二十数年ぶりの登山
体力に多少不安があったが,“あいら山の会”の方から「山歩きしないか」とお誘いいただいたので,せっかくの機会だから連れていってもらうこととした。10月の末,一泊二日の日程で五家荘から国見岳・平家山などに登ったのである。私としては,本当に久しぶりの登山である。登山といっても私の場合安全な山歩きで,若い頃は屋久島や開聞岳,市房山〜石堂山縦走,霧島縦走,富士山(9合目までだったが)など暇をみては登ったものである。随分昔になるが(学生時代),桜島にも登ったことがある。だが最近はなかなか機会がなく,おそらくは20年以上前,韓国岳に登ったのが最後ではなかったかと思う。その時も,たいした荷物もないのにフーフー言いながら,やっとの思いで登りついたのを覚えている。体力の衰えを実感させられたものである。
このようなことだから,今回お誘いいただいた時もどうしようかと迷ったが,これまで登ったことのない山で,しかもこの時季は紅葉がきれいだと聞いて何としても行ってみたいと思うようになった。もちろん体力的に不安はあったが,ここ数年続けている近くの高台にある運動公園までの散歩が,多少は体力づくりに役だっているだろうと勝手に決め付け,二十数年ぶりに連れていってもらうこととしたのである。
(五家荘へ・・・)
“あいら山の会(野間口徹郎会長)”は,姶良地区の山歩きの好きなシニアの皆さんを中心にした会員約40人の会である。近くの山歩きから県外の本格的な登山など多い時は月に数回計画されているようで,それぞれが自らの都合に合わせ無理をしないように参加されているとのことである。今回の国見岳登山には会員の方11人と私,それに熊本から会長の山仲間の方も現地参加され,13人のパーティーとなった。
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五家荘黒原地区の紅葉
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梅の木轟の吊り橋
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行程は,一日目は雁俣山登山,二日目は国見岳から平家山縦走である。
その日は雲ひとつない快晴で,私の久しぶりの登山を歓迎しているかのようであった。朝7時,12人を乗せたマイクロバスが姶良市図書館前を出発した。途中,五木村の道の駅で休憩をとったが,そこは川辺川からは随分高いところに移転したきれいな道の駅であった。移転前,川べりにあった頃に来たことがあるが,その時は防災と水利からダムが造られるということで,村がすべて移転しなければならなくなり,そのための工事が遥か高いところで行われているのを下から眺めたのを覚えている。それがこの道の駅なのである。当時は大変な反対運動のなかでのやむを得ない移転ということだったようだが,その後ダムの必要性についての議論もあるようで,これからどうなっていくのだろうか。
五木村から五家荘に向かって,川辺川沿いの離合もできないような狭い道をマイクロバスはゆっくりと進む。そして10時頃,一日目の目標である雁俣山の登山口の五家荘二本杉に到着した。
(雁俣山登山と梅の木轟の吊り橋)
少し雲がふえてきたようで,バスから降りるとさすがに肌寒い。みんなそれぞれに身繕いをし,熊本の方とも合流していよいよ出発。すこし色づき始めた雑木のなかをゆっくりと歩みを進める。初めのうちは,少し登りになると身体の重みを感じていたが,だんだんペースに慣れてくるのか足は割りと順調に運ぶことができて,当初の不安もなくなってきた。そのうち,杉木立のなかにカタクリの花の群生地があったが,この季節になると説明を受けても本当にそうなのかと思う程度で,全く様子をうかがい知る事はできない。今度はカタクリの時季,5月に何としても来ることにしよう。
さらに歩みを進めて約1時間半,急な登りを登りきるとそこは雁俣山の頂上であった。標高1,315メートルとさほど高くはないが,眼下には熊本の砥用の町が望める。“本当にきてよかった”と久しぶりの眺望に何かしら懐かしい感動が沸き起こってきた。
