタビューではナダルに負けてしまい悔しさのあまり泣き出してしまったフェデラーが思い出されました。フェデラーが「テニスというスポーツはとても厳しいスポーツだ。それは引き分けが存在せず,勝ち負けが決まってしまうところにある。もしテニスというスポーツに引き分けがあるのなら今夜はラファ(ナダルの愛称)にも勝利をわけてあげたい」と語り,ナダルが「2016年は怪我の治療で大変だったが,今大会では決勝まですすむことができた。再びトップに返り咲きたい。準優勝ではなく来年は優勝したい」と語りました。二人の試合中のショットやプレーやメンタルを観て,すごいなと思いますが,何よりもこの二人のテニスを継続するモチベーションに感動しました。もう成し遂げることはないように感じる二人が,怪我を押してまで,いまだに厳しいトレーニングを継続し,プロテニスツアーの転戦を今後も継続していくことを表明したインタビューに何よりも感動しました。
 2017年の男子プロテニスツアーがフェデラー,ナダルの決勝で幕を開けたことで,これからの全仏,ウインブルドン,全米で誰が優勝するのかが全く予想がつかない展開になり,とても楽しみなシーズンになると思います。
 もしテニスのことを全く観たことがないかたは,テニスを観てみてくださいね。選手が素晴らしい感動を与えてくれます。また年をとっても継続できるスポーツであるので,テニスをやってみてくださいね。

次号は,鹿児島県立大島病院の東 拓一郎先生のご執筆です。(編集委員会)





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