=== 新春随筆 ===
大河ドラマ「花燃ゆ」で賑わう萩を訪ねて |
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中央区・城山支部
(高見馬場リハビリテーション病院) 林 敏雄
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写真 1 大河ドラマ館
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写真 2 文と久坂玄瑞の結婚衣装
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写真 3 文役・井上真央等の式紙
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写真 4 野山獄跡
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写真 5 松下村塾
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写真 6 松陰神社
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写真 7 吉田松陰の墓
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写真 8 萩反射炉
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写真 9 萩市全景と指月山
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写真10 萩城跡(中央石垣に天守閣があった)
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写真11 旅館「北門屋敷」の入り口
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写真12 旅館庭の夏みかん
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現在NHKで吉田松陰の妹「杉 文(フミ)」をヒロインにしたドラマが進行中であるが,以前から萩には一度行ってみたいと思っていた。たまたま平成27年11月15日(日)に大阪陸幼同期のクラス会を山口でするというので,実現できることになった。
前日の14日(土)朝,新幹線で新山口まで行き,萩の「花燃ゆ大河ドラマ館」までの直行バス「スーパーはぎ号」に乗ることができた。7月に松下村塾が世界遺産に認定されたせいか今年いっぱいバス代は半額で,昼前に着いてみると観光客で溢れていた。ドラマ館(写真1)は萩藩校明倫館の跡地にできた旧明倫小学校の講堂を利用して臨時に設置され,配役達の衣装などの展示と(写真2),松下村塾や松陰の実家のレプリカが造られ,ドラマ作製過程の映画も上映されていた。小学校の校舎のほうでは本格的な歴史資料館を造る工事が始まっていて,立ち入り禁止になっていた。
見学を終えた昼食時,近くの有名な“そば処・がんこ庵”で,10割そばを食べたらとても美味しかった。小さい店の欄間には著名人の色紙がたくさん飾ってあり,「文」役の井上真央と夫「久坂玄瑞」役の東出昌大のもあった(写真3)。店の女将にタクシーを呼んでもらって観光に出掛けた。
ドラマ館は萩市の中心部にあるのだが,少し北に野山獄跡がある(写真4)。1854年松陰が下田で従者の金子重輔を伴い,法を犯して黒船で米国に渡ろうとしてペリーに断られ,士分なのでここに投獄された。庶民である重輔は反対側の岩倉獄に収容された。
ここから東に移動して松下村塾に行ってみると,団体観光客が大勢詰めかけているので驚いた。ガイドさんが長々と説明を終えると次の団体と入れ替わるという具合で,随分待ってからやっと写真を撮ることができた(写真5)。部屋の中には上がれない規則だが,特別に許可を得たのか揃いの服を着た10数人が中に座って講義を聴いていた。隣には1855年松陰が3畳の部屋に蟄居を命ぜられた杉家があり,松下村塾とともに世界遺産に登録されている。
同じ敷地にある松陰神社も正月の初詣でのように,拝殿前では数列に並んでゆっくり前進してやっと参拝することができた(写真6)。
1859年安政の大獄で松陰は処刑され「親思う こころにまさる親ごころ きょうの音づれ何ときくらん」の辞世の句を残して満29歳の若さでこの世を去った。松陰神社から車で数分上がった高台に松陰の遺髪を収めた墓があった。墓石に刻んである字がはっきり読めなかったが,「松陰二十一回猛士墓」だそうだ。「吉田」は養子先の姓で旧姓は「杉」で,分解すると「十」「八」「三」で合計すると二十一となるからという。お線香を立ててお参りをした(写真7)。裏手には立派な高杉晋作の墓もあった。更に上に登ると松陰と重輔の銅像があるのだが行き損ねてしまった。
萩市東北の海岸近くに立派な萩反射炉跡があった(写真8)。これは見応えがあり世界遺産に登録されている。更に海岸に出ると世界遺産の恵美須ヶ鼻造船所跡があったが,石垣と小さな石の灯台があるだけで,見に行くほどの物ではなかった。
海岸を西に走ると沖に大小の島が次々と現れ,最後は指月山(シヅキヤマ)(標高143m)に突き当たって島影が途絶えた(写真9)。関ヶ原の戦いで西軍の総大将・毛利輝元は敗れると,安芸の国・広島城主120万石の大名だった彼は周防・長門2カ国の37万石に大減封され,指月山の麓に萩城を築いた。訪ねてみると天守閣は明治7年に解体され今はなく,石垣と内堀のみが残っていて(写真10),城跡は指月公園として整備され春は桜が満開で,城下町とともに世界遺産に登録されている。
城下町は旧上級武家地と町人地に分かれ,宿泊予定の老舗旅館「北門屋敷」は前者にあった。立派な門構えをくぐって中に入ると(写真11),カラフルな花が咲き乱れる洋風ガーデンと,滝や錦鯉が遊ぶ和風の庭を備えていた。部屋数が多く通路が複雑で,しばしば迷ってしまった。3階の部屋から下を覗いたら真黄色に熟れた夏みかんの木が目についた(写真12)。明治になって貧困に苦しむ士族への救済措置として栽培が奨励され,現在では飲み物や菓子に加工されて萩の特産品となっている。最近では中身をくり抜いて羊羹を詰めたものが,テレビで“みのもんた”出演の「秘密のケンミンSHOW」で紹介されたら,製造が間に合わないほど売れているという。やっと手に入れたのを食べたら本当に美味しかった。料理も良かったし,数少ないベッドの部屋で休めて幸せな1日だった。
毎年11月の第2日曜日は「萩時代まつり」で大通りは交通規制が行われ,武者行列などで人口5万の萩の街は大賑わいになるそうだ。しかし翌日はちょうどその日なのに,残念ながらクラス会で山口の湯田温泉に移動のため見ることができなかった。
松陰の妹「文」のことは知らなかったがドラマは彼女を中心に構成されており,現在も続行中である。文は15歳の時,高杉晋作と並んで松陰の高弟の一人18歳の久坂玄瑞に嫁ぐが,彼は禁門の変で敗れ25歳で自刃した。楫取素彦(カトリモトヒコ)は松陰の無二の盟友で文の姉・寿(ヒサ)を妻に迎え,藩の役職に就いて松陰を助けた。明治9年に群馬県令として活躍するが,寿が病弱で亡くなったあと,文が後妻になって彼を助けた。世界遺産になった富岡製糸場にも関係があり,貴族院議員を務め男爵を授与され,大正元年84歳で没。文は大正10年79歳で死去した。
吉田松陰が松下村塾に集まる門弟達の面倒をみたのがわずか数年の短い期間なのに,2世紀半続いた徳川幕府を倒し,明治維新を成功させた多くの人物をこの塾から出し,近代日本の基礎を築いたという事実は,改めて驚くべきことであると思う。
(平成27年11月27日記)

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