[「太原春雄先生を偲ぶ追悼文」特集]
故 太原春雄先生を偲ぶ追悼文
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鹿児島市医師会 顧問
(第10代鹿児島市医師会長) 海江田 健 |
医報担当の方より故太原春雄先生を偲ぶ追悼文の依頼を受け,さて何から書けば良いかとても迷いましたが先生はご高齢になられても凛とした偉大さを持たれ,鹿児島市医師会の大黒柱的存在でいらしたので寂しさを日に日に感じながら想い出すままに記してみます。
去る昨年12月初旬に太原春雄先生のご入院先の鹿児島市医師会病院にお見舞いに訪れた際に「先生もう一度お元気になってください,このままでは私たちに顧問としての挨拶等の出番が回ってきますので」と申し上げたら,酸素吸入をされながらしっかりとしたご口調で「もう俺の役目は終わった。今後の鹿児島市医師会の事をとても危惧しているので,後はお前たちがしっかりとやってくれないか」と言われたのが深く印象に残っている。その後もご自宅に伺ったり再入院された2月初旬に医師会病院の病室にお邪魔したりしたが,残念ながら2月9日に逝去されたことは誠に痛恨の思いでならない。太原先生と初めてお目にかかったのは昭和32年に鹿児島にお帰りになった頃に宮之城の鳥越病院であったようだ。当時私は長崎大学医学部の学生であったが,私の叔父 海江田信男が鳥越病院に勤務しており,叔母と太原先生の奥様がご姉妹であったのでご挨拶に伺った際にお会いしたように記憶している。その後も錦江赤十字病院でご勤務中に入院中の肺結核の患者さん達に胸郭形成術や肺葉切除術をされる際に当時鹿児島大学第二外科に入局していたので麻酔医として派遣され協力する機会があった。内科医であられたが福岡に在任中に胸部外科を手掛けてきておられたとのことであったようだ。
太原春雄先生にはいろんな機会にご指導をいただいてきているが,なかでも鹿児島社会保険支払基金での外科審査委員を務めていた際には委員長として的確なご指導をいただいて専任審査員にもご下命くだされたりしている。このことは後に国保連合会の審査員や県庁の国保指導監査専門医として個別指導などに当たった際にも大変役立ち深く感謝している。また鹿児島市医師会役員としてもご一緒させていただいたが,当時の理事会の事で有床診療所に関する件が強烈に残っていることがある。当時有床診療所はその存在の有無が問われはじめており,昭和60年代の初めころに当時の厚生官僚が「有床診療所の歴史的役割は終わった」と発言したことがきっかけとなってこれに反発して全国有床診療所連絡協議会が福岡や,神奈川県などの働きかけで昭和61年7月に設置されている。その以後も毎年各地で協議会の総会が開かれその存在意義を強く当局に訴えてきている(本県でも第20回全国総会が開かれている)。各地に協議会を設置しなければ有床診療所は消滅されてしまうのではないかとまで言われていた。九州では福岡,長崎,佐賀,宮崎などにすでに協議会が設立され活躍していたこともあって本県でも協議会の設立を望み,当時県医の代議員会で私が発言し要望したが当時の執行部に却下されている。当時はすでに日医の中に病院委員会がありそれで有床診療所の事は協議すればよいし,また当時有床診療所連絡協議会は日医の方針に合わず日医に弓矢を弾くようなものだという流言飛語が流れていた背景もあったようだ。この為県単位の協議会の設立をあきらめ鹿児島市医師会に有床診療所協議会を設立させてほしいと理事会で発言し太原会長にお願いしたが当時の状況などもありあえなく却下された,このことに私は立腹し理事会を途中退出してしまっている。一時は理事職退任の事態まで考えたが当時の太原会長がうまく纏めていただいて平成6年の9月に市医協議会が設立されている。さらにその後平成13年の秋には県有床診療所協議会の設立にまで漕ぎつけてきている。
このように太原先生は威風堂々とした外見に比して,理事者の発言をよく聞かれ細かくご配慮のうえ温容あふれる処置を常にされていたのをいまさらながら痛感している。当時の理事会では太原会長のもと会員の為どうすることがベストなのかと活発な議論が常にされており,会長が理事者の風貌を見てこれは「猛獣軍団」だといつも言われていたのが印象に残っている。退任されてからもかつての理事者との再会を喜ばれ折にふれ懇談会が開かれてきていた。太原先生に関する想い出はありすぎて筆に尽くしがたいが,先生はスマートで頭脳明晰,ユーモアあふれる方であり,また美食家でもあったし,さらに旅行が大好きで日本中を奥様とドライブされ,パリでもレンタカーに乗れたと自慢されていた。ご冥福を祈りながら先生の米寿の際のお祝いの記念写真をお示ししてお別れとしたい。
先生どうぞ安らかにお休みください。
合掌
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| 太原春雄先生米寿のお祝い(平成22年11月15日) |

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