全員で記念撮影をして下山となったが,紅葉がきれいだろうということで,黒原地区を回って下山することになった。だが,空模様がだんだんおかしくなってきたようで時々厚い雲が覆ってくる。みんな何となく急ぎ足になってくるが,黒原地区に近づくと紅葉の始まった落葉松がパーッと目の前に現われ足が止まる。そして山あいの地域一面に紅や黄色に染まったもみじが広がる。何と素晴らしい光景だろう。心配だった天気もこの時ばかりは雲が切れ,燦々と輝く秋の光がもみじを照らしている。敷き詰められた黄色い落ち葉を踏みしめながら,しばらくは感動に浸っていた。
どんなに素晴らしくても,いつまでもはいられない。後ろ髪を引かれる思いでそこを後にした。昔,生活道路であった古道の踏み跡を確認しながら二本杉へと歩みを進める。天気は次第に怪しくなり二本杉に着いたころは小雨も落ちだしたが,ここで遅い昼食となった。だんだん寒くなってきていたので熱いお茶にほっとしたひと時であった。
昼食後,少し雨は降るが“梅の木轟の吊り橋”に行くことになった。葉木川の深い峡谷にかけられた白い吊り橋は116メートル,白いリボンのようだと説明書きにあったが,まさしく峡谷をわたる真っ白な長いリボンであった。その吊り橋を渡って急な坂を300メートルほど行くとそこに梅の木轟があった。五家荘では滝のことを轟といい,この轟は高さが40メートルほどあるようで,有名な“せんだん轟”は男性的,この梅の木轟は女性的と言われているようだが,小雨に濡れるこの轟を見ていると余計にそのような印象になった。いつの間にか雨が本降りになり,この日は宿舎である“佐倉荘”へと向かうこととした。
この佐倉荘は,五家荘葉木にある古民家風の宿で,平家の流れをくむ“佐倉宗吾”の出生地という由緒あるところのようだが,その説明は別の機会に置くこととして,その落ち着いた佇まいは一日の疲れを癒してくれるのに十分であった。めずらしい山里料理に舌鼓を打ち,アルコールも少し入ると誰からともなく歌が始まった。山のけむり,椰子の実,初恋,琵琶湖就航歌など等,みんなで歌い,そして時々二重唱も加わる。私にとって,昔山に行っていた頃のことが思い出されて大変懐かしくそして楽しいひと時だった。
(国見岳から平家山縦走)
翌朝目を覚ますと,寝るころまでは音を立てて降っていた雨もあがっており,予報ではだんだん晴れてくるというので昨日の疲れも吹っ飛んだ。いよいよ国見岳だ。7時に出発し狭い樅木林道を通って登山口へ。予報どおり雲が切れ日がさしてくると山の紅葉が映える。わくわくしながら登山口に着き,みんなでストレッチをして登山開始。取り付きから杉林の中の急な登りの連続で,一歩一歩ゆっくりと足を踏みしめながら登っていく。さすがにキツイ。しばらく進むと尾根伝いになり杉林から雑木へと変わってきた。なかには真っ赤になったドウダンつつじやもみじも見える。そして大木も。それは樹齢数百年にもなるというブナの木であった。かつてはこの一帯はブナ林だったそうで,それが台風などで倒れだんだん少なくなってきたのだということであった。直径1メートル近くもあるようなブナの巨木があちこちに倒れているのを見ると,自然の脅威を感じると同時に何とか守る方法はないのかと思う。天然更新するのだろうか。この倒れたブナの巨木を乗り越えながら歩みを進めると,大きなヒメシャラが目に付いた。平地では見られないほどの大きさ(樹高20メートル近く)のものが数本である(ヒメシャラ八兄弟との説明があった)。そしてその周辺にはシャクナゲが群生している。春には,生き生きと芽吹く新緑と咲き乱れる花々でどんなに素晴らしいことか,想像しながら進む。2時間ほど歩いたろうか,次第に視界が開け,あちこちに大きな白い岩が目に付きだした。なかにはその岩の上に根をはる樹木も。すごい生命力である。
