随筆・その他
介護老人保健施設(老健)というところ
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私が今の施設に就職したのが平成15年の6月なので,かれこれ12年も経過していることに今更ながら驚いています。当時私は38歳で周りの先輩や同期,さらには後輩からもその歳で老健に行くのは早いのではないか,まだ研究をすべきだとか,もう楽をしたいのか,など,いろいろな意見をいただきました。本当にありがとうございました(特に勝手にメンターと慕っているA先生ありがとうございました)。確かに短期留学もさせていただき,論文も書かせていただいたお礼が完全に済んだかと言われるとちょっと自信がありませんでしたが,しかし,自分にはあっていると思い決断しました。きっかけは,遡ると出張先で経験した往診でした。それは医師になって6年目の頃だったと思うのですが,大学病院の外来で診ていた方の家に訪問しました。大学病院に来られる時はピシっとした服装で,奥様と通院されていました。病状は落ち着いていましたが,徐々にADL(日常生活動作)が落ちてしまう病気でしたので,いつかは通院ができなくなるであろうことが予想されていました。訪問するとかなりひどい生活環境の中で暮らされており,びっくりしました。大学病院には一張羅を着ていらっしゃっていたのです。その時,神経内科の病気が生活に大きな影響を与える病気であるということを身を持って感じました。それ以降,三内科の「わからない」「治らない」「でも諦めない」の精神にプラスして生活も意識すべしという気持ちが湧いてきました。そんな中,たまたまアルバイト先が今の職場である「愛と結の街」になり,そこで初めて介護老人保健施設というものを知るに至りました。できる医療は限られていますが,しかし,生活を中心に患者(ご利用者)をみるというスタイルが非常に新鮮に映りました。その後,短期留学したり,出張したりして愛と結の街からは遠ざかりましたが,ある時老健の事務長さんから声をかけられ,それがきっかけで話がまとまり,今こうして施設長をしています。
一介の医師が急に施設長になったものですから,何をしていいのかもわからず,ひたすら利用者(施設では患者と呼ばないのだとスタッフに言われました)の医療を頑張ったのですが,ある日看護部長に言われました。「先生,ここは病院ではないんですよ」その一言で,目が覚めました。老健とは生活の場であり,医療は脇役であるべきである。生活を支援する医療でなければ意味が無い。そこで,私はまず,指示をしないように働くことにしました。つまり,スタッフの意見を聞いたり,自分の意見を言ったりしてご利用者について話しながら決めていくのです。ある方はインスリンが3回打ちでしたが,家に帰ったら82歳の妻がインスリンを打たなくてはいけない。3回も打てるだろうかという話が看護師からあり,1回打ちに減らす取り組みをしました。内服と併用すると案外いけるものです。最近は低血糖のリスクのほうが高いことから高齢者のコントロール目標が緩まりさらにやりやすくなりました。気がつけば,医師は医療の専門家として他の職種と同列で働くようになっていました。今でいうチーム医療になりました。
そもそも老健の始まりは中間施設で,病院と在宅の間をつなぐ施設という役割でした。しかしいつしかその目的は失われ,長期入所する施設となっていました。私が施設長になった時,やはり原点に帰るべきだと考え,在宅復帰を推し進めることにしました。全職員を巻き込み,みんな一生懸命取り組んだ結果,在宅復帰率は上昇しましたが,稼働率が70%まで低下し,ご利用者からは総スカンを喰らい,「あそこに入るとすぐに追い出されるよ」という噂まで立ってしまいました。当時の入所者の価値観はいかに長く施設にいられるかだったのも影響しています。何がいけなかったのか,よくよく考えてみると理由は簡単でした。我々は在宅生活こそが理想であると考え,その価値観をご利用者・家族に押し付けていたのです。以降,我々は「この方にとってどこで暮らすのが一番幸せなのか」「この方の心豊かな生活とは何なのか」を最優先に考えるようになりました。そのために施設理念も変えました(現在の理念は「心豊かな生活を目指しともにはぐくむふれあいの街」です)。今施設にいる方の平均余命を計算すると7~8年です。残りの時間をどう過ごすか,実際のところ本人も家族もこれまで考えたことがない人がほとんどでした。そこを一緒に考えるのが老健の仕事だと気づきました。老健には医師,看護師,介護福祉士,PT・OT・STのリハスタッフ,歯科衛生士,管理栄養士等の多職種が揃っています。残りの人生のプランニングをするという大事な役割をみんなで今まさにつくりあげようとしています。
このように老健に来てから,物事の本質を捉えることの重要性を何度も経験してきました。我々の仕事は何か,目的は何か,誰のためか,施設の存在意義は何なのか。
今,医療もその存在意義を問われているような気がします。国民の健康を守るために医療は何ができるのか,どういう役割を負うべきなのか。同時に個人的には国民も問われていると思います。自身の健康は自分で守ってほしい。そして2025年問題を見据えた地域包括ケアシステムの導入。老健で働いていると,当然必要な仕組みと理解できます。
現在の老健でやっている医療について具体的に話しますと,薬剤の量を減らす(驚くほどたくさんの薬をしかも重複して複数の医療機関からもらっているケースがあります),飲み方を変える(食前薬を食後でもいい薬に変えたり,一日一回にまとめたほうが服薬コンプライアンスが上がる),肺炎・尿路感染症・帯状疱疹などの感染症はまず老健で治療を行う(看護師の数や酸素・吸引の配管がないという設備の問題で限界はある),疾患の二次予防に努める,などがあります。制度上,介護保険の費用で10割負担で医療を行わなければなりませんので,治療と経営を睨みながらやっていかなければならず,いろいろと限度があります。でも,限界があったほうが工夫が生まれ,病院,クリニックなど他施設との連携も生まれますので,私はこれはこれでいいのではないかと思っています。最近は制度が複雑になってきましたので,事務部門に制度上の問題解決は任せるようにしていきたいと考えています。言ってみれば,チーム経営でしょうか?
今後の老健はどうあるべきか。個人的には,もう少し医療を使わせていただければ,搬送を減らせたり,治療途中の方の受け入れもできるようになるのではないかと思います。そうなってくると,厚生労働省の図にもありますが,老健という形はなくなり,機能別になって,その中での立ち位置が求められてくるようになるのかもしれません。老健の特徴である生活の中の医療を大事にして,在宅生活全般での困り事よろず相談にのれる場所へと変わっていきたいと思います。
そして,時代とともに姿を変えながらも,在宅で安心して暮らせる一助として存在できたならと思います。実はこれ,将来の自分のためだったりもします。これから生産人口が減少し,私達の年代をみてくれる若者がいなくなります。それでもなお,質の高い介護サービスの提供をし続けられる体制の構築が今の私の一番の関心事になっています。
皆さんのためにも,私自身のためにも(笑)これからの老健について一生懸命考えていきたいと思います。
| 次号は,今村病院分院の帆北修一先生のご執筆です。(編集委員会) |

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