[「太原春雄先生を偲ぶ追悼文」特集]

太原春雄先生を偲んで



鹿児島市医師会 事務局長 東  耕治

 第8代の鹿児島市医師会長として,私ども職員を強いリーダーシップと卓越した先見性・判断力・決断力・実行力でご指導くださいました太原春雄先生が平成27年2月9日ご逝去されました。誠に痛恨の極みであり,衷心より哀悼の意を捧げる次第でございます。
 太原先生のお人柄を表すいくつかのエピソードをご紹介しながら,在りし日の太原先生を偲びたいと思います。

(エピソード1)
 現在役員決裁は原則としてFAXおよびメールにて行っておりますが,太原先生が会長在任時は事務局職員が直接病院に出向き,書類に直接印鑑をいただいておりました。震える手で書類を1枚,1枚差し出しますと,丹念に文書に目を通されたうえで,時々鋭い質問をだされ,回答に窮したこともたびたびありました。それでも帰る際には「決裁に来るときは,いろいろと勉強してきなさい」と優しく諭していただきました。時々缶ピースのいい匂いが診察室に漂っていたこともありました。

(エピソード2)
 太原先生は自分にもたいへん厳しく,公私混同という言葉とは無縁のお方でした。公務で県外出張される際公用車で送迎いたしておりましたが,奥様を同伴される時は,自家用車を自分で運転されておられました。また,太原先生に帯同して福岡に出張した際,ご息女とお孫さんを交えて会食をいたしましたが,お二人分は太原先生がお支払いになりました。

(エピソード3)
 太原先生は体格が良い方でしたが,まさに健啖家でもありました。福岡市医師会の祝賀行事に参加した際は,祝賀会でしっかりと食べ,二次会でもいろいろつまみながら飲んだ後,誘われるままに長浜ラーメンを食べにいきましたが,私が1杯食べるのに四苦八苦しているのを尻目に,しっかりと替え玉までされ,「もう一軒何か食べに行こうか」とおっしゃったのですが,さすがにお断りいたしました。
他にも種々エピソードがありますが,本当に周りへの気配りが素晴らしい先生でした。
最後にとっておきの出来事を紹介いたします。私も36年間鹿児島市医師会にはお世話になっておりますが,これほど重い決断は知りません。
 鹿児島市医師会臨床検査センターは,業務の拡大に伴い,検査に伴う人為的ミスの排除,報告のスピードアップによる会員の診療支援が大きな課題となり,既設のコンピュータの老朽化とも相俟って,全面的なシステム更新の必要に迫られました。全国各地の大学の検査部,大手民間ラボ,大規模な医師会検査センターの視察を重ね,最終的には2社に絞り込まれましたが,10億円を超える膨大な費用が見込まれたこと,そして私の勝手な想像ですが,何よりもどちらかに決定した後のぎくしゃくした人間関係を,太原先生は最も懸念されたのではないかと思っています。太原先生は「トータルシステムについては,当分凍結する」と決断されました。出席者全員その日どちらかに決定するものと思っておりましたので,何とも言えない空気が張り詰めました。その後,太原先生は自らすでに開発され,秋田大学医学部附属病院等で稼働していた日立のシステムを視察され,日立と鹿児島市医師会の共同開発を進めることとなりました。平成3年8月世界初の「全自動臨床検査システム」が完成し,国内はもとより海外からも多くの見学がありましたことは,皆様ご承知のとおりであります。

 太原先生に永年にわたりご指導・ご鞭撻いただきましたことに深く感謝申し上げますとともに,心からご冥福を申し上げます。




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