[「太原春雄先生を偲ぶ追悼文」特集]

太原春雄会長の思い出


東区・荒田支部
(迫田晃郎クリニック) 迫田 晃郎

 太原春雄先生は私の医療人生の中で極めて偉大な存在の方で,多大なご教導を受けてきました。先生との出会いは今から半世紀以上にさかのぼりますが,先生が鹿児島の日本赤十字病院にご就任されて内科医でありながら,肺結核に対する胸郭形成術と肺切除術を精力的になさっておられる頃です。当時鹿児島大学病院に麻酔科はなく,一外科,二外科で各自の麻酔法で全身麻酔を行っていました。
 まずい麻酔しかできない頃でしたが,先生のなさる手術の麻酔にしばしば呼んでいただいておりました。鮮やかでみごとな手術を見学させていただき,術式などいろいろと伝授していただきました。お陰さまで大学病院や関連病院で,肺切除をはじめとして,門脈圧亢進症に対する門脈肺静脈短絡術式などに対して馴じませていただくことができました。
 先生は昭和40年市内紫原に紫原病院を開設され,約50年の永きにわたり,地域医療に貢献なさってきました。
 この間昭和51年4月から鹿児島市医師会理事として,そして昭和63年4月から6年間,第8代会長として多忙で,多岐にわたるお仕事をこなされ,鹿児島市医師会の発展にご盡力いただきました。昭和59年6月に開院された鹿児島市医師会病院の創設発展にも誠心誠意ご尽力いただきました。私も昭和59年4月から医師会病院開設準備室でお手伝いさせていただくことになり,再び先生にご指導いただくことになりました。開院してからも医師会病院に多大なご協力をいただき,しばしば叱咤激励もうけました。医師会病院の運営や将来についても腐心していただいておりました。会長を辞された後,医師会病院の隣地水道局の土地購入の話もあり,前市長さんからも2,3回すすめられたことがあり太原先生は積極的な意見を表明しておられましたが,結局,話はまとまりませんでした。今でも残念な気持ちでいます。先生の会長時代鹿児島市医師会病院の主催で,2回,全国の学術研究会を主催させていただきました。平成2年9月20,21日は第15回日本腹部救急診療研究会,平成6年6月24,25日は第21回日本膵切研究会です。先生には大変喜んでいただき,積極的にご協力,ご支援いただきました。両研究会の記念誌として著書を出版することも快く容認していただき,それぞれ腹部救急疾患の臨床(414頁),膵頭十二指腸切除術の適応と術式の要点(376頁)を発刊させていただき,それ相応の評価をいただき,現在も専門医に読まれているようです。
 先生は90歳台になられても奥様とのドライブを楽しまれておられましたが,ご令息の博史先生が,豪気な運転ぶりを心配されて,忠告するよう頼まれたこともありました。「私は先生を目標にして医療を続けますので,運転には十分注意なさって元気で長生きして働いてください」と申し上げたこともありました。まだまだ長く頑張って医療に関与し,いろいろご教示いただきたかったのですが,突然のご入院となり,闘病生活をされることになりました。
 当初はお見舞いの気合いいれに笑顔でお答えいただきましたが究極的には見舞いをご遠慮させていただくことになりました。そして平成27年2月9日,先生の温顔を拝することが不可能になりました。痛恨の極みです。
 先生の肺結核治療への対応,多大なる地域医療への貢献,鹿児島市医師会,医師会病院の発展へのご尽力,個人的にもおうけしたご厚情,ご指導に対し深甚なる感謝の念を捧げるとともに先生の威風堂々たるご容姿を思い浮かべながら,永遠なるご冥福を祈念申し上げます。


第15回日本腹部救急診療研究会の招待講演演者
Hutson教授夫妻を中心に(左側より2人目が太原春雄会長)





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