随筆・その他

リレー随筆

寄 席 で 会 い ま し ょ う

鹿児島大学医学部・歯学部附属病院 呼吸器内科 東元 一晃
はじめに
 4月24日は立川志の輔の独演会でした。残念ながらちょっと期待外れだった志らく(ファンの方ごめんなさい)のリベンジに,高校1年になったばかりの次男を少し無理やり連れ出して,行ってきました。
 志の輔と言えば,NHK「ためしてガッテン」などで顔と名前は十分にご存知と思いますが,実は今,いろんな人気投票でトップを走る当代一と言っていいほどの落語家なんです。なので,鹿児島市民文化ホール第2は満員御礼,我々は2階席しか取れませんでしたが,見下ろす客席は,まさに素晴らしい志の輔ワールドが繰り広げられておりました。
 実は,鹿児島でも落語会はときどきやってるんですよ。南日本新聞社本社ホールである「みなみ寄席」は3カ月ごとくらいでしょうか。私も時間が合えば出かけています。そういうこともあり,以前,県内で講演をさせてもらったとき,座長をしてくださったK先生から「東元先生に会いたければ,落語会に行けば,会えますよ」みたいな紹介されたこともありました。たしかにK先生とはみなみホールで何度かお会いしましたね。

落語との出会い
 私が落語を聞くようになったのは,そんなに古い話ではなく,かれこれ10年くらいでしょうか。それまではあまり馴染みがなく,ときどき笑点で目にするくらい。しかしたまたま出張中,東京有楽町「よみうりホール」そこで春風亭小朝の落語会があり,当日券が売られていたので軽い気持ちで聴きに行くと,一言「さすが!」これがあの10人抜きで真打になった小朝か~,とうなるような名演でした。それから,ほどなくして,NHKの朝ドラが「ちりとてちん」(これは朝ドラ界の名作と一部では言われており,呼吸器内科の後輩K先生はDVD boxも持っています。そういえば,飛行機で総集編のDVDを見ていたら,背後からやってきたCAさんに「『ちりとてちん』,いいドラマでしたよね」と声をかけられたこともあります),また,その頃はポッドキャストでも落語の配信がありました。私の落語ファンを決定づけたのはおそらく,この「ちりとてちん」とポッドキャスト配信の立川笑志(今は生志)の「井戸の茶碗」だと思います。

落語は古くない!
 さて,皆さんは落語と言えば,なんとなく古臭い芸と思ったりしてません?そういう方は,是非,今度,出張されるときに機内放送をANAだと10ch,JALだと7chに合わせて聞いてみてください。必ず,1~2席は落語をやっています。じっくりと聴いてみると,きっと最近はやりの連呼型お笑い(失礼!)とは一味違う面白さを発見できると思います。
 でも,確かに古典落語に関しては,最近,水戸黄門とかのテレビ時代劇も少なくなったので,「長屋の大家が・・」とか,「ご隠居が・・」とか言っても,おそらく現代の若者たちにとって,全く実感がわかないのは,仕方ないかもしれません。
 でも,なんのなんの,新作落語なら,最近はやりのゆるキャラは出てくるわ,中学受験はでてくるわ,現代の生活に密接にかかわる話を題材に持ってくることも少なくありません。

究極のプレゼンテーション「落語」
 落語は究極のプレゼンテーションだと,私は思っています。使う道具は扇子と手ぬぐいだけ,たった一人で座布団の上に座ったままで,何人もの役を演じ分け,会場を笑いの渦に巻き込んだと思ったら,時にはしんみり,ほろりとさせる。この現場の空気をコントロールする力と伝える力は,われわれ医師も学ぶべきところ大だとおもいます。
 ですから,以前,ポリクリ学生の講義を終わって,横で聞いていた後輩のY先生が「先生のレクチャーはちょっと落語っぽいところがありますよね」と,言ってくれたときは,それこそ僕にとっては究極の褒め言葉だと,素直にうれしかった記憶があります。
 落語の手法について少し述べてみます。基本的には「まくら」「本題(演目;ネタ)」「下げ」という流れです。落語家はまず,それぞれの出囃子に乗って高座に上がります。話の初めは「まくら」と言って,本題に入る前の導入です。まくらでは,自己紹介や近況報告,時事ネタ,などをはなしながら,「観客が何を求めているのか?」の探りを入れる。落語家はまくらを話しながら,本題の演目を決めていくとのこと。決めたら,演目の内容と観客の頭の中とをリンクするように,時代設定をしていったり,演じる落語の解説をしたり,高座の雰囲気づくりをしていくということです。私も学生講義や講演などの際は,この手法を取り入れ,はなしの初めには,ちょっとしたまくらを入れるようにしています。まずは雰囲気づくりのつもりと,そのまくらに対する聴衆の反応で,これから行う講演の重点の置き場,声のトーンなども,この段階で決めるようにしています(少し静かめの聴衆のときに,最初からハイトーンで飛ばすとかえって冷めさせてしまい,自分だけ浮き上がってしまいます)。

