[緑陰随筆特集]

こんなことってあるんだ
山口萩往還2日前にドタキャン

     西区・武岡支部
(もりやま耳鼻咽喉科) 森山 一郎

 抑數日之間遠出洛陽,登幽嶺臨深谷,踏厳畔過海濱,難行苦行,若存若亡,誠是渉生死之嶮路,至菩提之彼岸者歟。【権中納言藤原宗忠著】
 そもそも数日の間,遠く洛陽(京都の異名)を出,幽嶺(ゆうれい)(奥深く静かなみね)を登り,深谷(しんこく)に臨み,厳畔(げんはん)(けわしいあぜ道)を踏み,海浜を過ぎ,難行苦行(なんぎょうくぎょう)(悟りを得るために行うさまざまな苦しい修行)し,存か亡か,誠にこれ生死に渉(わた)る嶮路(けんろ)にして,菩提(ぼだい)の彼岸に至るか。【p448史料大成10,中右記三,天仁2年10月26日条:笹川種郎編輯校訂,内外書籍発行1934年】

<その時の30分前:平成27年5月1日午後10時自宅>
2015年2月1日別府大分毎日マラソン大会:
ゼッケン4521番が筆者。そんなに苦しくなか
ったつもりだが,かなり苦しそうに走っている。
もう少しリラックスして走ろう。

A:ただ今,5月3日から始まる山口萩往還140キロのレースに参加するための準備中である。新幹線車中で読む本を図書館で借り,補食用のゼリー,乾電池を買いに行き,2カ所の荷物受け渡し場に置く着替えをパックして,暑いときや寒いとき,雨の場合などを想定しリュックにレインコートなどを詰め,さて準備完了。あれ,もう時刻は午後10時だ。これから軽いジョグをして明後日の萩往還の最後の調整だ。
B:これから唐湊の自宅を発ち天保山までの往復約10キロを軽く流すと言っていたけど,夜も遅いし,灰も降っているし,足に疲労がまだ残っているようだから,何もしないという選択肢もあるんじゃない…。

<第15回菜の花マラソン(平成8年1月14日天候くもり,気温14℃,湿度98%,南の風0m)>
A:38歳にして人生初マラソンだな。県立北薩病院勤務中なので,あまり練習もしてこなかったけど,大体10キロを50分で走る練習をしてきたので,その4倍以内の4時間は軽く切ることができるだろう。社会人サッカーだって現役でバリバリやっているし,問題なかろう。
B:そんなに甘くはないんじゃない。たいていの人は4時間切ることに四苦八苦しているよ。
A:さあいよいよ出発だ。少しは緊張するね。それにしてもスタートラインを通過するまでに結構時間を使ってしまった。
B:1,2分のロスなんてあまり関係ないよ。でもなんか不安定で危なっかしい走りだね。42.195キロもつかね。
A:ハーフ通過タイムは,1時間55分だ。何も心配いらないよ。でも開聞ゴルフコースに沿ったこの道はほんの少しの登りだけど,何か足にきそうだな。
B:足が上がってないよ。リタイアしたらどうかね。
A:フラワーパークまでのだらだらとした登り坂は傾斜もきつく,前へ足を思うように運べない。何ということだ。畜生。こんなに坂の多いコースは糞喰らえだ。
B:まだ一度も立ち止まっていないし歩いてもいないのは感心するが,明日は診療あるだろう。無理しないで歩けよ。
A:初マラソンのタイムは4時間27分51秒。完敗だ。坂さえなければ。こんなクソコース2度と来るものか。
B:コースのせいにするなよ。未熟なんだよ。

