[緑陰随筆特集]
ボ ス ト ン マ ラ ソ ン 紀 行
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鹿児島大学大学院医歯学総合研究科
生体情報薬理学分野 教授 宮田 篤郎
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昨今のランニングブームで,鹿児島市医師会会員の皆様におかれても日々走られておられる先生方も多いと思います。この4月にボストンマラソンに参加するという貴重な体験をしたので,その印象をお伝えしようと思います。
ボストンマラソンは,毎年,アメリカ独立戦争の最初の戦いを記念した「愛国者の日」(Patriot's Day)である4月の第3月曜日に開催される。その第1回は,1896年に開催され,今年で第120回となる世界で最も歴史のあるマラソンレースであり,近代オリンピックの次に古いスポーツ大会と言われている。また,ボストンマラソンは女性の参加を世界で初めて認めた大会であり,今回は女性が初めて走った大会から50周年目の記念大会でもある。
毎年,世界各国から約3万人のランナーが参加するが,完走タイムが市民マラソンとしては最も早い(大半が4時間未満で完走)のが特徴である。従って,参加申し込みにあたって資格タイムをクリアするレース記録を提出する必要がある。合理的なのは,年齢・性別に応じてその資格タイムが細かく定められていて,老若男女ほぼ均等に出走者選別されることである。すなわち単純に速い人だけがエントリーできるわけではなく,年齢性別を問わず,生涯スポーツとしてランニングを続けていれば誰にでもチャンスがあるわけで,ランニングが一時的なブームやトレンドではなく,ライフスタイルとして根付いていることがうかがえる。レース記録は,過去1年以内の世界(日本)陸上公認レースであれば,どれでもよく,幸いにも私は,資格タイム(55-59歳:3時間40分)をクリアする記録(昨年2月の京都マラソン:3時間34分)で申し込み,エントリーを得る事ができた。
年度始めの多忙なスケジュールを調整して,3泊5日の旅程でボストンに向かったのは,ちょうど熊本の本震が起こる直前であった。4月15日の夕方鹿児島空港を飛び立ち,羽田で真夜中にロサンゼルス行きに乗り,そして乗り継いで16日の早朝にボストンに到着した。ようやく初夏を迎えようとする鹿児島に比べ,ボストンの早朝はまだ鹿児島の冬であり,マラソン当日の天気が思いやられた。ボストンマラソンの過酷さの要因の一つとして不安定な天気が挙げられる。実際過去のレースの天候を見てみると,冷たい雨だったり,熱中症が危ぶまれるくらい高温であったりと様々である。レース日の天候が気になり,数週間前からボストンの天気をチェックしていたが,気温が2,3度しかない日もあれば,20度近くあったり,雨だったりと目まぐるしく変わっていた。
空港から地下鉄で,マラソンゴールおよび登録会場に徒歩で行けるシンフォニーホール近くのホテルに向かい早々にチェックインした。ホテルから,まず登録会場となるハインズコンベンションセンターを目指すと,早朝から三々五々と,昨年のボストンマラソン公認ジャケットを羽織ったランナーとおぼしき人々が同じ方向に向かっていた。そのほとんどの人が4時間以内に完走する走力を持っているかと思うと身が引き締まる思いであった。3年前にテロがあったので,コンベンションセンターでのセキュリティーチェックはさぞ厳重だろうと思っていたが,意外とすんなりとしたものであった。しかしながら事前に送られてきた参加注意事項には,会場に持ち込めるものやレース中携帯できるものについて,その大きさや中身,携行できる飲み物の量などについて細かく指定されていた。従って,登録会場に入るにあたって,事前に送られてきた受付票以外に写真付き身分証明書の提示を求められた。登録会場でゼッケンと荷物預け袋とTシャツを受け取った後,登録会場に隣接する展示会場に向かった。伝統あるマラソン大会だけあって,特筆すべきはマラソン参加者主体のエキスポジションの構成であることだ。フードコートや観光案内は一切なく,実に様々なスポーツグッズ,健康グッズを扱うショップが軒を並べており,しかも日本より遥かにバラエティーに富んでいた。とりわけ日本ではあまり見かけないスポーツ飲料,ジェルの類の多さには驚かされた。また,整形外科を中心としてスポーツ外科を標榜する病院の宣伝も結構目につき,変形性膝関節症に対する幹細胞による軟骨の再生医療を宣伝するコーナーなどもあった。その日は,長旅の疲れを癒すべく,ホテルに早々に引き上げた。
翌日は,時差ぼけも解消されてきて,改めて展示会場をしばらく物色した後,マラソンゴールに向かった。すでにゴールゲートが設置され,沿道には観客席が設置されフェンスが並べられていた。普段のメインストリートが,ちょっとした歩行者天国になっていて,多くの人がゴールラインと一緒に記念写真をとっていた。3年前に起きた爆弾テロ現場の一つはゴールの100mほど手前にあり,お花などが手向けられていた。まさにゴール目前の最高潮の気分で惨劇に遭遇された方達のショックの大きさを慮り,明日のレースを無事に完走できることを心のうちに祈りながらホテルに戻った。
