=== 新春随筆 ===
薩 摩 狂 句 を 作 り ま し ょ う
|
|
中央区・清滝支部
(さめしま小児科) 鮫島爺児医(鮫島信一)
|
|
鹿児島市医師会の会報は,平成28年11月号が通算657号となりました。さらに,「鹿市医郷壇」も通算444回の歴史があります。現在は,樋口一風先生に選者を務めていただき,解説や唱をお願いしています。目下数名の常連がいて,天・地・人を競い合っています。各人数句作って選を楽しんでいるようです。
最近句友が少なく寂しい思いをしています。
「鹿市医郷壇」の初代選者は古藤雪尾先生(昭和53年7月から)でありましたが,第2代選者は実方天声先生(昭和63年8月から)でした。私は,実方天声先生が選者の時,誘われて狂句作りを始めました。先生は「吟題は鹿児島弁で出されるので,これを上手に使えば,鹿児島弁は成り立ちます。難しく考えないで,奇抜な思い付きを書く事です。これを五・七・五と並べればできあがりです。薩摩狂句の本は既にたくさん出版されているので,他の人の作品もたくさん読み継続して作れば面白くなります。面白くなれば上手になれます」と教えてくださいました。
第3代選者は三條風雲児先生(平成11年9月から)でしたが,先生は薩摩狂句は「世態人情などに取材して,それに狂句味を加え,鹿児島の方言で表現する十七音字の詩である」と定義し,「いつでも,どこでも,堂々と発表できる品格の高い句」であることを求められ「薩摩郷句」と名付けられました。
江戸時代,日本列島にはおよそ300の藩があり,幕藩体制は中央政権である江戸幕府統制のもとに,藩は小さな独立政府を構成し,関所によって流通は閉ざされていたので,地域独特の文化圏が構成され,その名残の最たるものが方言であります。
私は頴娃町の出身でありますが,郷里の同窓生と語るときは,標準語で語るより頴娃語で語った方が気持ちが素直に通じ,親しみやすい感じです。
今,日本列島は全国津々浦々までテレビやラジオ,新聞や雑誌が行き届き,そのほとんどが標準語で表現されています。標準語は東京弁であり,方言に親しむ機会はいよいよ少なくなりました。そこで,もしかして,宇宙時代が到来し,「同じ地球上に生きている人間が,国によって言葉が違うのは不便だから,地球上での話し言葉は英語に統一しましょう」という時代が来るかもしれません。何百年か何千年か先の推理に過ぎませんが,もしそんな時代が来ても日本では日本語の素晴らしさを認識し,文化遺産として残して欲しいものです。
鹿児島弁を上手に使い,末永く保存できるのは薩摩狂句が一番だと思います。鹿児島弁に興味のある方はぜひ薩摩狂句にも関心を持ってください。仲間が増えることが継続発展に繋がります。
鹿市医郷壇が発展し,無くならない事を願っています。

|
このサイトの文章、画像などを許可なく保存、転載する事を禁止します。
(C)Kagoshima City Medical Association 2017 |