<第21回菜の花マラソン(平成14年1月13日天候くもり,気温14℃,西南西の風0.7m)>44歳
A:昨年も4時間9分1秒で4時間切れなかったので,少しは何か練習法などの良いテキストがないか探して,『ランナーズ2001年10月号』の特集「サブフォー達成のトレーニング」に巡り合った。それにほぼ則り,昨年の10月21日(本番12週間前)から@毎日10キロ+週1回のインターバル800m×5またはA60分走(10キロ)+途中500mスピードアップ,11月4日(10週間前)からはB20キロビルドアップ走を取り入れ,11月18日(8週間前)からは@またはA+C20キロタイムトライアル(5キロ24分),12月2日(6週間前)からは再び@またはA+B,12月16日(4週間前)からは@またはA+C,12月30日(2週間前)からは10キロと5キロを交互に走り,1月6日(1週間前)からは10キロ,5キロ,5キロ+100m×5,5キロ,10キロ,3キロ+100m×3と忠実にこなしてきた。今日こそ4時間切り,いや3時間40分が目標だ。
B:あんまり気負うとロクなことないよ。このコースの怖さを知っているだろう。
A:いつものように,25キロ地点で足が重くなったが,昨年までとは違い真面目に練習を積み重ねてきた安心感があり,ペースを落とさずキロ5分30秒のイーブンで最後までいったよ。結果は,3時間52分42秒。残念だが3時間40分には遠く及ばなかったな。
B:そんなに欲張らない方がよいよ。もうすぐ45歳になるし外来診療も忙しいだろう。記録更新はこれぐらいにして,あとはノンビリと楽しんだらどうだい。まさかこの5月にある阿蘇100キロには出ないよね!

<第13回阿蘇カルデラスーパーマラソン(平成14年5月25日最低気温9℃,最高気温27℃)>45歳
A:4カ月前のフルマラソンが3時間40分に達せず消化不良だったので,阿蘇100キロに挑戦だ。
B:なんてことを。家族みんなも参加に反対しているじゃないか。 
A:11時間46分55秒で完走したけど,80キロ過ぎてからはもうだめかと思った。でも壮大な草原から何かしらの活力をもらい,沿道の声援を受け何とか制限時間内にゴールできた。どうしてこんなに応援されると力が蘇るのかね。
B:ゴールしたあと少し涙ぐんでいたね。これで懲りたろう。もうウルトラは二度としない方が身のためだよ。

<第21回山口100萩往還マラニック大会(平成21年5月3,4日)>52歳
A:「夕月夜(ゆふづくよ)幽(かそけ)き野辺に遥遥(はろはろ)に鳴くほととぎす」【万葉集4192大伴家持】と,いい気持ちで走れるな,この河川敷は。
B:「夕月の光かすかな野辺にはるかに遠くなくほととぎす」か。でも今夜は上弦の月だし,ホトトギスでなくウグイスが鳴いているよ。それに,そんなに悠長に構えて大丈夫かい。先はまだまだ長く残り120キロもあるぞ。
A:この家持の詩は長歌の一部だけど,「ゆふづきよ」,「かそけき」,「はろはろ」,と好きな言葉が並んでいる。「夕月夜」は夕方西の空に薄く出ている月で,はにかみさがあり路肩の雑草のような月だ。誇らしげに輝く満月よりもいっそこっちの方が哀愁があり好きだな。「幽(かそけ)し」は,ほのかとか音や色がかすかなことを表す言葉で景観と自分がぼんやりと一体になっていく感覚で,また「遥遥(はろはろ)」は,はるばると通じるところがあり,はるばる山口までやってきた自分の感慨と同調している。他にも家持や彼以外の万葉の詩歌が浮かんできて楽しいところだけど,やはり萩往還140キロははろはろだな。
B:石の坂道や悪路に悲鳴をあげているよ。
A:帰りの萩往還路の何ときついことか。さすがに20時間近くも走ったり歩いたりしていると,体力消耗に加え意気消沈してくるな。
B:走り終わったあとのビールのことを考えよ。苦しみが大きいほど喜びも大きいぞ。
A:やったあ,20時間51分56秒でついに完踏だ。
B:決して自分一人でなしたことではないよ。自然に感謝,関わったすべての人に感謝しなきゃ。そしてお月様に乾杯!

