=== 新春随筆 ===

今私が思う気持ち…
〜ありったけの感謝の気持ちを〜




 鹿児島県言語聴覚士会 会員
(厚地脳神経外科病院 言語聴覚士)  岡井 貴宏

 「自分は生きているのではなく,生かされている」最近,このような思いをよく感じています。私は,今年三十路を迎えました。これまでの私の30年間は,山あり谷ありで,「決して人に自慢できるものではない」と思っています。しかし,そんな私の人生を常に応援し,支えてくれていたのは,母の存在でした。私の家庭は,3人家族です。幼いころから,マイペースに歩んできました。
 私の母は,とても明るく,元気で,いつも家庭を笑顔にする存在です。その上,料理が上手で,私の中では世界一美味い飯を,母はいつも作ってくれていると感じています。そんな私は,年を重ねるにつれ,親を悩ませる事や,迷惑をいっぱいかけてきたと感じています。いつも私を心配し,気使い,優しくもあり,厳しくもあり,支えてくれる母に,反抗し強がっていた私。しかし,それでも私を常に信頼し,一番の理解者でいたのも母でした。
 私の父は,一言で言えばとにかく厳格な父でした。幼い頃は仕事が忙しくあまり家にいない事もあり,休みの時は,私と母をいつもどこかに連れて行ってくれるような父でした。しかし,そんな父は,私が小学生の低学年の時から病を患い,当時余命10年を言い渡された程でした。そんな体であっても,私たちに苦労かけまいと,一生懸命仕事に励み,家庭を守ってくれた大きな存在です。男として父として,今も変わらず尊敬しており,偉大な存在です。
 そんな両親に私は,今回,今の私だから,今だから感じられたこの気持ちを,ありったけの感謝の言葉で,表現していきたいと思えるように,恥ずかしながらやっと思うことができました。
 なぜなら私も,今では二児の父へとなることができたからだと思っています。初めて親となり,まだまだ新米パパではありますが,ほんの少しだけ「親の気持ち,親の思い」というものを知り,感じられている今だからこそ,更に両親への感謝の思い,妻の両親への感謝の思いを,素直に言葉で表現できていると思っています。今まで十分に伝えられていなかったであろう,「ありがとう」という感謝の気持ちを,両親はじめ,妻や,子どもたちにも,「ありったけ,伝えて生きて行きたい」と,そう感じることが多くなってきました。
 今までは「自分のために生きてきた人生」を,家族の存在があることで,「家族という存在に生かされている人生」へと思いを改め精進していこうと感じています。
 私は,言語聴覚士として,急性期の患者様や,小児のリハビリに対して,仕事をさせていただいています。その中で,セラピストの立場と,患者様の家族の立場,子を持つ親の立場の,三方向の視点から,物事を考えられる言語聴覚士として,仕事を行えていると思います。冷静に患者様に対応し,現状を把握し,分析し,温かい気持ちで,患者様および,ご家族に対応する事で,常に全力で私自身ができることを実施するように,心がけてリハビリを行えています。言葉を扱う仕事だからこそ,自分自身の発言する言葉に対しての,「重み」,「強さ」,「温かさ」,「恐れ」といった責任を,丁寧かつ適切に選択する事で,患者様やそのご家族が抱える,不安や悲しみや,悔しさを,少しでも癒せるリハビリを提供することを,心掛けています。言葉というものは,時に人の心を傷つけるものでもあり,時に人を優しく包みこみ,温かくするものでもあると思っています。そんな何気ない事は,誰しも日常の中で感じるものであると思います。だからこそ私は,言語聴覚士として,「言葉」のもつ本来の大切さを常に考えながら,言葉が担う日常生活の中での重要性も考え,仕事を進めています。
 加えて独身の時とは違い,守るべき家族ができた私は,「仕事」そのものに対しての考え方が変化し,今の私の臨床に活かされていると感じています。日々めざましく過ぎていく中で,まだまだ知識・技術ともに半人前ではありますが,感謝の気持ちを大切にし,患者様へ向き合うことで,気持ちのいい「ありがとう」の思いを繋ぎ合える,そんな医療従事者を目指し,日々精進していこうと思います。
 今まで,私に関わった方,そしてこれから,私が関わる全ての方へ,「ありがとうの感謝の気持ち」という,私の両親・私の家族から教えて貰った,大切な思いをしっかり伝えられる事のできるよう,笑顔を忘れず,全力で頑張っていきます。そしていつの日か,私が両親の背中を見て育ったように,私の背中を見て育った子どもたちが,同じ思いを抱いて巣立っていくことを願い,仕事もプライベートも充実していきたいです。




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