そして,ついに国見岳の頂上である。1,739メートルから望む360度の眺望に息をのむ。真っ青に晴れわたった空の中に,周りの山々が静かに浮かんでいる。しばらくは言葉もなく見とれていたが,次は平家山への縦走だ。祠の前で記念写真を撮り,程なく出発。びっしりと敷き詰められた落ち葉の中を尾根伝いにゆっくりと歩いて行き,川辺川の源流と言われる地点を過ぎる。このあたりにもやはり倒れたブナの大木や,立ち枯れたものがあちこちに見える。ふと見上げると,木の幹に団扇のようなものがいっぱい咲いている。何だろうとよく見るとそれは“サルの腰掛”であった。立ち枯れたブナにはサルの腰掛がよく着くのだそうで,気をつけると近くに同じようなものが何本かあった。しばらく落ち葉のなかを黙々と歩き続け,林のなかでわりと広く平坦な場所があったのでそこで弁当を食べることになった。埋もれるような黄色い落ち葉のなか,遠くからは鹿の鳴き声も聞こえ,格別なひと時であった。
国見岳を発って3時間くらいになるだろうか,やっと平家山に到着する。この山は1,496メートルあるが雑木が茂っていてほとんど視界はない。記念写真を撮るとすぐ平家山登山口へと向かう。頂上から少し降りると焼けたような匂いがしてきた。そして黒く炭化して立ち枯れている木々が・・・・・。
2年ほど前に山火事で焼けたのだそうである。3〜400ヘクタールも焼けてしまったそうで,原因ははっきりしないらしいが,永年かかって作られてきた貴重な植生が一瞬にして灰になるなど残念でならない。植生が回復するのにどれくらいかかるのだろうか。山火事に気をつけることは山を愛するものとして基本中の基本であり,決して他人ごとにしてはならないことである。
この焼けた山は勾配が急で40度以上はあるように思える。そのなかを,気をつけながらゆっくりと降りていく。途中,膝がガクガクして痛くなると休憩・休憩しながら降りて行く。そしてついに平家山登山口に到着する。登り始めてから8時間,体力に不安があるなかついにやり遂げることができたのである。
二十数年ぶりの山歩きは,私の山に対する色々な思いを呼び覚まし,改めてその魅力に浸ることができた。同時に体力は鍛えることでつくられていくものだということに実感を持った次第である。
このような機会を与えていただいた“あいら山の会”の皆さんに心から感謝いたします。
またもや「医療崩壊」の危機?
財務相の諮問機関である財政制度審議会は,来年度の予算編成に向けた建議をまとめたが,その中で社会保障費の削減とりわけ診療報酬のマイナス改定を求めている。薬剤費とともに医師の技術料も含めて「マイナス改定が必要」というのである。社会保障費は,高齢化や医療技術の進歩などにより年1兆円程度の自然増が必要といわれている。安倍政権は,概算要求でその伸びを6,700億円に抑え込んでいるが,建議はそれをさらに削減して5,000億円に圧縮するように求めているのである。そしてその標的にしているのが診療報酬なのだ。06年の診療報酬マイナス改定により,医師不足などで地域の医療機関が撤退するなど医療崩壊を加速させたことに全く反省もなく,またもや国民の生命と健康を危機にさらそうというのだろうか。
診療報酬1%の引き下げで約1,000億円といわれるが,財源がないと言いながら一方では大企業には大減税を行うとのことであり(1%で5,000億円),何か安倍内閣の立ち位置が違うように思えて仕方がない。
大もうけしている大企業の減税より,国民の生命と健康を守って欲しいものである。
医報新年号が発行されているころは,安倍内閣が改定率を決定しているかもしれないが,1月には中医協に諮問され2月に答申されるということであり,中医協では国民の医療を守るという観点から十分に論議していただきたい。
最近思うこと・・・「空気を読む」とは・・・
(自治体と日本国憲法)
最近の新聞に,ある自治体が,残っていた古い公用の封筒を使おうとした時,その封筒に記載されていた文言を黒塗りして使ったという記事があった。その文言とは,「日本国憲法の理念を守ろう」というものだったとのこと。憲法を守るべき自治体として,至極当然の言葉を何故消さなければならなかったのか。当該自治体は,ミスで消してしまった,と釈明されているようだが,おそらくは最近の安倍内閣の憲法軽視(無視)と改憲の動きが頭の中にあってのことではなかったかと私は思うのである。
