“友あり遠方より来る,亦楽しからずや”とは,中学生の頃漢文の授業で習った孔子の言葉であるが,今年は春から初夏にかけて,この言葉を実感する機会が滅法多かった。そこで今回,あえてその幾つかの出会いについて掲載させていただくことにした。
<その1>4月23〜25日
福岡県立修猷館高校無線部OB会
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写真 1 南薩地域観光案内図
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写真 2 白水館
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写真 3 知覧特攻会館
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写真 4 枚聞神社
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写真 5 JR日本最南端の駅
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写真 6 親族一同
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写真 7 高木兼寛先生の像
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写真 8 海とあじさいのコラボ
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写真 9 園内一面の紫陽花
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写真10 天領うどん
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実に30年振りに鹿児島でお世話することになった。参加者は遠くは関東,関西,四国そして九州から総勢9人,いずれも年齢80歳を超える面々,中には体調が十分でないからと逡巡しつつも,この機会を失ってはと思い切って参加してくれた「同期の桜たち」。まずは熊襲亭で薩摩料理を楽しみながら,お互いの息災を祝って鹿児島特産の芋焼酎「森伊蔵」で乾杯した。長い年月というギャップも,昔の写真などを眺めながら話しているうちに,タイムスリップよろしくあっという間に解消した。久々の再会,夜遅くまで話が尽きなかった。
翌24日,ゴルフ組と市内観光組に分かれて行動。ゴルフ組はコンペ後すぐに指宿へ移動して白水館へ向かい,砂蒸しなど温泉三昧で楽しんだ。翌25日はジャンボタクシーで知覧,池田湖,枚聞神社と巡り,昼食は唐船峡でそうめん流し。参加者の中には知覧の特攻会館を初めて訪れた人々も多く,あの無謀な特攻作戦で,あたら若い命を失った隊員達の手記の展示場では,格別の感慨があったように見受けられた。最後に開聞岳の麓まで,JR日本最南端の駅を訪れ指宿周辺の旅を終えた。指宿から鹿児島中央駅までは観光列車「たまて箱」に乗り込み,来年の再会を約して散会となった(写真1〜5)。
<その2>5月16日
熊本大学麻酔学教室開講50周年記念会
熊大麻酔科は九州で屈指の名門教室だけに,参加者200人近くの盛会であった。初代教授を務められた森岡先生や,開講当時の手術部長であった伊佐先生は,高齢ながら共にいまだに現役でご活躍中である。私の在任中,熊大での集中治療医学研修のために,鹿大麻酔科から多くの教室員を快く受け入れていただいたこと,さらに“隣村のよしみ”で始めた熊大vs鹿大対抗野球戦によって,公私ともに親しい教室間の交流が行われたことが,今なお懐かしく思い出される。この日,熊大関係の古くからの友人達と往時を偲んで話が尽きなかった。
<その3>5月23日
同門会祝賀会
鹿大麻酔科出身の尾前 毅君が,4月から順天堂大学医学部付属静岡病院麻酔科の教授として就任したのを祝って,同門会主催の祝賀会が行われた。私の在任中には果たし得なかった教室出身者の教授就任としては,3番目の快挙として大変嬉しく思った。尾前君の教授就任に至る各位のご尽力に対して,改めて心より謝意を表したい。
<その4>5月27〜29日
日本麻酔科学会(神戸ポートピアホテル)
ウェルカムパーティーで,藤森先生,藤田(達)先生,森島先生(コロンビア大)など,諸先輩のかくしゃくとしてお元気な様子を拝見。最近は麻酔関連の学会に出席していつも思う事だが,大先輩方のお元気な姿を拝見するだけで,“お前達もまだまだ元気でいなければいけないよ”という無言の励ましの言葉をいただいているような気がするのである。その他,後藤(幸),青野ら同年配の人達とも久々に会って,かつて日本蘇生学会や日本麻酔科学会を開催した時の事,さらに昔にさかのぼって,マイアミ大学でのレジデント時代の想い出など懐かしい話が続いた。
<その5>5月30日
親族一同との会食(ポートピアホテル)
ここ数年間会う機会の無かった大阪近辺の親類縁者と一緒に食事をしようと,ちょうど神戸にやってきた息子達,神戸在住の娘一家を加えて総勢13人が集まることになった。港の景色が良く見える31Fのレストランで昼食をとりながら,それぞれの近況報告を聴いて,子ども達やさらに孫達の成長振り,そして何よりも皆が健康であることの幸せを改めて認識させられた(写真6)。思えば,神戸は私にとって特別の場所である。まず第一に私の出生地が神戸であったこと。また,20年前阪神淡路大震災後間もなく,2月から私は鹿大附属病院長に就任したのであるが,病院長としての初仕事が,臨床各科から募った医療班を被災地へ派遣することであった。3月に入り看護部長と事務部副部長を伴い,現地の視察を兼ねて医療班の陣中見舞のため震災後間もない神戸を訪れた。そこで実際に目の当たりにした被災地の状況は,今もなお脳裏に鮮明に焼き付いている。あれから20年の歳月が流れ,今では何事も無かったかのような神戸の街の様子を見るにつけ,東日本大震災からの復興が大幅に遅れているのが気にかかるところである。
<その6>6月6〜7日
紫陽花桃源郷紀行
いつものメンバーで宮崎一泊旅行に参加した。初日はせっかくの機会なので,宮崎が生んだ偉人の一人,高木兼寛の出生地「むかさ」に立ち寄った(写真7)。よく知られている高木先生の業績として,海軍軍医時代に行われた脚気の予防法の確立があるが,日本の医学会のみならず国際的にも多大な貢献がなされた。後に東京慈恵会医科大学の創設,日本初の看護学校の創設,さらに宮崎神宮の大造営など数々の偉業を成しとげた人である。ちなみに“病気を診ずして病人を診よ”とは高木先生の名言であるが,この言葉は慈恵医大の建学の精神となっただけでなく,我々すべての臨床医が日常的に心がけるべき言葉である。翌日は午前中早くに宮崎神宮参詣を済ませてから,門川町遠見半島にある桃源郷岬を目指した。200万本とも言われる紫陽花の花が斜面や平地一面を覆い尽くす「桃源郷」は,眼下に海が迫る岬の一廓にあった。いつもの平日であれば,豊かな緑と静かさに包まれた場所と思われるが,我々が訪れたのは日曜日で,しかも紫陽花の最も見ごろな季節ときているので,曲がりくねった狭い山道を車で次々とやってくる人達でいっぱいに賑わっていた。1時間ばかりかけて白,水色,藍,紫,赤系統と様々に色鮮やかに咲き誇る,さらに形も異なる多くの種類の紫陽花が,所狭しと咲き誇る園内を心行くまで散策した(写真8,9)。ブーゲンビリアやジャカランダのコーナーもあった。その他,岬のすぐ近くに見える小島が,日本では珍しい海雀という飛ばない鳥の生息地であるという話も興味深く聴いた。
日頃,吸い慣れている(?)桜島の灰混じりの空気とは全く異なり,日南の澄み切った美味しくさえ感じる空気をたっぷりと吸い込みながら,「海とあじさいのコラボ」鑑賞の後の帰途,食べた「天領うどん」に(写真10),すっかり満足して宮崎の地を後にした。“友のいることが嬉しくって,ご縁あって生かされている。ありがたさなり”

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