=== 新春随筆 ===

 「薩摩義士の無私奉仕の心意気による宝暦普請治水に学ぶ」




 鹿児島市消防局長  木場 登士朗

 平成29年の新年を迎え,鹿児島市医師会の皆様に謹んでお喜びを申し上げます。
 平素から,鹿児島市政ならびに消防行政,とりわけ救急業務の推進におきましては,格別のご理解とご協力を賜っておりますことに,衷心から厚く感謝し,お礼を申し上げます。
 昨年は,お隣の熊本県における地震災害の発生に始まり,本県におきましても,近年にない相次ぐ大型台風の接近と,消防防災また救急医療に携わる者として息つく暇のない年でありましたが,幸い大きな被害の発生はなかったものの,派遣出動等の実務を通じ,大規模災害時の広域応援・受援という視点から本市の今後の災害時救急医療等を進める上で,大いに学ぶことができた年であったようでございます。
 また,昨年の市医師会様との連携活動を顧みますと,救急週間の行事をはじめ,例年になく中身のある訓練や研修など,双方の有意義な意見交換のもとに成果が得られ,今年に繋がる力強い一年ではなかったかと,改めて感謝を申し上げる次第でございます。
 さて,今年の干支は「酉」,酉の字は,酒を入れるトックリを表す象形文字であるとされていますが,12支の10番目にあたり日本では干支に動物をあてるようで,酉年は鳥が描かれるようです。鳥といえば日本絶滅危惧種である大鷲に私は興味を抱いており,大鷲は翼を広げると2メートルにもなり,雄雌つがいで厳しい冬季に子育てをするそうです。すべての人々を包み込むような懐深い優しさと,常に夫婦協力して雛を守り育てる「大鷲」のように,私どもの救急,医療活動が市医師会様と消防局がつがいとなって,多くの市民の安心,安全に応えられることを,新春早々に願ったところでございます。
 私事で,恐縮でございますが,昨年還暦を迎え,この3月で退官する身でございます。大鷲の思いで初心に還る一年をはじめようと,まさに赤子に還る思いで,これまでの自分の生きざま,また,医師会の先生方から大変ありがたいご指導・助言をいただき職務を遂行してきた中で,自分の仕事の奥深い部分に心底踏み込んで,為になる歩みをしてきたのか,自問してみますと,少々恥ずかしさを感じている今でございます。
 そんな自己回顧の思いを昨年来抱く中で,自然にこころが穏やかになる思いを感じております。それは,日本人に,中でも薩摩人に生まれたことにさわやかな誇りを感じることでございます。これまで知らなかった,あいまいにしてきた私たち薩摩の先人の偉業や遺徳を奥深く学び直し,自身も豊かなこころになるとともに,今後の消防防災の任にまい進してくれる後輩たちに多少なりとも,説教まがいのお節介ができればと思っておりました。
治水神社(海津市大牧)秋季大祭

(顕彰のことば言上,森市長の代理)

薩摩義士墓所参拝
(海津市南濃町,円成寺)

千本松原(木曽,長良川の仕切り堤)

