市房山の日の出を撮る
夜明け前の,真っ暗な狭い林道を一台の四輪駆動車がゆっくりと登っていく。乗っている7人は,凍結した路面にヒヤヒヤさせられながらも,目的地のことを想像するとそれぞれに期待が膨らんでいく。
2015年2月半ば,厳しい寒さの中,私は二科会鹿児島のT氏からお誘いをうけ「市房山の日の出を撮る撮影会」に参加した。姶良から4人が参加させていただくことになり,夜明け前に市房山を望む水上村の白蔵峠に到着するように,姶良で午前4時に合流し出発したのである。幸い天気はよさそうであったが,この時期,この時間である。みんな防寒着に身を包んではいても,じっとしているとガタガタと震えがくる。カイロをポケットに入れてはいるものの,もっとたくさん持ってきて体にも張っておけばよかったと後悔したほどであった。でも,車の中では次第に暖房が効き始め,ホッとしたところでそれぞれ自己紹介や,写真に対する思い入れ,目的地がどんな所かなどなど話しあいながら四駆は走り続けていく。このような時間も私たち修行者の身にとっては貴重な時間であり大変勉強になるのである。
凍結した林道を慎重に走るうち,ついに水上村の白蔵峠に着いたようである。勇んで車を降りると下は霜柱で真っ白で,歩けばザクザクと感触のいい音が聞こえる。同時に夜明け前の冷え込みがひしひしと伝わってくる。
朝6時過ぎ,あたりはまだ暗いが天気はよさそうで,ぼんやりと市房山とそれに連なる山々の影が望まれるようになってきた。
サアー,撮影開始。
それぞれ撮影場所を確保して三脚を据え,露出,アングルなどT氏の指導のもとみんな必死にシャッターを切り続ける。そのうち,市房山が赤い朝焼けに浮かび上がり刻々とその表情を変えていく。その変わりように魅せられながら必死にシャッターを切り続ける。シャッターで切りとったその瞬間瞬間は二度と見られない情景で,その時のそこにしかない自然の営みそのものである。最初はうっすらとしたピンク色からだんだんと赤くなり,まっかな背景に浮かび上がる市房山の山並みのシルエット。その上に浮かんだ雲が色々な形に変化していく。その様は人間を厳粛で神聖な気持ちにさせる。
次第に明るくなると,遠くの山並みは水墨画の世界へと案内してくれる。

時間が経つのも忘れて必死に撮り続けるうち,すっかり明るくなりそろそろ終わろうかという時になって,はじめて手がかじかんで震えていることに気がついた。寒さも忘れさせてくれた「市房山の日の出」であった。
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氷の造形
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白蔵峠を後にして,今度は林道の脇にある滝などが寒さで凍った「氷の造形」を撮ろうと場所を変えることにした。水上村の林道の脇には大小の滝があり,この時期,冷え込みが強いと凍って様々な芸術作品を作り出すのである。私にとってこれも初めての経験で,どのような造形に出会えるかワクワクしていた。すると運よくすぐに「氷の造形」に出会うことができたのである。
早速カメラにPLフィルターを装着し,三脚をセットして可能な限りの接写をすると,ファインダーから覗く自然の造形はまことに不思議な幻である。氷はどんどん融けていくためその幻もいろんな色・形に変化していく。豹,熊,魚,シャンデリア,宝石等々・・・・それは万華鏡?でも覗いているように見る角度によって次から次へと現れてくる。この不思議な世界を逃すまいと必死にシャッターを切り続けた。
このようにして「市房山の日の出」と「氷の造形」という素晴らしい被写体に出会い,撮った写真が約1,000枚。なかには,我ながら“これは”と思えるものもあるように感じているところである。
その後市房ダムの近くの「野焼き」や「古民家」などを撮りながら帰途についたが,今回の撮影会は初めて経験したことも多く,これまでにない最高に充実した一日であった。撮影会全般を指導していただいたT氏に心から感謝する次第である。ここにその成果品の一部を掲載させていただいたので,是非皆様のご批評をいただければ幸いです。
安保法制と,平和について
衆議院で審議されていた安保関連法案が,2015年7月15日に特別委員会で,16日には本会議で共に強行採決され衆議院を通過した。
憲法違反の声が高く,国民の多数が反対しているにもかかわらず自民党・公明党はそのような声を全く無視して強行したのである。安倍首相は,「国民の生命・暮らしを守るために必要」と言われるが,主権者である国民世論を無視し,憲法の解釈を変更してまで強行しなければならない理由が私には全く分からない。このような傲慢なやり方を見ていると,戦後70年,積み上げられてきた日本の平和と民主主義が壊されていくのではないかという切迫した危機感を覚える。
(アメリカとの約束を優先)
そもそも,衆議院で強行採決された安保関連法案は昨年7月の閣議決定に基づく立法措置で,11本にものぼる法律をまとめて一括で審議し,この夏までには成立させようというものである。安倍首相が日本の国民・国会には説明もしていないのに,勝手にアメリカに約束した「戦後初めての大改革だ。この夏までには成就させる」というものをいま強行しているのである。「戦後,初めての大改革」を,主権者である国民の意思を無視してアメリカとの約束を優先させているのではないか。
11本にものぼる法律を,一括で審議することにも政府の意図的なものを感じない訳にはいかない。この法案は事実上の解釈改憲により集団的自衛権の行使を容認し,日本を海外で戦争ができる国にしてしまおうというものであり,戦後日本の国のあり方を根底から覆すものである。本来は国民の意思を問うべきではないか。それを,このようなやり方で決めてしまおうということは,「国民がよく分からないうちに・・・」なんてうがった見方をしたくなる。もしそうだとしたら,これほど国民を無視した(バカにした)ことはないと思う。
(集団的自衛権行使は憲法違反では?)
