=== 新春随筆 ===

       バルト海クルーズ




 西区・伊敷支部
(植村病院)  吉村  望

 
図 北欧,バルト海概略地図

 真夏の暑気払いを兼ねて,これまでほとんど訪れたことの無かった北欧に飛び,いつもの仲間で約1週間のクルーズの旅をした。添乗員は前回地中海クルーズで大変お世話になった神原さん,気心も知れて心強い限りである。

1.ハンブルグ(ドイツ)
 7月24日,参加メンバーは12人,成田空港からオーストリア航空に搭乗し,ウィーン経由でハンブルグに到着。地元ガイドと合流しバスに乗車,エルベ川を渡って間もなく20時過ぎグレシャム・カラットホテルに到着。

2.ハンブルグ,キール(ドイツ)
 7月25日,ホテルを出発,北へ向かいキール港に到着。これから1週間泊まり込むことになる客船MSCオーケストラ号(92,409トン)に乗り込む。イタリアの船会社MSCはMediterranean Shipping Companyの略である。オーケストラを含むMSCクルーズ船のゴッド・マザー(名付け親)はナポリ近郊育ちのソフィア・ローレンとのこと。我々の客室は10階に配置され,デッキ着きの快適な部屋である。昼食後,船内巡りツアーを済ませた後,乗客は全員アセンブリーステーションに集められ,救命道具を着けて避難訓練が実施された。夕食中19:30頃キールを出港。今夜から明日は終日航海,ドイツからデンマーク領海に入り,スウェーデン領海へと,ゴットランド島の東側を通りバルト海を北東へ進む。
写真 1 クルーズ客船(MSCオーケストラ号)


3.タリン(エストニア)
 7月27日,タリンに入港。エストニアの首都タリンは,13世紀の初めに侵攻してきたデンマーク人によって建設された。タリンはエストニア語で「デーン人の街」の意であり,ハンザ同盟の中心都市として栄え,尖塔と城壁が残るバルト海の城下町で,歴史を伝える建築物が数多く残されている。トーンペア城(現国会議事堂)やロシア正教会アレクサンドル・ネフスキー聖堂などを見学。コフトゥ通りの展望台経由で下町へ,聖ニコラス教会,カフェPEPPERSACKで休憩。ラエコヤ広場には15世紀初めに建てられたゴシック様式の旧市庁舎がある。

 
写真 2 トーンペア城

写真 4 バルト海の夕景色

 
写真 3 タリンの下町風景


4.サンクトペテルブルグ(ロシア)
 7月28日,サンクトペテルブルグ入港。ターミナルに入るとすぐに入国審査を終えてガイドと合流しこの日は終日観光。ウァシリエフスキー島の岬にあるロストラの灯台柱で写真タイム。右にはエルミタージュ,左には聖堂のある兎島が見える。宮殿橋を渡り馬上のピョートル大帝像を眺める。兎島へ渡りペトロパブロフスク聖堂に入場。ネフスキー大通り,プーシキン像の建つ芸術広場で下車。血の上の救世主教会入場。ロシア美術館内のレストランで昼食。宮殿広場,宮殿河岸通りで下車しエルミタージュ美術館に入場。さすがに世界で名だたる美術館だけに,その規模と豊富な収蔵品をたっぷりと時間をとって鑑賞。夕刻には港に到着し出国審査を経てオーケストラ号へ。

