[「太原春雄先生を偲ぶ追悼文」特集]

太原春雄先生を偲ぶ会


中央区・清滝支部
(さめしま小児科) 鮫島 信一

故太原春雄会員を偲ぶ会(平成27年5月30日)

 鹿児島市医師会から太原春雄先生追悼文の原稿依頼がありました。先生は鹿児島市医師会長はじめ医師会に関わるお仕事を沢山なさいましたが,鹿児島西ロータリークラブの会員でもあられました。
 会員の多くから「太原春雄会員を偲ぶ会」をして欲しいとの要望が多く,去る5月30日鹿児島市某所で,鹿児島西ロータリークラブの「偲ぶ会」を開催いたしました。ご遺族の太原昭子夫人,ご子息太原博史様,ご令嬢島松素子様等49人参加して偲ぶ会は盛会でありました。
 私は現在鹿児島西RCの会長で,発起人でもありましたので,当日の挨拶原稿を寄稿いたします。

「故太原春雄先生を偲ぶ会 挨拶原稿
平成27年5月30日」

 皆さん,今晩は,この度太原春雄先生を偲ぶ会を企画しご案内申し上げましたところ,こんなに沢山ご参加くださいましてありがとうございました。先生は鹿児島市医師会長をはじめ医師会に絡む役職を沢山なさいましたが,本席は鹿児島西ロータリークラブの会員を中心にお誘いをいたしましたのでご理解ください。
 故太原春雄先生におかれましては昨年11月に急遽体調を壊(こわ)され,鹿児島市医師会病院に入院なさいました。一時は体調も回復され,正月はご自宅でお過ごしになられましたが,2月初めに再度体調を壊され,医師会病院に再入院なさいました。
 奥様はじめご家族の方の回復への望みも叶かなわず,平成27年2月9日享年93歳で生涯を閉じられました。
 先生は昭和24年3月九州大学医学部をご卒業後,国立療養所田川新生病院にご勤務の後,昭和32年からは錦江赤十字病院,日赤鹿児島診療所にご勤務され,昭和40年には現在地の紫原4丁目で「紫原病院」を開設なさいました。
 鹿児島西ロータリークラブには1972年(昭和47年)の入会でありましたので,ロータリー暦43年でありました。
 1999年から2000年にかけ会長をお勤めになられましたが,その時の幹事は村田和雄会員でありました。この時,私も「鹿児島西ロータリークラブに入りなさい」と入会のお誘いをいただきました。
 そして,2003年,創立40周年記念事業実行委員長,2005年,ネパール視察団団長をお勤めになられましたが,その他にも,社会奉仕委員長,広報委員長,会員選考委員長,財団委員長等,多くの役職を努められ,我がクラブの長老として数多くの実績を残されました。
 鹿児島市医師会長時代,私は理事としてお仕えしましたが,「事を処するに際しては,医師会の為には何れがベストかを念頭に置いて判断しなさい。会員にはベストと考えた理由を説明すれば理解してもらえるものだよ」「医者は健康を売る職業だから,何時も健康はつらつとしていて欲しいね」等と訓育してくださいました。
 また先生は旅行が好きで奥様をつれて国内はもちろん国外まで,ご自分で運転なさって出かけられたと聞いています。
 紫原たはら医院の後はご子息の太原博史先生が立派に跡を継いでおられますし,先生の入院生活もそんなに長かったわけではありませんので,まさに「大往生」であられました。
 私は2年前,会長エレクトに指名されましたので,ご相談しましたら,「80歳はまだ若い,元気を出して,はしと頑張(きば)らんね」と励まされました。
 先生は薩摩狂句も好きでありましたが,「君の句には品格があって,世間が広いねぇ」と褒めてくださいました。今は,仲間が減って寂しい思いをしています。
 「人を使う時は褒めてやらんと駄目ね,けなしたら付いて来んよ」と人使いも上手でありました。
 先生は当然の事ではありますが色々な賞を受賞なさっておられます。時間の都合で項目だけ披露させていただきますが,
 昭和59年 厚生大臣表彰
 平成 8 年 勲五等瑞宝章
 平成25年 鹿児島県民表彰
 平成26年 日本医師会最高優功賞
を受賞なさいました。
 まだまだ色々話したいこともありますが,今夜は「太原春雄会員を偲ぶ会」でありますので,私の偲ぶ話はこの辺で終わらせていただきます。最後になりましたが,太原春雄先生のご冥福をお祈り申し上げます。ありがとうございました。合掌

追記:
 5月30日土曜日,「太原春雄会員を偲ぶ会」は粛々と和気あいあいに挙行され,昭子夫人やご遺族も淑やかに在りし日を偲んで,思い出話は尽きず,盛会でありました。その模様を医師会員の方々にもお伝えするつもりで,6月2日上記原稿を鹿児島市医報編集委員会へ送りました。
 大先生の追悼号に寄稿できて,奥様やご遺族の方にも喜んでいただけるものと思いホッと一息ついた矢先の事でありました。
 6月3日早朝,太原昭子夫人が急逝された旨の訃報に接しました。にわかには信じ難い訃報でありました。「太原春雄会員を偲ぶ会」でのお元気で健やかなご様子のスナップ写真を前日送ったばかりの出来事だったからです。
 先生ご夫妻は周囲の人が羨む程の仲良しで,旅行が好きでいらっしゃいました。国内はもちろん外国まで旅をご一緒に楽しんでおられました。ご主人様の法要等済ましてほっと一息ついた頃,「天国の旅も楽しいぞ,一緒に廻らんか,連れに来たよ」とお呼びがあったような気がしています。
 そこで薩摩狂句を捧げます。


 天国も 見処や多えち 迎め来っ
(てんごっも みどこやうえち むけめきっ)

 (唱)夫唱婦随に 周囲や吃驚っ
 (唱)(ふしょうふずいに ぐるやたまがっ)




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