リレー随筆の執筆依頼をされた少し前に天文館で家族と買い物をしていたら,ばったりと約20年ぶりに,かつて教わった空手の師匠に偶然お会いする貴重な機会を得ました。幼稚園生の頃から中学生までの10年間教わった先生で,自分が世の中で頭の上がらない人物の一人です。すっかり自分は舞い上がってしまい,緊張のあまり何を話したのかわからないままお別れしました。その後,反省しきりでしたが,後の祭りでした。
そもそも,私が空手を始めたきっかけは,父親が東京で大学生の頃に,大学の空手部に所属して,空手をしていたので,私にも強く勧めたのがきっかけです。私が幼稚園の時,なかば強制的に父に連れられ,空手道場に行った日を今でも覚えています。父が大学時代に空手にどれだけ取り組んでいたかを,詳しく聞いたことはありませんが,ときより,父が漏らす言葉がありました。その中で私の記憶に残っているのは,あこがれの空手の爽やかな先輩がいたことや,厳しい練習の様子や合宿での練習の話を聞きました。道場に入門後,幼稚園生であった自分は,夕方,毎日道場に通うのが,当初苦痛でしょうがありませんでした。屋外での練習だったので,雨になれば雨天中止となるので,毎日,空に向かって雨になれと叫んでいました。道着の背中には,“忍”という一文字を縫い付けてあり,まさに,自分のその当時の心境にぴったりでした。その当時の空手の師匠が,先日お会いした人物であります。先生はその当時,新進気鋭の若い将来有望な空手家で,竹刀を片手に,小学生,中学生に熱血指導をされていました。逆に言えば,私にとっては,当時とても怖い存在でした。練習中,竹刀が飛んでくる事もしばしばありました。冬などでも道着1枚で,裸足で公道や公園を皆で走り回りました。入門後1年ほどして型の試合があり,初めて試合に出場したのですが,出場人数も少なかったためか,たまたま低学年の部で3位になりました。さすがにその時は,トロフィーをはじめて貰い,晴れがましい気持ちになり,空手をして初めて良かったなとその日は思いました。父親はその時,私が空手を好きになったのだと勘違いしたようでした。その後も,自分は,相変わらず空手を好きにはなれなかったのですが,道場で友達もでき,練習も次第に苦痛ではなくなってきて楽しい出来事も増えてきました。私もその頃には,空手の恩恵を受けており,自然と基礎体力がついたので,スポーツが得意になりました。また,空手をしているからというだけの理由で,喧嘩が強いと周りが勘違いしてくれ,周囲が特別扱いしてくれました。自分は,当時,少年野球に憧れており,どうしてもその夢をあきらめられず,少年野球クラブに入りたいと父に常日頃訴えていました。将来,高校生で甲子園に行くことが自分の夢だったのです。放課後は公園で草野球をして,夜は空手道場に通うことが,日課でした。ある時,根負けした父は,県大会で優勝したら少年野球クラブに入れてやると約束してくれました。がぜん,自分は一生懸命空手の練習をして,半年後に優勝することができました。これで少年野球クラブに入れるぞと思ったら,父は優勝を大変喜んでくれ,かえって,空手を更にやめられなくなってしまい全国大会まで行くはめになったのは,懐かしい思い出です。その後も,あの手この手でまるめこまれ,空手を続け,中学3年時に父に内緒でラグビーを始めるまで,空手をやめることはありませんでした。今では,10年間のその期間は,空手を通して様々な貴重な体験をすることができたと感謝しています。その後私は高校時代の3年間ラグビーをしており,空手から離れていたのですが,空手時代に実践組手の試合をしなかったことが心残りだったのか,大学時代には格闘技であるボクシングを選択しました。社会人となり,ごく最近まで空手とは全く縁の無い生活をしていたのですが,なんと,去年の暮れ,息子が空手を始めていたのでした。始めたきっかけを聞いてみると,周囲の友達が楽しく空手の稽古をしており楽しそうであった事やテレビCMでかっこよく空手の型をする子ども達を見て憧れたからなのだそうです。