 
写真 5 ピョートル大帝像

写真 7 宮殿前広場にて記念撮影

 
写真 6 ペトロパブロフスク聖堂

写真 8 エルミタージュ美術館


5.ヘルシンキ(フィンランド)
 7月29日,昼前にヘルシンキに到着し,バスに乗り込むと遠くにスオメンリンナ島が見える。オールド・マーケットホールとマーケット広場を散策。元老院広場より大聖堂を見上げる。白亜の外壁と5つのドームが美しい福音ルーテル派の大聖堂で,ヘルシンキのシンボルともいえる。ついでウスペンスキ寺院に入場。1868年に建設された西ヨーロッパ最大級のロシア正教会で,赤レンガの外観が特徴的。有名店が並ぶエスプラナーディ通りスウェーデン劇場の東脇に駐車し,しばしショッピング。トーベ・ヤンソン原作ムーミンのぬいぐるみ人形など孫たちへの土産品を買う。「フィンランディア」の作曲家シベリウスの生誕80周年を記念して,1945年に命名されたシベリウス公園で,写真タイム。周辺には白樺や赤松などの緑豊かな地帯が続く。岩盤をくり抜いて造られたテンぺリアウキオ教会(愛称:岩の教会)に入場。銅線を使った円形の屋根を被せた外から見ると,宇宙船のようなユニークな造りで,岩と屋根の間にはガラスが使用されている。ここではコンサートなども行われる。

 
写真 9 大聖堂

写真11 テンペリアウキオ教会

 
写真10 ウスペンスキ寺院


6.ストックホルム(スウェーデン)
 7月30日,複雑なフィヨルド地形の奥深い入り江へ入り,フリハムネン港へ入港。クングスホルメン島に渡り市庁舎に入場。ノーベル賞授賞祝賀晩餐会の「ブルーホール」,市議会議場,授賞パーティの舞踏会場「黄金の間」等を見て回る。セーデルマイム島に渡り展望台よりストックホルム全景を眺める。それからガムラ・スタンに渡る。ガムラ・スタンとはストックホルム発祥の地で,「古い街」を意味する。13世紀頃に街が形成されはじめ,現在見られる建物の多くは17〜18世紀に建てられたものである。この地は。1986年私がヨーロッパ麻酔学会のついでに初めてストックホルムを訪れた際に,この地に在住の友人に何度か連れてこられた場所だけに格別懐かしく感じた。ガムラ・スタンにある王宮はヨーロッパで最も大きな王宮の一つであり,現存するのは18世紀半ばに完成したバロック様式の建造物で,衛兵の交替式は観光客に人気の行事となっている。中庭で長身のスタイル抜群美人衛兵と記念撮影。ノーベル博物館で,孫たちに将来はノーベル賞級の仕事を目指せと,勝手な願いを込めながらメダルチョコを購入する。騎馬鼓笛隊が登場。バスで本土へ戻り,作家協会所有のレストランで昼食。午後港に到着。

 
写真12 ストックホルムの港近傍

写真14 「黄金の間」

 
写真13 市庁舎中庭

写真15 美人王宮衛兵と記念撮影


7.終日航海
 7月31日,オーケストラ号はひたすらキールへ向けて航海を続ける。デッキから時折行き交う船舶をみつけては写真を撮る。色彩鮮やかな船を見つけたところ,船籍には何とVIKING LINEとあった。

写真16 ショートクルーズ船


8.キール,リューベック,ハンブルグ(ドイツ)
 8月1日,1週間の船旅を終えてキール港に帰ってきた。オーケストラ号ともお別れの朝。バスでリューベックへ向かう。シンボルマークともいうべきホルステン門は表側と裏側で造作が違う。表側は外敵に備えて窓が少ないが,裏側にはたくさんの窓が見られたのが印象的であった。マルクト広場と市庁舎,マリエン教会,トーマス・マン記念館。自由時間にはリューベック名物のマルチパンの店へ。昼食後ハンブルグ散策。倉庫街,港ではエレベータでエルベ河底トンネル,市庁舎の中庭,内アルスター湖を見物。夕刻には一泊目と同じホテルに到着。夕食時,皆さんから,ハッピーバースデートゥーユーと恥ずかしながら私の誕生日のお祝いをしていただいた。

 
写真17 ホルステン門

  写真18 内アルスター湖


9.ハンブルグ,ウイーン,成田
 8月2日,ハンブルグ空港を出発,8月3日早朝,たくさんの旅の思い出とともに各国のチョコを携えて無事成田に帰着。“友のいることが嬉しくって,ご縁あって生かされている。ありがたさなり。”

付記:本紀行文中の多くは,添乗員の神原卓穂氏から提供された資料によるものであり,改めて心からの謝意を表します。




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