[「太原春雄先生を偲ぶ追悼文」特集]
故 太原春雄先生を偲ぶ
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東区・郡元支部
(医療法人三州会大勝病院 会長) 大勝 洋祐 |
太原先生のご訃報に接し,悲しみとともに先生の在りし日のお姿が懐かしく思い浮かばれてきます。
私が,先生の印象について残っています中から特に忘れられないものは,30年以上前に私が開業する際に接した先生のお人柄についてです。
私は,昭和55年2月に鹿児島市真砂本町に神経内科と理学診療科(現在リハビリテーション科)とを併設診療科目とする大勝病院を設立いたしました。私は,この地に病院を設立するにあたり,設立する前の年(昭和54年)に,当時は市医師会の開業相談委員会の担当理事をされていた太原先生のご自宅をお伺いしました。太原先生といいますと,かねがね非常に査定が厳しく,とてもハードルの高い方と伺っておりました。当時,リハビリテーション科も神経内科も新しく出現した診療科で,一般にも馴染みのない科でしたので,開業許可にご理解いただくため,まずは先生に直接ご説明をしなければならないと思いご自宅へお願いに伺った次第でした。さて,実際に説明を申し上げたところ,じっくりと説明を聞かれた先生は,私の構想をとても良くご理解いただき,構えていた私の方が拍子抜けするほど快く内諾のお返事をくださいました。先生の同意を得た私は,市医師会の申請書に太原先生にも同意いただいていることについてもご本人の了解もいただいたうえで記して提出しました。その後,私の同級生で相談委員会のメンバーの一人であった者から漏れ聞いたところ,開業相談委員会では,私の開業に対し揉めに揉めて,相当紛糾したそうです。同意された太原先生に対しても「相談委員会の担当理事のあなたが同意したのか」と詰め寄った方もいたそうですが,「私は同意するに値すると思ったので個人的意見として承認と判断しました」と述べられたそうです。結局,太原先生の意見が通り,私は開業することができました。その話を聞いた時,先生の公平に物事を判断されるお姿と先生の器の大きさにとても心をうたれました。とても信頼できる方でした。先生にもご了解を得たとはいえ,私があの時申請書に記した文言により,今想い出しても先生には大変ご迷惑をお掛けしたかと申し訳なく思います。開業以来現在に至るまで,先生のご厚情を忘れたことはありません。
先生が医師会長になられてからもたまに近くでお会いすることもありましたが,以前に比べても少しもお変わりなくお元気そうでした。このたび,突然のご逝去の報をお聞きした時は愕然とし,大変ショックをうけました。惜しい方に先立たれて大変残念です。
先生の生前のお姿を偲び,心よりご冥福をお祈りいたします。先生,どうか温かい目で私どもをお見守りください。

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