空手好きは隔世遺伝のようです。流派は拳心会で,空手の正統派の1団体である剛柔流の分派です。父の大学時代の空手も剛柔流であり同じ流派のようです。私が所属していた流派は,少林寺流空手道 錬心舘です。特色としては,後ろ回し蹴りや飛び蹴りなど多彩な蹴り技です。組手は防具付き空手であり,フルコンタクト空手です。鹿児島に総本部があり,鹿児島発の流派です。開祖は保 勇範士です。自分が習っていた当時は小規模な団体で,鹿児島県が主で,全国大会といっても,鹿児島の選手が半分ぐらい優勝することが多く,トロフィーと表彰状は開祖自らが選手に手渡してくれました。その当時,開祖保 勇範士は独特の風貌で,仙人のような修行僧のような印象を子ども心に思っておりました。今,インターネットの錬心舘のホームページを見ると,世界中に道場があり,世界大会などを定期的に開催しており,大きく発展しており,グローバルに展開しているようです。ところで,空手の正統派とは,組手でのルールで寸止めといって体に当たる瞬間に止めるルールを基本とする流派だそうです。寸止めなので,子ども達にも安全に組手に取り組めるのかと思います。剛柔流,拳心会は,そのルールで試合をするようです。錬心舘はその点,正統派では無く,組手の際防具をするとはいえフルコンタクトなので,怪我をする可能性があるためか,組手は高校生から試合が組まれています。私は10年間も所属しましたが,組手の試合には,結局,1回も出場できずに終わっています。そのため先ほども触れましたが,大学では実戦格闘技に興味があり,ボクシングをしたのかなあと自己分析しています。
ところで,今回,リレー随筆を担当する手前,少し空手の歴史などを勉強してみたのですが,空手について無知だったなと思います。恥ずかしながら,その当時はただ,道場で練習するのみで,なにも空手について知ろうとはしませんでした。型の演技の意味を考える程度でした。今になれば,そういうところが師匠には物足らなかったのかもしれません。空手の発祥地が沖縄で,中国の拳法を学んだ空手は,戦前,唐手と呼ばれていた時期があることなど基本的な知識も乏しいものでした。ボクシングでも名選手の出身地に沖縄が多いのは,空手が盛んな事も一因ではないかと思います。また,空手道の本質は型であり,組手は後に体系化したなど,型のみに関わった自分としては,大変嬉しいものでした。また,鹿児島は空手発祥に関わりが深く,薩摩藩が琉球を支配していた関係上,薩摩の剣道の示現流の一撃必殺の考えが,沖縄発祥の空手にも取り入れられたなど大変興味深いものでした。
父が大学で空手に出会い,その関係で私は半強制的に空手の世界にどっぷりつかり,少年時代を過ごしました。現在は,息子が自らすすんで空手の世界に入って,嬉々として練習しています。やめたいとか不満とか私と違って全くないようです。指導者にも恵まれ,優しく丁寧に教えてもらっているようです。空手は集団競技とは違い,自分のペースで練習ができ,礼儀も学べるため,今の子ども達にとって人気のある習い事の一つなんだそうです。迎えも,自分の頃は道着のまま,夜8時頃,道場から一人で家に走って帰りましたが,今は物騒な世の中で,過保護のように思えますが,車で,道場に送り迎えしているようです。見たいテレビ番組も今は,録画できるので,特に不満もないようです。周りの環境は様変わりしており,空手道は武道というよりもスポーツに変化しているのかもしれません。しかし,世代を超えて,同じ空手道体験をしているのは,不思議な気持ちです。私から空手の技を息子に伝授する機会は無いですが,息子には,少しでも空手を長く続けて,空手を通じて,私や父のように色々な貴重な体験をしてくれたらと今では思っております。

| 次号は,鹿児島大学医学部・歯学部附属病院 血液・膠原病内科の井上大栄先生のご執筆です。(編集委員会) |

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