今の住所に引っ越して間もなく,車のエムブレムを盗まれたことがある。そう大して高価な品物でもなく,すぐに調達できたのだが,日ならずしてまた盗まれた。警察に届けてもおそらく取り合ってくれるような事件でもないので自分で守るしかない。今後のためにもと考えて防犯カメラを設置することにした。ところが,相手に気付かれない位置から1台の機器で侵入域を全部カバーできるようにと考えると,思ったより難しく,あれこれ考えてみたが決定的な場所がなく,光センサーに変更しようと戦略を変更したが,肝心の犯人ではなく猫などにも反応することから,音響が近所迷惑にもなりかねないし,留守の時は役立たない・・・ということで計画は頓挫した。ところでそのエムブレムは万一衝突したとき,相手を傷つけないように可倒式になっており,少々の振動などでは傾かないが,強い力が加わると下から引っ張っている巻きバネが伸びて倒れる仕組みになっている。バネ先端のフックが硬くてエンブレムを外すのが困難ではあるが,何とか外せる,だから盗まれた。そこで,フックを堅く閉じないで取り外し式にし,夜間,エンブレムを家の中に保管するようにした。経費など全くなし,以後,勿論のこと盗まれることはなくなった。
さて,本誌の新年号に“球面のからくり”と題して平成15(2003)年に鹿児島に来航したスペインの帆船エルカーノ号にまつわる話題を投稿させていただいた。あらすじは,マジェラン一行が,東洋への近道と地球が丸いことを立証しようとスペインのサン・ルカール・パラメーダ港を出帆して西向きの航路をとってから2年と8か月を費しながらも目的を達成して帰港するその直前,アフリカの西,ヴェルデ岬諸島に寄港した時点で直面した不可解な現象「1日のズレ」,これに対する彼らの考え方を推理した内容であった。航海途中で死亡したマジェランに代わって指揮を執った副官のエルカーノと書記のピガフェッタの根本的な行き詰まりは,マジェランの想像通り地球が丸かったことを彼らみずから体験しているにも関わらず,なお平面図的感覚の世界観から抜け出せなかったことに起因する。そして「西へ航行することによって1日を失う」としか結論できなかった。もし彼らが,太陽を中心にして地球が回転することによって昼と夜が交互に繰り返されるという視点に到達できてさえいたら,いとも簡単に「1日を失った」ことに気付いたであろう。当時の世界観がまだ天動説に支配され教会の弾圧を強く受けていた時代であるから,彼らの航海記録も平面幾何学から脱却することができなかったであろうことは是非もない。では視点を変えるとすればどうなるかである。答えは“西へ向かって出港した時点から程なく,その港はその日の夜を迎え,次いで明日を迎える。そして吾々はその明日になっている港に向かって帰ろうとしている・・・」ということである。しかも,この1日のズレは何日,いや何年たっても1日を超えることはない。地球上には昼と夜とが半分ずつ繰り返されるだけで,1日を超える時差は生じない,ということも彼らには理解できなかった。自分たちが体験した航海から丸い世界,つまり地球という概念がもし飲み込めたとすれば,地球上に繰り返される昼と夜の“からくり”に気がついたし,1日のズレにも気が付いたであろう。新年号をご参照いただけたら幸甚。
7月に入り,全国高等学校野球選手権大会が鹿児島でも開幕を告げた。毎年,県内のチームが覇権を争って甲子園を目指すのであるが,新聞やTVが優勝つまり代表校の決まる日を予測して視聴者を沸かせるのは,年を追うごとに参加校が増え続けて予想と予測が難しくなるからである。そういえば以前,大学入試センター試験問題に“優勝までに行われる試合数を計算せよ”という難問があった。ちょうどその頃,わが家にもその年頃の子どもがいたので不敵にも挑戦し,方程式をさんざん考えてみたができない。解答欄を見たらなんと“1試合ごとに1チームが敗退してゆき,最後の決勝戦に残った2校のうち1チームが優勝するのだから,参加チーム総数から1を引いた数が試合数”とあった。方程式などをあれこれ考えるよりも視点を変えて,開会式に参列した光景を眺め渡せば,おのずから解答が浮かんで来ますよーと,頭の回転を促すような問題であった。ところで,この試合が行われる有名な甲子園は大正13年8月1日に誕生した。この命名を巡って熾烈な論争があったことはあまり知られていない。阪神電鉄が開発したからには無論その名を盛り込みたい,いや行政上の地名,西の宮としたいなどと開会(当時は全国中等学校優勝野球大会)を目前に控え,論争の決着は付きそうもなかった。が,ある人がその年が「きのえ ね=甲子」に当たっており,甲も子も十干十二支の初めの文字であることから「この年回りに始めたことは流れがよく末永く続く」という縁起を説明したところ,地元も関係各位も諸手を挙げて賛成し,誰一人として甲子園という命名に反対するものはなかった・・という逸話が残っている。施設名に限らず,カナダの首都を決める際にも,英語圏とフランス語圏が争ってモントリオールかケベックかでもめた。しかしビクトリア女王の英断で1858年,両国圏の境界にあった川に由来する名のオタワに誘致された。またオーストラリアの首都もシドニーとメルボルンが争っていたが,双方とも海に面した都市で外敵の侵攻を受けた場合,首都機能が麻痺することを避けて内陸のキャンベラ(アボリジニ語で出会いの場所の意)が選ばれたことが記録に残されている。いずれの事例も,複数意見が錯綜する中で,異なった視点に人々の目を向けさせることによって,好ましい結果を得た例であるが,そうはいっても,さて,視点を見出すことは容易ではない。筆者の先祖を弔う寺のご住職にある時「修行に勤(いそ)しまれる方々は別として,聖職にある方々すべてが仏教の“精進”という道の中で酒をいかに処遇しておられますか」と愚問したところ,筆を執って「不許葷酒入山門(クンシュサンモンニハイルヲユルサズ)」と書かれた。葷はニラとかニンニクのような,食べると吐く息が臭(くさ)くて他人に不快感を与えるもの,酒も同様,さらに心を乱すこと無きにしも非ず・・なので,葷,酒いずれも寺の山門をくぐること相許さず・・という一つの戒律だと説明された。が,続けてもう一筆,葷と酒の間を一こま空けて「不許葷 酒入山門」とすれば,意は変わって「葷は許さず 酒山門に入る」となり,ニンニクなど,目に見えたる効果も得られないばかりか,やたら臭気だけをまき散らすものなどは許さず,されど酒は身に薬効を齎(もたら)すのみか,他に及ぼすほどの迷惑もなければ敢えて山門に入ること然り,と読んだものであると付け加えられた。異なる視点から新しい論点を見出す中にも戒律を併せ読むべし,という日々の在り方を示唆され,これが仏教の精進ということかなと思い巡(めぐ)らせている。

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