昨年7月の閣議決定で容認した集団的自衛権は憲法違反という声が多い。安保関連法案はその閣議決定に基づく法律である。当然「違憲」の疑いがついて回るのではないか。6月4日の衆院憲法審査会で,参考人として出席された3人の憲法学者が,与党推薦の方含めそろって安保関連法案は憲法違反であると断じられた。その後も,多くの専門家の人たちなどから憲法違反の声が日増しに高まってきている。政府与党は,このような批判に対してあれこれと理由を付けてはいるが,最後は,「学者が判断するのではない」として開き直り,全く耳を貸そうともしないのである。日本を海外で戦争できる国にするために,憲法の縛りも無視して急いで法律を作ってしまおうということとしか思えない。
安倍首相は,海外ではよく「法の支配」という言葉を使われるが,国内でこれだけ憲法違反の声があることに対して何と思っておられるのだろうか。結果として憲法という最高法規の支配を無視していることになると思うのだが・・・。
国会の審議のなかでいわゆる「歯止め」論が議論されているが,政府与党がいくら「歯止めがあるから・・・憲法の枠内」と説明されても審議が進むにつれ,最後は「政府が総合的に判断する」と安倍首相自身も言われているとおりであり「歯止め」になどなり得ないのは明らかである。ましてや,最近の,安倍首相に近いといわれる若手議員の勉強会での発言は,自分たちの気に入らないマスコミの言論には圧力をかけ,潰してしまって構わないといったもので,民主主義の基盤ともいえる報道の自由を封じ込め,言論統制までも行うのではないかと疑いたくなる。このような,衣の下に鎧が見え隠れするような政党・政治家のいう「歯止め」など信じられるはずもなく,逆に国民の自由と民主主義が奪われるのではないかと恐ろしくなる。首相はまた,集団的自衛権によって抑止力が高まり安全なのだ,といった主旨のことを言われているが果たしてそうだろうか。他国(アメリカ)の戦争に関わることがなぜ抑止力なのか,むしろ際限のない軍拡競争がはじまり,日本もその中に取り込まれ膨大な軍事費をつぎ込まなければならなくなるのではないだろうか。もしアメリカが戦争を始めれば,日本も一緒に戦争をすることになり,さらにテロの標的にされる恐れもでてくると思うのである。
(広がる安保法制反対の声)
このようななか,最近の世論調査では,安保法制については「反対」もしくは「今国会で決めるべきではない」との回答が多数を占めており,調査のたびに増える傾向にあるようである。また多くの憲法学者や法律家の団体,日弁連などの専門家団体・グループ,そして幅広い分野の学者や文化人,さらには自民党のかつての重鎮の方々など,安保法制に反対する声が広く大きくなってきている。最近では,全国の地方議会で安保法制の国会審議に対して「慎重審議」もしくは「反対」の意見書を可決する動きが広まっており,全国の若者たちやママさんグループ等々市民の間でも自主的に反対の行動が繰り広げられるなど国民的な運動が発展してきている。国会の審議が進めば進むほど,安保法制に対する危機感が国民の間にどんどん大きくなってきているのであろう。
安倍政権は「異論に耳を貸さない」とよく言われるが,主権者は国民であり,国民の命に関わることである。今からでも国民の声に耳を傾けてほしい。戦地に送られるのは若い自衛隊員であり,戦争で血を流すのはいつも普通の国民なのだから。
(戦後70年,まさに平和と民主主義の危機)
今年は戦後70年の年である。この間,日本は戦争で一人の人間も殺さず殺されずにくることができた。それは,先の大戦の反省から,戦力・交戦権を否定した憲法9条を持ち,世界から“戦争をしない国”としての見方が定着してきたことが大きな要因ではなかったかと思う。その憲法9条をなし崩しにし憲法違反の疑いのある法律を,乱暴にも一内閣が国民世論を無視して決めてしまうなど絶対に許されない。
昨年の総選挙の結果,国会は与党が多数を占めているが昨年の選挙は「アベノミクス選挙」と言われたように安保法制についての議論は全くと言っていいほどなかった。選挙の結果も,違憲状態の選挙制度のもと自民党は多数の議席を得たが,それを全有権者比得票率で見ると比例区が17%,小選挙区が25%の得票でしかないのである。しかも最近の世論調査結果からも国会議員と国民の意思とは大きく乖離していることは明らかであり,政府・与党は少なくとも国民の意見を聞く努力はすべきだと思うのである。
しかし,自民党・公明党は国民世論を無視して衆議院で強行採決した。政府与党内に,いわゆる60日ルールもあり「このまま審議を続けると国民の間に反対の声が広がり,成立が危うくなる。どうせ国民はすぐに忘れてしまうのだから早く決めてしまえ」という判断があったとも言われているが,だとすれば国民はバカにされたものである。戦後70年積み上げてきた民主主義の下,このような主権者を無視したやり方が許されるはずがないと思う。まさか独裁政治ではないのだから。
これから参議院での審議が始まるが決して諦めてはならないと思う。あれほど強行に推し進めていた新国立競技場建設問題を,世論の力で白紙撤回させたのである。安保法制強行の“目くらまし”との見方もあるようだが,やはり世論の力だと思う。
首相自ら「主役は国民一人ひとり」と言われているのだから,安保法制についてもぜひ国民の声に耳を傾けてほしいものである。
戦後70年。これまで積み上げられてきた平和を,そして何よりも民主主義を破壊させてはならない。

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