[「太原春雄先生を偲ぶ追悼文」特集]
故 太原春雄先生を偲んで
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東区・紫南支部
(上ノ町・加治屋クリニック) 上ノ町 仁 |
私が太原春雄先生をお見受けしたのは,平成16年6月に開業後,初めて紫南支部会に参加した時でした。医師として,また医師会活動を通して直接先生とお仕事をしたことはありませんでしたが,紫南支部会で徐々にお話しする機会を得て,右も左もわからない私を懇切丁寧にご指導いただき,先生は現在の私の医師会活動の「道標」であられたのだと翻って確信いたしました。太原先生を偲びつつ,その思い出をしたためてみます。
平成16年当時,初めての紫南支部会参加時,かなり緊張しつつ先生方の前でご挨拶をした自分を今でも思い出します。その支部会の会議の中で,当時の理事の先生から医師会活動の報告をうけ,太原先生が的確なご意見や厳しいご意見を述べられ,「心から医師会を愛しておられる先生なのだな」という印象を受けたことを鮮明に覚えております。その説得力のあるご意見は,鹿児島市医師会会長として,当時の多くの難題を冷静な判断と,卓越した指導力で切り盛りされてきた歴史があったからと承知しております。
その後,私が理事になり会合の際ご挨拶に伺うと,大好きな日本酒を片手に必ず「医師会員のためにはどうすればいいか考えなさい」と教えていただき,また,口癖のように「理事は3期目からやっと本領発揮できるから継続してがんばれ」と激励していただきました。その教訓は,今でも私の医師会活動の「道標」となっております。そして,私が医報・広報・医療情報システムの担当理事でしたので,「鹿市医郷壇」で先生の薩摩郷句の作品に刺激をうけ私も投句するようになり,支部会で郷句の話で盛り上がったこともありましたね。2014年第9号の兼題「がっつい」では,先生が「朝帰(あさもど)い がっついの事(こ)ちゃ 言(ゆ)わならじ(紫原ぢごろ)」で「天」をもらわれました。この句は,読めば読むほどいろいろと想像の世界が広がる,意味深でくすっと笑いを誘うユーモアに富んだ作品でした。
また,常に医師会病院や検査センターのことも気にかけておられ,「医師会病院や検査センターの利用促進等に,医報を用いた広報をもっとして,病院や検査センターの状況を会員にどんどんアピールしてはどうか」などと,いつも建設的なご指導と叱咤激励をしていただきました。激務であった会長職を辞されても,顧問の視点や会員の視点から,常に医師会のことを考えていただいているのだと感銘をうけました。
昨年から体調を崩され,医師会病院へ入退院を繰り返されているとお聞きしておりましたが,本年2月突然の訃報を耳にしたときは,まさに医師会の「巨星逝く」でありまして,「道標」を失う悲しみで胸が張り裂けんばかりの思いでした。先生からまだまだ多くを学びたいと思っておりましたが,お別れの時が訪れました。短い期間でしたが,今まで熱心にご指導いただき本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。
先生,本当にありがとうございました。

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