 いみじくも,そんな思いをしている中,昨年10月に木曽三川の宝暦治水の偉業をなした薩摩藩家老 平田靱負翁,以下薩摩義士の顕彰秋季大祭に参加の機会をいただき,これまでも,わが薩摩の歴史や近現代史には,多少の趣味を持ち浅学のところではありましたが,身の引き締まる思いで岐阜県海津市の治水神社をはじめ薩摩義士の眠る寺社や史跡を巡り,そして宝暦堤の地に立ち深甚と香を手向け拝し,靱負翁以下薩摩義士の偉業,遺徳を再認識できたことは,この時期の私のイベントとしては最良のものとなったところでございます。
 ここで,少し「薩摩義士顕彰」の旅を振り返り,改めて薩摩人の誇りを感じた一コマをご紹介させていただきたいと思います。
 ご存じのように,靱負翁以下薩摩義士は,宝暦4年(1754年)幕命により薩摩武士には耐えがたい「武器なき出陣」を強いられ,郷土の甲突川をはるかに凌ぐ木曽,長良,揖斐の木曽三川の分流,仕切り築堤といった難治水工事に,今では比べものにならない粗末な技法や貧弱な資材を与えられた中で,また徳川幕府役人の薩摩藩財政切り崩しの締め付け普請の中で,薩摩武士としての気概を持って靱負翁の強い忍の指揮のもとで立ち向かい,わずか1年あまりの短期に見事に普請を成し遂げ,岐阜美濃海津の地を豊かな土地に変貌させ,そして今日もゆるぎない治水堤として,当地の人々の安心安全な生活が,宝暦から260有余年を経てもなお,今に引き継がれ,現代を生きる海津市民の豊かな生活の礎を築いた偉業で,俗にいう宝暦治水事件と言われるものでございます。
 この偉業においては,苦難と屈辱に付し自害,また粗末な食事と過酷な労働,折から赤痢に冒された方など80余名が落命,最後に工事の総奉行である靱負翁,自らも宝暦5年(1755年)5月22日工事が完了し,幕府の検分を終え主君7代薩摩藩主 島津重年に報告の後,翌5月25日早朝,美濃大牧の本小屋で辞世の句を詠み割腹自刃しました。
 辞世の句は,「住み馴れし 里も今更名残にて 立ちぞわずらう 美濃の大牧」です。
 大祭で友好を深めていただいた多くの海津市民の皆様の誰もが口にすることは,薩摩義士への,また鹿児島県人への尊敬と報恩の言葉であり,まさに薩摩人の誇りとなるもので,今日,靱負翁以下薩摩義士の遺徳が,私たち現代を生きる薩摩人に忘れてはならない命を賭して残した薩摩の誇りを投げかけていることに気づかされました。
 また,感慨の域を超えて,現代社会の中で息づかせていかなければならないと改めて強く感じたところでございました。
 私どもの郷土鹿児島には,このような薩摩義士をはじめ,幕末から明治にかけ,またその後においても,日本を胎動させ,黎明に導いた数多くの薩摩の先人が輩出し,その偉業,遺徳が,私たち鹿児島の現在を支えているところでございますが,残念ながら「恥はさらさない,偉業は誇らない」という質実剛健の薩摩の気風の中で,私たち後世に正しく語り継がれていない先人やその所業も多々あるようでございます。
 今回の大祭に際し,海津市民が薩摩報恩の教育を小さなころから植えつけられているのに対し,私たち鹿児島の子供たちが先人を誇れるような教育を施されてきたかというと,残念ながら十分ではないように思えたのも素直な実感でございました。
 私もこよなく愛読をしております郷土の歴史作家,海音寺潮五郎氏も生前に「中学生のころに岐阜から来た人の講演を聞いてはじめて治水普請事件を知った」と語られているくらいであり,宝暦時代の薩摩藩内の人々でも知る者はなかったということであります。
 また,現在,私たちは鹿児島市民の安心安全を担当する職を得ているものとして,防災や救急医療の充実に日々努力しているところですが,ややもすると情報化,またシステム化された活動の中で無機質に業務を行っていることも,しばしばあるように思います。いかに技術や機器が発達しようと,とりわけ救急医療という人と向き合う業務においては,詰まるところ人と人とが心を通い合わせたつながりが大切であろうと思います。
 薩摩義士に見る薩摩の先人が歴史の中で見せてくれた「無私による奉仕の心意気,心根で臨む姿勢」を,今を生きる子供も大人も,私たち薩摩人の誇りとして感じ,社会教育,また職域教育の中に落とし込み,長く,そして深く生きづかせていきたいものです。併せて私ども救急医療活動にも生かしていくべきであろうと思うところでございます。
 私も,この一年は,薩摩の先人の残した多くの足跡(史跡や墓所)に足を運び,改めて薩摩人としての心根を感じてみようと思っているところでございます。
 さて,平成29年度は,市医師会様と私ども市消防局におきましては,60万市民の救急医療をさらに充実させるために,平素の身近な救急医療から,災害時の救急医療体制における緊密な連携を発展させるべき課題も多々あるようでございます。
 今日の地方都市における救急医療環境は,人口の減少,高齢化,地域における医療需要の偏性,さらには医療人材や病床確保などをはじめとする医療インフラの適正配置など,不安定要素のある中で,より明確な将来ビジョンと行動性が求められているところでございます。
 このような中,特に鹿児島市医師会様におかれましては鹿児島県のリーダーたる医師会として,県内医療圏の基盤強化など大きな使命を担われており,益々のご活躍が内外から期待され,鹿児島市民の保健,医療の充実においても,行政が行う保健,救急医療へのご支援など,さらなるご尽力,ご支援,ご協力をご期待申し上げるところでございます。
 私ども消防局におきましても県内消防本部の代表機関として,鹿児島市民の身近な救急医療の充実はもとより,広域的な救急医療,また広域的な災害救急医療にその役割が果たせるよう,市医師会様の専門的,また高次のご指導,ご助言を賜る中で,消防行政の推進に取り組んでまいりたいと存じておりますので,この一年,どうぞよろしくお願い申し上げます。
 平成30年度には,明治維新150年を迎え,大河ドラマ「西せ郷ごどん」の制作放映も決定されたようです。この機に,私たちは薩摩の先人の所業に学ぶ機会をあらゆる視点で作り,薩摩人としての誇りを持ち,鹿児島市民の防災,救急医療の充実,さらにはこれからを担う人材育成に生かしていきたいものでございます。
 結びに,今回,貴重な市医報の紙面を割愛していただきましたことに心から感謝を申し上げますとともに,この一年の鹿児島市医師会様のさらなる飛躍,発展と,また猪鹿倉会長はじめ,役員,会員の皆様の益々のご活躍を心からご祈念申し上げ,年初めのご挨拶とさせていただきます。




このサイトの文章、画像などを許可なく保存、転載する事を禁止します。
(C)Kagoshima City Medical Association 2017