マラソン当日の朝は,ルーチンのレース朝食として持参したあくまきを食べた後,ゴール後の着替えなどを袋につめ,コプリー広場の荷物預け場所に向かった。天気は快晴で,到着した一昨日に比べ格段に春めいて,温度も18℃以上になると予報されていた。荷物預け場所は,ゴール地点からコモンスクエアに向かった2ブロック先にあり,近づくにつれ思い思いの格好をしたランナーの集団が同じ方向に歩いていく様は壮観であった。3万人近くが出走するという事もあると思うが,とにかく全てのスケジュールが細かく決められていた。すなわち,招待選手を含むエリート集団グループ以下,タイムの早い順に4つのウェーブに分けられ,午前10時から25分間隔でスタートする。そのため,荷物の預け場所および時間帯,スタート地点となるホプキントンへ移動する専用バスの乗車時間がウェーブとゼッケン番号で決められていた。コプリー広場から15分程度歩いて,バスに乗車するコモンスクエアまで来たところでセキュリティーチェックを受けた後は,指定時間に関係なく次々とバスに乗車できた。約45分でスタート地点のホプキントンに着くと,ホプキントン高校に設置されたアスリートビレッジにて,スタート呼び出し時間までしばらく待機した。広いグラウンドに大きなテントが2基広げられ,パン,果物,スポーツ飲料,コーヒーなどがふるまわれ,ランナーは思い思いにストレッチやジョグなど準備運動をして,スタートラインへ移動のアナウンスが来るのを待つことになる。ちょっとした難民キャンプのような喧噪とこれからスタートする高揚感にあふれていた。先に車イスランナーがスタートした後,いよいよ10時から,エリートランナーを含む最初のウェーブを皮切りに,25分ごとに約7,000人ずつがスタートしていくことになる。しかもそれぞれのウェーブ毎にさらに走力に応じて8つにグループ分けされてスタート地点で整列しなければならず,その集合時間,スタート地点に整列する時間まで細かく決まっていた。3万人近いランナーがトラブルなく走るため,できるだけ同じ走力をもった集団でスタートさせる意図と思われた。10時50分自分達第3ウェーブのスタートを迎えた。おかげでスタート直後いきなりの下り坂であったが,接触や,靴をふまれることなくスムーズにスタートできた。コースはスタート地点からゴールのボストンまでほぼ一直線の片道で,細かくアップダウンの連続だが概ね下り坂である。気温もだいぶ上がり20℃を超え汗ばむ陽気となってきたので,水分補給に十分気をつける必要があると思われた。マイル毎に給水所が設けられ,水とスポーツ飲料が用意されていて,係りの人が,声をかけながら飲み物を手渡してくれたのが印象的であった。アシュランド,ネイティック,ウェルズリー,ニュートンと小さな町を通り抜けていくと,子ども達のブラスバンドが演奏していたり,水の入ったコップやトマトやオレンジを差し入れてくれたり,どこも沿道から多くの声援を受けた。特に,22キロ付近にあるウェルズリー大学は,アメリカ大統領候補ヒラリークリントンが出た名門女子大学であるが,そこの沿道には大勢の女子大生がプラカードを持って黄色い声で応援していた。しかもそこには“hug me”や“kiss me”などと書かれていて,噂には聞いていたが,日本では見られない陽気な応援であった。そして35キロ過ぎには,コース上最も苦しい登り坂で有名な「心臓破りの坂」があり,そこを過ぎるとボストンに向かって一気に下っていく事になるが,海からの強い向かい風を受ける事になる。とにかく沿道の声援がゴールまで途切れることはなく,天気も素晴らしく,このままずっと走っていたい感覚であった。ボストン市街に入ると沿道の声援は多くなり,ゴール目前のボイルストン通りに入ると両側にびっしりと人垣ができて,歓声や応援は一層大きくなり,別に自分だけではないとは分かっていても注目を浴びる中走っていくと,何とも例えようのない高揚感を覚え,この気分をまだまだ味わいたいと名残惜しみつつゴールした。後でラップタイムを見返すと,ゴールに近くなるにつれてペースが遅くなっていた。これまで10数回フルマラソンを完走しているが,こういった感覚でペースを落としたのは初めての経験であった。ゴールした後は,完走メダルや防寒アルミシートをかけてもらい,ボトル水,バナナやスポーツジェルなどの補給食をもらってようやく一息ついた。今回気温が思いのほか高かったが,意識して給水したおかげで脱水になることはなく,ただ普段長い下り走を練習していないせいか両方の大腿四頭筋の張りを感じた。7年前に始めたフルマラソンであるが,憧れでしかなかった世界最古のボストンマラソンを無事完走できた幸運をまず感謝した。計測チップでの記録は3時間33分と,長旅や時差のハンディを考えると満足いくものであり,まさに“Dream comes true”であった。これまでに走った国内のレースに比べてボストンマラソンは格段に魅力的であり,今回の記録で来年またエントリー可能であるが,日本からそう毎年参加できるものではない。果たしてこれから何を目標にと思ったとき,スタート直前にお会いした大阪からのランナーの言葉が脳裏に浮かんだ。その方は今年70歳を記念して10年前に参加したボストンマラソンに来られたとのことであった。また今大会では,かつてボストンマラソンで優勝した君原健二さんが,優勝50年目の招待ということで参加されていた。75歳の君原さんは4時間53分で,目標だった「5時間切り」を達成された。翌5月に還暦を迎える自分も10年後再びこの大会に参加できたらどんなに素晴らしいだろうと,それまで健康で走り続けることを目標にこれからもマラソンを続けようと思い帰路についた。
最も効率的で経済的なストレス解消法として始めたマラソンであるが,いつの日かまた彼の地を走る日を夢見て,日々ランニングを楽しむ今日この頃である。

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