=== 新春随筆 ===

天孫降臨の地に鎮まる霧島東神社




 鹿児島市消防局長  山下 裕二

 平成28年の新年を迎え鹿児島市医師会の皆様に謹んでお慶びを申し上げます。
 平素から市政並びに救急業務をはじめとする消防行政の推進に格別のご理解とご協力を賜っておりますことに衷心から厚く感謝とお礼を申し上げます。
 さて,新玉の年を迎えて,今年一年の運気上昇や無病息災,家内安全など諸々の願を神様にお聞き届けいただくために,早々初詣に足を運ばれたものと思います。
 私たちは,日本文化の中で,この世に生を受けてから初宮参りや七五三,厄払いなど神仏と何らかの関わりを持ちながら日々を過ごしておりますが,往古,人は人間の智慧では如何ともし難い大きな力,あるいは生き延びんがための源となる恵みに「神」や「仏」の存在を見出し,困難な時に心の拠り所として人心の安定を図ってきました。
 皆様方それぞれに,その場所に足を踏み入れることで心が清々しく,気が蘇る神社仏閣の存在があられると思いますが,今回は筆者が30年以上にわたりご縁をいただいております霧島東神社をご紹介いたします。
霧島東神社拝殿

 霧島東神社は,裾に御池を配した霊峰高千穂峰の東斜面の山懐,標高500mの高台に鎮座し,創建は第10代崇神天皇の代と言われており,邇邇芸能命(ににぎのみこと)が天孫降臨された際に,初めて祖先の神々を祀ったところとされています。
 霧島東神社の社殿は,度重なる霧島山の噴火により,復興と造営を重ねており現在の社殿は,享保12年(1722)の造営により,幾度かの改修を経て現在に至っております。

 主祭神は,伊邪那岐諾命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)
 相殿神は,天照大御神 天忍穂耳命 邇邇芸能命 日子穂穂手見命 鵜葺草葺不合命神武天皇


 霧島東神社は,噴火を繰り返す自然の厳しさの象徴として山岳信仰の場としても日本有数の神仏習合の霊場であります。天台宗の僧侶「性空上人」が,天歴年間(947〜957)に境内に別当寺である東光坊花林寺錫杖院を建立した霧島六所権現の一つで,霧島山で神意仏心を崇める修業を行う修験者達の拠点として,当時は「霧島山大権現東御在所之宮」と呼ばれておりました。霧島修験の興隆に伴い社寺ともに栄え,最盛期には360人を超す山伏行者が,山内に宿坊を営みつつ社寺の護持に勤めたとされていますが,明治5年の修験道廃止令により錫杖院は廃されました。
 神社の境内入口には,錫杖院代々ご住職24代の眠る墓地がありますが,神社の境内に墓地が存在するのは極めて稀なことであり,霧島東神社が神仏一如である姿を窺うことができます。
○御池に沿うように木立内の参道を進み急坂を登り広い境内に入りますと社務所(錫杖院跡)前から眼下に御池を望みます。新緑の頃は,新緑が湖面に輝き素晴らしい景観をいただけます。
○朱塗りの大鳥居をくぐり,「天狗社」や「神龍の泉」を拝しながら,手水舎の水で身を清めて石段の参道を登ります。



○朱塗りの神門に入ると,参道の正面の上段に拝殿が現れます。神門を抜けてすぐ左側の社が猿田毘古社で,邇邇芸能命が降臨された際に,道案内をされた猿田毘古の神が祀られています。猿田毘古神を祀る神社は,霧島六所権現の中で霧島東神社のみです。



○社殿の正面には,「東霧嶋坐」と大書した扁額が収められており,額面の左には「源光久書」と奉納者が記されている。「源光久」は,島津家第18代当主島津家久の嫡男光久のことであり,島津氏が他の六所権現の諸社に比して,霧島東神社を手厚くもてなしたのは,この社が霧島信仰の根源であると見なしたからであると考えられています。



○本殿内奥には雌雄一対の龍柱が祀られ,雄龍は爪に宝珠を握って眼光を放ち,それに対峙する雌龍は宝珠を狙うかのように龍頭を大きく差し伸べて,いかなる邪気も祓い,あたかも神座を守護するかのように立ち,拝する人をして稜威の雄心を奮い起こさせ,明日への活力を授け続けているとされています。



○霊峰高千穂峰の山頂は,霧島東神社の飛地境内として霧島東神社の社宝である「天逆鉾(あまのさかほこ)」が祀られています。



主な祭典等
○歳旦祭
 元旦午前1時,号鼓とともに純白の斎服を装った神職が神前に額づき,御賀寿詞(みほぎのよごと)を奏上し,国家皇室の弥栄と氏子・崇敬者の安泰を祈る神事が斎行される。
○節分祭
 2月3日,拝殿において邪気を祓う豆打神事が執り行われる。
○建国祭
 2月11日早旦,御祭神神武天皇が初代天皇に即位された嘉日を祝し拝殿において神事が執り行われる。
○春季大祭
 4月29日,境内内の法栄殿において,宮司により代々の祀官,住職または先賢・先覚に対する慰霊の祭詞が奏上され,法栄殿護摩壇において護摩供養祭が営まれる。



○秋季大祭
 11月8日に宵宮祭,9日には例大祭が斎行される。特に宵宮祭は午後8時から斎行され,神門を経て拝殿前の石段において,神楽奉仕員が左右から白刃を翳す中を参進して昇殿し,拝殿においては二本の祓い串と二振りの白刃が交差する下を潜り,禊を受けるもので秋季大祭のみに行われる霧島東神社天来の修祓の儀である。
 例大祭には,全国各地から崇敬者が集まり,境内は人で埋め尽くされ霧島東神社における最も大きな神事である。
○祓川神楽の奉納
 祓川神楽は,霧島東神社の奉納行事として,400年の歴史を持ち,平成22年1月に「高原の神舞(たかはるのかんめ)」として,国の重要無形民俗文化財に指定されています。毎年,12月第2土曜日から日曜日にかけて祓川地区の祓川神楽殿もしくは祓川神楽殿前の広場において午後7時頃から神事が始まり,神楽は翌朝7時頃まで33番が奉納されます。



○境内内には,霧島六所権現を開いた「性空上人」の石像があります。
  性空上人が入寂されて1,000年の御遠忌に当たる平成18年に建立されました。



結 び
 紙面の都合により案内不足の部分が多くございますが,深緑の中に朱塗りの宮が静かに鎮座し,しばしの間,俗世を離れるかのような境地に浸れます。御池の付近にご用の際はぜひともご縁をいただかれてください。
 平成28年が,災害・事故の少ない平穏で明るい一年となりますようにお祈り申し上げます。
(出典:「霧島東神社由緒略記」霧島山東御在所縁起(霧島東神社発行)




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