最近はこのようなケースがあちこちで起きているようだ。ある自治体では,市民が憲法9条と安保法制との関係で批判的な内容の展示を申請すると,政治的だとして削除を求められたといったことも起きている。自治体以外でも大学やマスコミ・書店など色々な場で,「憲法を守る」というと政治的だとして,関わることを自ら避けようとする。権力者の「空気を読む」「忖度する」ということなのだろうか。何となく社会に漂っている圧迫感を象徴しているかのようである。
(安倍内閣の政権運営)
安倍内閣は,安保法制ではあれほど憲法違反の声があっても強行成立させ,その後も,臨時国会の開催要求に対しても憲法の規定を無視して開催しない。沖縄の基地問題にしても行政不服審査法を悪用し,さらには地方自治権を否定する代執行を求めて提訴するなど,沖縄県民の意思を無視して基地移設計画を強行している。このようなやり方は,国家権力が同じ国民である沖縄県民を裁判により無理やり従わせようとするもので,本土では到底考えられない強権的で差別的な対応といわざるを得ない。このように,次々と法制度を自分の都合のいいように解釈し民主主義を否定するような政権運営は,いくら安倍一強といわれる政治状況とはいえ,独裁的といわれても仕方がないのではないだろうか。多くの国民は,今のような安倍内閣のやり方はおかしいと感じていると思う。なのに何となく漂っているこの圧迫感は何だろう。自治体などが,本来遵守すべき憲法に関わることを,政権に改憲の意向があるからといって避けて通ろうとする風潮があるとすれば,また,「沖縄のことだから」と口をつぐんでいるとすればそれは権力をエスカレートさせ,いずれ独裁政治を許すようなことになっていくのではないかと危惧する。これは,決して大げさなことではないと思うのである。
(“共謀罪”を検討か)
最近自民党の幹部の人たちから,“共謀罪”の導入を求める発言がなされていると聞く。これは,これまでも何度も提案されその都度国民の反対で廃案となったものだが,今回は昨年パリで起きたテロをきっかけに,その対策を口実にして改めて持ち出されていることのようである。しかしこの共謀罪は,犯罪行為がなくても謀議(相談)しただけで処罰することができるようにするもので,犯罪に関係のない一般の市民が監視対象にされ,気がつけば私たち国民のプライバシーも自由もなくなっているかもしれない危険な法制度である。
テロ対策として必要なのは,武力の行使だけではなく,テロ組織への資金や人・武器などの流入を断ち,テロの根本的な原因とされる貧困,憎悪,差別などをなくすために国際社会が一致して取り組むことではないだろうか。またテロの潜入・実行を阻止するためのチェック体制を充実することも当然重要なことだと思う。しかし,だからといって国民の基本的人権をもないがしろにするようなことは決して許してはならないと思うのである。
3月には安保法制が施行され,日本もいよいよ軍事面に踏み込むことができるようになる。そうなると,よりテロの危険が増すことになりはしないのか。そして,秘密保護法が国民の目を覆い隠し,その先には共謀罪が・・・・・。
このようなシナリオだけは御免被りたいものである。みんなで声を上げていくことが今こそ大事ではないだろうか。
“空気を読む”とは・・・と考えているうちにとんでもないところにきてしまったが,でも国は権力を誇示することで国民の諦め感を誘発し,潜在的な従属意識を作り上げていくのではないだろうか。私たちが,空気を読んで何かしら圧迫感を感じ,言いたいことも言わなくなるのが怖い。最近,そういう世の中になりつつあるのではないだろうか。本当に心配である。
くれぐれも「空気を読み過ぎないように」と,このごろ真剣に考えることである。

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