=== 随筆・その他 ===


海外旅行・思い出のハイライト(1)
リオ・デ・ジャネイロ
中央区・城山支部
(高見馬場リハビリテーション病院) 林  敏雄



 2016年のオリンピックは,世界のトップ・アスリート達がブラジルのリオに集まり,8月5日の開会式で17日間の激しいメダル争奪戦の火ぶたが切られた。
 南半球のリオは日本のちょうど真裏になり,時差は12時間で日本の午後9時はリオの午前9時で,日本の夜遅くから夜明けに競技が行われるので,テレビで観戦していると寝不足になる。日本が猛暑の真夏なのにリオは真冬だが,南回帰線が通っているので,北回帰線が通る台湾や香港と同じ気候で,8月の気温は19度から26度でスポーツには悪くない。
 テレビ観戦中,天空に聳える白亜のキリスト像やマラソンでポン・ジ・アスーカル(砂糖パン)の山などが頻回に出てくるので,ちょうど20年前の1996(平成8)年5月にリオを訪問したのを懐かしく思い出した。
 1502年1月,ポルトガル人探検家レモス達が現在のリオの市街地があるグアナバラ湾の入り口に到達したが,狭かったので河口と勘違いして「リオ・デ・ジャネイロ(1月の川)」と命名した。しかし湾内に入ったら凄く広いので川でなく海だと分かったらしい。日本からはアメリカで1回給油するが空路24時間かかり,エコノミー席だとかなりきつい。サンパウロに次ぐ大都会で人口は600万超である。かつては首都であったが今はブラジリアに譲った。
 リオに夕刻到着してコパカバーナの海岸通りにあるオットン・パラセ・ホテルで旅装を解いた。五つ星30階のホテルで22階の部屋からの眺望は申し分なかった(写真1)。
 翌朝,早速観光に出掛けた。リオというと2月のカーニバル・サンバが頭に浮かぶが,風景も抜群でまず登山電車で標高710mのコルコバードの丘に登った(写真2)。少し歩いて頂上に達すると高さ30mで両手を広げた白亜の巨大キリスト像が立っていた(写真3)。像の周囲には展望台もあり大勢の観光客が眼下に広がる眺望に驚きの声を発していた(写真4,5)。世界三大美港の一つでもあり,この海と山の風景は,2012年世界文化遺産に認定された。キリスト像はリオのシンボルで,市街地のどこからでも見られる。

写真 1 ホテルからコパカバーナ海岸を望む(朝)

写真 3 頂上のキリスト像(像左足の紺色帽子が筆者)

写真 2 コルコバードの丘への登山電車



写真 4 展望台からの眺望,尖った山が“砂糖パン”の山,
左中央白い線がフラメンゴ海岸通り,右中央山の向こうが
コパカバーナ海岸

写真 5 中央丘の左がコパカバーナ,
右がイパネマとロドリゴ湖


 丘を下りて昼食をとったあと海岸通りを西に走り,イパネマの海岸に到達すると,小麦色の肌をした素敵なカリオカ娘達が,泳いだり甲羅干しをしていた。とてもフレンドリーで気軽に記念撮影に応じてくれたりした。
 イパネマからUターンしてコパカバーナ海岸を通り過ぎ,セントロ地区に達した。リオのカーニバルはA級とB~C級に分かれて踊るのだが,10数組あるA級には順位を決めるため,この地区にはサンボードロモと呼ばれる専用の会場が用意されている。幅10数m,長さ700mのひょろ長い空間で,右側の一部に3階建ての学校の校舎が建ち,反対側は階段状の審査員・観客席になっており,カーニバル当日は激しいサンバの踊りが展開される。その時は学校も解放され,窓を外して大勢の観客が応援するのだという(写真6,7)。

写真 6 サンボードロモ
写真 7 写真6辺りから見たキリスト像

 今回のリオ五輪ではここがマラソンのスタートおよびゴール地点になっていたが,学校はなくなっていたようだ。さらにここから3kmほど西に行くと五輪のメイン会場となったマラカナン・スタジアムがある。20年前,中には入らなかったが車で1周してバカでかいので驚いた記憶がある。マラカナンは1950年開場で20万人収容可能の世界一だったが,1992年のスタンド落下事故を機に大幅に削減して,現在は全部椅子席の8万人収容可となっている。
 夕方,ホテル前のコパカバーナ海岸に散歩に出た。道路は6車線の上,幅5~6mの中央分離帯は盛り土して1段高く,背の高い洒落た街灯が並んでいて物凄く広い道路という感じであった。さらにちょうど日曜で海岸側3車線は歩行者天国で大勢の市民が出ていて露店を覗いたり,少年達がローラースケートで遊んでいたりした。砂浜ではビーチバレーを楽しむグループがいたり,“砂糖パン”の山も見えていた(写真8,9,10,11)。