<第34回菜の花マラソン(平成27年1月11日天候晴れ,気温12.5℃,北の風0.2m)>57歳
 3時間13分43秒<自己ベスト更新>

<第64回別府大分毎日マラソン大会(平成27年2月1日)>58歳
 3時間12分24秒<自己ベスト更新>

<まさにそのとき:平成27年5月1日午後10時30分>
A:左足ふくらはぎが少し痛みだしたみたいだ。でも走っていくうちにきっと痛みが和らいでいくさ。いつものように。
B:でもいつもと違う感覚だよ。それにジョグを続けても痛みは軽減してないみたいだよ。
A:天保山橋に差し掛かり,「あっ,いたた」左足ふくらはぎに激痛が走った。ジョグどころか痛くてまともに歩くこともできない。何てことだ。大事な大会は明後日の5月3日だぞ。この1年間ずっとこの日のために練習してきたといっても過言ではない。ああ,体も気持ちも崩落していきそうだ。指宿菜の花マラソンの自己ベスト更新が何だ,別大の自己ベスト更新が何だというのか。この左足を呪ってやる。
B:強行突破か棄権か?当然棄権だよね。自分をそして自分の足を嫌悪するのはやめたまえ。
A:いまいましいB君め。こんな状態じゃとても140キロ走るのは無理に決まっているだろう。でも最終的な結論を出すのにもう少し時間をおくれ。
B:僕のことが嫌いでも棄権は棄権だ。明日は土曜日で旅行のクーポンのキャンセルも難しかろうが,とにかく朝一番に連絡することだね。気持ちの整理はそのあとだ。きっと神様がお授けになった休養という御加護だよ。ところで,絶好調の時こそ気を付けろというのは君の座右の銘だったよね。
A:あっ,忘れていた。でもまさかこんなことになるとは。『好事不如無(碧巌録)・無事是貴人(臨済録)』をすっかり失念していた。好事にも悪事にも左右されない絶対の「無」に徹することを!
B:段々と素直になってきたね。
A:素直さのついでにいうと,これから「比翼の鳥,連理の枝」となってお互い仲良くしようよ。そして再起を図ろうよ。
B:「ひよくのとり」とは,空想の鳥で雌雄各一目一翼,常に一体となって飛ぶというもので,男女間の契りの深いこと。「れんりのえだ」とは,一つの木の枝が他の木の枝と相つらなって,木目の相通じることで男女の仲の睦まじいさまのたとえ。君と僕は夫婦ではないので不適切な言い回しだよ。
A:そうか。では「琴瑟相和し」て仲良くしようよ。
B:「きんしつあいわす」は琴と瑟(おおこと)を合奏してその音がよく合うところから夫婦の仲が睦まじいことのたとえだけど,友人間の仲のよいことにも使われるから,我々の仲の比喩でも構わないよ。でも,なんか回りくどいな。君の身を思えば,再起を期すことには反対だけど,来期もまた挑戦するんだろうね。

<あとがき>
 鹿児島・山口の新幹線往復の車中で読もうと市立図書館で借りてきた本は,植松二郎著「人びとの走路」(NHK出版)である。その本の127ページに次の件(くだり)がでている。
 瀬古さんのすごさは,世界一の練習ができたという才能です。
 長距離の才能とは,どれだけ走りこめるか,走りこんで故障しないかという才能。
 それ以外のものではないということだろう。

 まったく同感だ。しかしその練習というのが凡人には堪え難い。今回萩往還に臨み納得のいく練習を自分なりに積んできたつもりであった。でも,「走りこんで故障しない」という才能はなかったということだろう。萩往還出場が今年で8年連続のつもりであった。そして,2年後還暦を迎える60歳で10年連続達成を目指していた。未だに走れない毎日を送っているが,いつも瀬古選手のように満足のいく練習と故障しない練習の接点を考えている。考えずとも無意識に練習ができる無の境地を達観するまで練習し考え続けよう。



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