医療崩壊の元凶は,「法医学会異状死ガイドライン」であると糾弾されたのは,つい最近のことである。医療界の根底を揺るがした許すべからざる存在という印象が医療現場に満ち溢れた時期があったが,よく考えてみると,一学会のガイドラインに過ぎないものがこれだけの猛威を振るうとは考えも及ばないことである。「法医学会異状死ガイドライン」が発表されたのは,平成6年のことである。このガイドラインが問題とされるのは,ガイドラインの存在そのものではなく,これが行政と結びついてしまったからである。「平成7年度版死亡診断書・出生証明書・死産証書記入マニュアル」をひも解いてみると次のような記載がある。
P25,[死亡診断書と死体検案書]
質問6:医師法第21条に「死体を検案して異状があると認めたときは,24時間以内に所轄の警察署に届け出なければならない」と規定されているが,この「異状」の基準は何か。
回答:「異状」の定義については医師法上定められていないが,病理学的意味での異状ではなく,法医学的な異状を指すものと考えられる。すべての死亡例に適合する異状の基準を一律に規定することはできないが,日本法医学会が定めている「異状死ガイドライン」等を参考にされたい。
この法医学会異状死ガイドライン参照の文言が,以後,毎年度の死亡診断書記入マニュアルに踏襲され,あらぬ方向に一人歩き始めるのである。この問題が解決されるのは,平成27年度版死亡診断書記入マニュアル改訂まで待たねばならない。
1.法医学的異状の意味
法医学的異状については,既に,昭和44年3月27日東京地裁八王子支部判決[昭和42年(わ)第4号]により,その意味が示されている。同判決は,その判旨のなかで,「変死者又は変死の疑いのある死体があるときは警察署長はすみやかに警察本部長にその旨報告すると共に,・・・・検察官が検視するのであるから,・・医師法にいう死体の異状とは単に死因についての病理学的な異状をいうのではなく死体に関する法医学的な異状と解すべきであり」と述べ,あくまでも「死体に関する法医学的な異状」と述べている。さらに,この「法医学的な異状」について,「死体自体から認識できる何らかの異状な症状ないし痕跡が存する場合だけでなく,死体が発見されるに至ったいきさつ,死体発見場所,状況,身元,性別等諸般の事情を考慮して死体に関し異状を認めた場合」と説明しており,不審死体の取り扱いに関する常識的な見解を述べているに過ぎない。法医学的異状の意味するものは,検視を行うべき変死者または変死体の判断根拠として,死体発見のいきさつ,死体発見場所等のことと解釈するべきであろう。
2.東京都立広尾病院事件
実質的に医師法第21条について大混乱を来すのは,平成11年の東京都立広尾病院事件からであろう。事件の詳細は割愛するが,東京地裁は,死亡に至る経過の異状をとりあげ,医師法第21条違反と判示した。控訴審,上告審で敗訴し,この東京地裁判決が確定したとの誤報道により,院内死亡の警察届け出が急増するという異常事態を招来したのである。報道は誤報であった。事実は報道とは異なっている。実は,東京地裁判決は,控訴審の東京高裁で破棄されている。東京高裁は1審判決を破棄するとともに,医師法第21条による異状死体の定義を「外表異状による」と自判した。最高裁は東京高裁の医師法第21条に関する判断を支持するとともに,同条を限定解釈することにより合憲と判示している。
3.医師法第21条(異状死体等の届け出義務)
医師法第21条は,同33条の2に罰則規定を有する特別刑法規定である。異状死体を検案した場合の届け出義務を規定したものであり,異常な経過の死すなわち異状死の届け出を義務付けたものではない。この外表異状は,ほぼ定着した観があるが,未だに,「異状死体」と「異状死」を混同した論考を見かけるようである。医師法第21条は,「医師は,死体又は妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは,24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」と規定している。医師法第21条については,検案(外表を検査)して異状を認めた場合の届け出義務であり,経過の異状を届ける規定ではない。すなわち「異状死」の届け出ではなく,「異状死体」の届け出である。「死」と「死体」は別物である。これは,東京都立広尾病院事件控訴審判決が明確に指摘している。控訴審の東京高裁は,経過の異状を根拠として死亡時点を24時間の起点とした1審判決を破棄自判し,明確に外表の異状を認識した病理解剖時点を24時間の起点とした。