写真 8 歩行者天国のコパカバーナの海岸通り
写真10 “砂糖パン”の山(空中にロープウエイが見える)
写真 9 前同,遠くに“砂糖パン”の山が見える
写真11 露店

写真12 “砂糖パン”の山頂上からの夜景
(天空の光はキリスト像,右下はフラメンゴ海岸通り)

写真13 サンバ・ショー
 “砂糖パン”の山は高さ390mで夜景を見に,暗くなってからケーブルで頂上に登った。天空にはライトアップされたキリスト像が輝いており,同じ間隔で光っているのはマラソンが行われたフラメンゴ海岸である(写真12)。ランナーはこの海岸道路を3往復してからゴールに向かうので,“砂糖パン”の山を3回見ることになる。
 山を下りてから劇場に移動して,お楽しみのサンバ・ショーをみた。カーニバルの時のような豪華絢爛な衣装の踊り子や(写真13),グラマーなダンサー達が踊ったり,数名の男性ダンサーが舞台いっぱい,白井健三ばりの空中回転をして見せてくれたりした。観客も世界中からきており,最後は国別に舞台に上がって歌をうたうことになり,我々10数人の日本チームは「上を向いて歩こう」を選んだ。この歌はスキヤキ・ソングとして世界中に知られているので伴奏もつき,力いっぱい歌ったら拍手喝采を浴びて嬉しかった。興奮冷めやらぬまま,楽しかった一日に満足してホテルへの帰途についた。
 リオ五輪は8月21日に閉会式を迎えた。新しく就任した和服姿の小池百合子東京都知事がIOCバッハ会長から五輪旗を受け取り,大きく左右に振って4年後の東京五輪へのカウントダウンが始まった。このあと東京を紹介するプレゼンテーションが8分間行われた。真っ赤に染められた開場の赤が次第に縮まって日の丸の旗に換わり,「君が代」が演奏された。東北地方の子ども達による人文字で「ありがとう」が英語,ポルトガル語,日本語で示され大震災の援助に感謝の意を伝えた。次に東京の街や日本のスポーツの紹介があり,北島康介の投げた赤いボールを,アニメのスーパーマリオが受け取ると,ドラえもんが渋谷のスクランブル交差点に置いた土管の中を猛スピードで進んで地球の裏側リオ会場の土管から出てきた。そこでマリオが衣装を脱ぐと安倍首相が現れたので,このサプライズに大歓声が沸いた。
 このあと青森大学の新体操選手を加えた50人が,それぞれのパイプ・フレーム内で演技していたが,やがて移動して五輪エンブレムに見事に変わった。最後に富士山とスカイツリーをバックに選手達が一列に並び「SEE YOU IN TOKYO」で終わった。このプレゼンテーションはNHK紅白3回出場の椎名林檎が主となって企画・演出したもので,とても良かったと喝采を浴びた。最後に聖火が雨によって消されたが,実は小池知事や安倍首相が出た時も本物の雨が降っているのがテレビでも分かった。リオ市長,バッハ会長の閉会の挨拶でリオ五輪は終了した。
 リオ五輪の開催前から大統領は政務停止中で,経済・治安状態も悪く懸念材料が多かったが,何とか無事に開催できて良かった。日本のメダル獲得数は金12を含む41個の世界7位でロンドン五輪を上回り良かった。特に男子400mリレーの銀や体操団体の金には興奮した。女子レスリングの金4個は立派だし伊調 馨の4連覇は見事,吉田沙保里は金は取れずに泣いたが立派な銀だと思う。女子バドミントンの金は見事,柔道,卓球は男女共に頑張った。競泳では萩野公介が目立ち,シンクロもメダルが返ってきた。
 小池知事も帰国して東京都政の大改革が始まった。リオ五輪を見て参考になることが多かったと思うが,2020年の東京五輪も立派にやってくれると期待している。それまで健康でいたいものだと切に願っている。



このサイトの文章、画像などを許可なく保存、転載する事を禁止します。
(C)Kagoshima City Medical Association 2016