また,同時に,医師法第21条が要求しているのは,異状死体等があったことのみの届け出であり,これ以上の報告を求めるものではないから,診療中の患者が死亡した場合であっても,何ら自己に不利益な供述を強要するものでもなく,憲法第38条第1項(不利益供述の拒否特権)に違反することにならないと判示した。違憲判断回避のために,合憲限定解釈を行ったのである。つい最近,広尾病院裁判は高裁で訴因変更がなされたと教えていただいた。それまで,全く気付いていなかったのだが,判決文を読み直してみると,たしかに,「平成11年2月11日午前10時44分ころ(死亡時点)」に,「同月12日午後1時ころ(病理解剖に立ち会った際に死体の外表を検査して検案を行った時点)」が控訴審で予備的訴因として追加されていた。この事実をみれば,検察も裁判過程で,医師法第21条の24時間の起点が外表を検査して検案を行った時点と認識して訴因を追加したことが明らかである。高裁判決は,そのまま最高裁で踏襲され,同様の内容の最高裁判決となり,刑集に掲載されている。
異状死体の届け出義務については,最高裁が「外表異状」として合憲限定解釈を行ったものである旨を筆者らは主張し続けてきたが,今回,判決文を読み返してみると,検察も届け出義務を外表異状と認識していたからこそ,外表異状認識時点を訴因追加していたということが明確になった。「外表異状」はもはや疑問の余地のないことである。
4.死亡診断書記入マニュアル
前述した通り,平成7年度版死亡診断書記入マニュアルに,異状死体について,「法医学的異状」と「法医学会異状死ガイドライン参照」の文字が入ったことに加え,平成12年国立病院リスクマネジメントマニュアル作成指針の発出が重なり,医療崩壊に拍車がかかった。しかし,国立病院独法化による国立病院リスクマネジメントマニュアル作成指針の失効,平成27年度版死亡診断書記入マニュアルにより,従来の問題点は解消した。問題解決に至った平成27年度版死亡診断書記入マニュアルにつき若干の考察を行う。
平成27年度版死亡診断書記入マニュアルと平成26年度版を比較したものが表である。『(注)「異状」とは「病理学的異状」でなく,「法医学的異状」を指します。「法医学的異状」については,日本法医学会が定めている「異状死ガイドライン」等も参考にしてください』との記載が平成27年度版では削除されている。長年の懸案が解決されたというべきである。さらに,「外因による死亡またはその疑いのある場合には,異状死体として24時間以内に所轄警察署に届出が必要となります」との文章も削除されている。この一文も「異状死」と「異状死体」の区別に疑問のある文章であり,また,「経過の異状」をうかがわせる表現であったが,平成27年度の改訂により,東京都立広尾病院裁判判例どおり,「外表異状」によることを明確にしたといえるであろう。平成27年度版において,「経過の異状」を疑わせる表現を削除したのである。

5.医師法第20条(無診療治療等の禁止)
医師法第20条は,「医師は,自ら診察しないで治療をし,若しくは診断書若しくは処方せんを交付し,自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し,又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。但し,診療中の患者が受診後24時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については,この限りでない」としている。このただし書について二つの通知が出されている。
1)医師法第20条但書に関する件(昭和24年4月14日,医発第385号)
[各都道府県知事あて厚生省医務局長通知]
標記の件に関し若干誤解の向きもあるようであるが,左記の通り解すべきものであるので,御諒承の上貴管内の医師に対し周知徹底方特に御配意願いたい。
記
1.死亡診断書は,診療中の患者が死亡した場合に交付されるものであるから,苟しくもその者が診療中の患者であった場合は,死亡の際に立ち会っていなかった場合でもこれを交付することができる。但し,この場合においては法第20条の本文の規定により,原則として死亡後改めて診察をしなければならない。
法第20条但書は,右の原則に対する例外として,診療中の患者が受診後24時間以内に死亡した場合に限り,改めて死後診察しなくても死亡診断書を交付し得ることを認めたものである。
2.診療中の患者であっても,それが他の全然別個の原因例えば交通事故等により死亡した場合は,死体検案書を交付すべきである。
3.死体検案書は,診療中の患者以外の者が死亡した場合に,死後その死体を検案して交付されるものである。
2)医師法第20条ただし書の適切な運用について(平成24年8月31日,医政医発0831第1号)
[各都道府県医務主管部(局)長あて厚生労働省医政局医事課長通知]
医師法(昭和23年法律第201号)第20条ただし書の解釈については,「医師法第20条但書に関する件」(昭和24年4月14日付け医発第385号各都道府県知事宛厚生省医務局長通知)でお示ししていますが,近年,在宅等において医療を受ける患者が増えている一方で,医師の診察を受けてから24時間を超えて死亡した場合に,「当該医師が死亡診断書を書くことはできない」又は「警察に届け出なければならない」という,医師法第20条ただし書の誤った解釈により,在宅等での看取りが適切に行われていないケースが生じているとの指摘があります。
こうした状況を踏まえ,医師法第20条ただし書の解釈等について,改めて下記のとおり周知することとしましたので,その趣旨及び内容について十分御了知の上,関係者,関係団体等に対し,その周知徹底を図るとともに,その運用に遺漏のないようお願い申し上げます。
記
1.医師法第20条ただし書は,診療中の患者が診察後24時間以内に当該診療に関連した傷病で死亡した場合には,改めて診察をすることなく死亡診断書を交付し得ることを認めるものである。このため,医師が死亡の際に立ち会っておらず,生前の診察後24時間を経過した場合であっても,死亡後改めて診察を行い,生前に診療していた傷病に関連する死亡であると判定できる場合には,死亡診断書を交付することができること。
2.診療中の患者が死亡した後,改めて診察し,生前に診療していた傷病に関連する死亡であると判定できない場合には,死体の検案を行うこととなる。この場合において,死体に異状があると認められる場合には,警察署へ届け出なければならないこと。
3.なお,死亡診断書(死体検案書)の記入方法等については,「死亡診断書(死体検案書)記入マニュアル」(厚生労働省大臣官房統計情報部・医政局発行)(http://www.mhlw.go.jp/toukei/manual/)を参考にされたい。
と記されている。医師法第20条ただし書の適切な運用について(通知)は,その前文にあるように,昭和24年4月14日付け医発第385号通知を再確認のために出された通知であり,その内容はほぼ同一であるが,平成24年通知は,東京都立広尾病院事件判決を念頭に,医師法第21条との関係を考慮した分かりやすい記載となっている。また,むやみに警察への届け出を行うことの誤りを正す内容となっている。以下,若干の説明を加えたい。
昭和24年通知では,「診療中の患者が受診後24時間以内に死亡した場合」とあるが,平成24年通知では,「診療中の患者が診察後24時間以内に当該診療に関連した傷病で死亡した場合」と記載されており,死亡診断書を交付する場合を明示している。また,昭和24年通知では,「他の全然別個の原因例えば交通事故等により死亡した場合は,死体検案書を交付」と記載されているが,平成24年通知では,「生前に診療していた傷病に関連する死亡であると判定できない場合には,死体の検案を行う」との記載になっている。診療関連死であると判定できないときは,死体検案を行うことを明示した。診療関連死とその他の原因による死体の場合の取り扱いを明確に切り分けたといえるであろう。さらに,「この場合において(検案して)死体に異状があると認められる場合には,警察署へ届け出なければならない」と記載し,検案(外表を検査)して異状を認めた場合には医師法第21条による所轄警察署への届け出を行うべきことを明示した。平成24年通知は,医師法第20条の解釈を通じて,医師法第21条の「外表異状」によるべきことを示唆しているというべきであろう。
6.おわりに
平成27年度版死亡診断書記入マニュアル(平成28年度版も同様である)と医師法第20条ただし書についての通知,医師法第21条との関係を考察すれば,医師法第21条にいう「異状死体」とは,死体の外表を検査(検案)し異状を認めたもの(外表異状)であることが改めて明確になった。最近,医師法第21条の異状は,「外表異状」ではないとの論調は流石に影を潜めたが,「外表異状」のみではなく,「経過の異状」も含むとの主張をする人々が存在するようである。本稿で考察したとおり,この主張は根拠のないものというべきであろう。判例,死亡診断書記入マニュアル,医師法第20条ただし書に関する通知,東京地裁八王子判決のいずれをとっても結論は,医師法第21条は「外表異状」によるべきというべきであろう。

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