落語の演目
 さて,演目(ネタ)については,ご存知かと思いますが,大きく分けて,古典落語と新作落語があります。古典は文字通り江戸時代から明治,大正までに作られ,演じ継がれている演目で,新作はそれよりも新しいものを言います。
 おそらく皆さんが一度は耳にしたことのある「寿限無」や「時そば」,「まんじゅうこわい」などは,古典落語の小品ですね。もう少し大きな作品となると「愛宕山」や,立川談志の十八番「芝浜」などが名作として語り継がれています。ほかに「四谷怪談」や「ガマの油」なんていうのも,一応古典落語に含まれます。それに対して新作落語で知られるものとしては,子どもの塾の宿題のつるかめ算を父親が部下の力を借りながら解いていくさまを面白おかしく描いた桂三枝(今は文枝を襲名)の「宿題」やJRの駅員とさまざまな困った客とのやりとりを語る志の輔の「みどりの窓口」などがポピュラーですかね。そういえば,先日WOWOWで放送された「志の輔らくご in PARCO」を見ていたら,「ももりん」という新作落語がホントに面白くて,新幹線の中で一人で声をあげて笑ってしまってました(ある地方都市で大人気のゆるきゃら「ももりん」にひょんなことからそこの市長が入ってしまって・・という噺です)。
 ちなみに古典落語は,登場人物やそのキャラクターがだいたい決まっています。まずは主役系。威勢がよくて喧嘩っ早く,でも情が深い江戸っ子の典型として描かれるのが“熊さんと八つぁん”,なぜか職業はたいてい大工で,しっかり者の“おかみさん”の尻に敷かれていることが多い。たいてい長屋に住んでいて,家賃を滞納しているため,それを取り立てたり,ちょっと意地悪だったりするのが“大家さん”,そしてご意見番として登場するのが“ご隠居さん”。あとはちょっとお金持ちで大人な感じの店の“旦那”とその放蕩息子“若旦那”,そして実質切り盛りしているまじめで堅物の“番頭さん”,それに丁稚奉公中の勉強熱心な“定吉”,泣き虫の“金坊”,やはり舞台の一部として色を添える役回り吉原遊郭“花魁(おいらん)”は必要でしょうね。これらの人々がさまざまな絡み合いをしながら,他愛のない日常だったり,大事件だったりを,演じていきます。というか演じるのは落語家なんですけどね。上手な落語家は,本当にこれらの役を生き生きときっちりと演じ分け,まさに映画を見ているような感覚になります。

落語の神髄は人情話
 もうひとつ,落語の分類。それは滑稽話(落とし噺)と人情話というものです。滑稽話は,巷でふつうに落語としてしられている,まあ言ってみればお笑い系です。先にあげた「まんじゅうこわい」や新作「ももりん」がこのタイプでしょうね。僕はもともと基本的に落語は「笑わせてなんぼ」と勝手に思っていたのですが,最近,寄席にいくようになってからは,もしかすると「落語の神髄は『人情話』にあるのではないか」と思っています。
 思い返すと5~6年前のこと,東京で学会があって夕方から一人で暇だったので,上野の広小路亭という小さな寄席に出かけてみました。その夜は立川流夜席という催しとなっていて,一門の若手からベテランまで7~8人が古典や新作を織り交ぜながら,次々に楽しい落語を演じておりました。これで「入場料2千円は安いなあ」と思っていたところ,トリを務めたのが,立川龍志という白髪短髪の少し強面の落語家。恥ずかしながら,私はそれまで全く存じあげない方でした。実はその前には,若手中堅で大人気の立川談笑が「ガマの油」をスペイン語で演じるという離れ業をやってのけて,会場は大盛り上がりだったのですが,そのあとに,すっとあらわれて,静かな語り口でマクラを話し始め,瞬時に空気を一変させていきます。会場が完全に龍志ペースになったところで,本題,古典人情話の名作「文七元結(ぶんしちもっとい)」が幕を開けました。
 (文七元結のあらすじ)腕もたつし,人もいい左官の長兵衛は大の博打好き。ある日,大負けして家に帰ると,娘のお久がいなくなっており,聞くと,借金を返すためと父親を改心させるため,吉原に身売りしたという。女将はお久をとりあえず小間使いとして預かり,長兵衛に50両の金を渡すが,次の大晦日までに金を返せなければ,女郎として店に出すと約束。改心した長兵衛だが,帰り道,橋から身投げをしようとしているべっ甲問屋「近江屋」の奉公人;文七にでくわす。文七は得意先からの帰りに集金した50両をすられたので,死んでお詫びをしようというところだった。「死んでも金は戻らないだろう」「助けると思って死なしてください」との押し問答の挙句,長兵衛は持っていたちょうど50両を押し付けて,逃げるように帰ってゆく。文七がおそるおそる近江屋に戻り,長兵衛から渡された金を差し出すと,すでに集金先から50両が届けられていた。どうも文七が集金先で碁に誘われ打っているうちに,金を持ち帰るのを忘れたらしい。主人が問いただすと,文七は長兵衛の件を白状する。翌日,近江屋の主人は文七を伴って長兵衛の長屋へ。50両を長兵衛に返そうとするが,長兵衛は「江戸っ子が一度出したものを受け取れるか!」と受け取らない。もめた挙句にようやく受け取り,またこれがご縁ですので文七を養子に,近江屋とも親戚付き合いをと,さらにお久は近江屋がこっそり身請けをしてくれた。後に,文七とお久が夫婦になり,近江屋から暖簾を分けてもらい,小間物屋を開いた。そこで開発した元結がとてもよくできたもので,文七元結として有名になったという。>>>>>>
 この話,龍志師匠が語り始めると,会場は完全に江戸にタイムスリップし,登場人物は生き生きと躍動し,物語は心に染み入ってきます。この臨場感!眼に涙を浮かべる聴衆(図らずも私もその一人)。ただ,近江屋の番頭が吉原の店に妙に詳しいなど,時にはくすっと笑わせることも忘れない。これこそ,究極のプレゼンテーションだ!と私はこれを機に落語が本当に好きになり,人情話こそが落語の神髄であろうと認識した事件でした。ちなみに,落語の独演会ではだいたい先に滑稽話を演じ,中入り後に,人情話で締めるという構成をとることが多いようです。

落語の締め「下げ」
 落語の最後を締める台詞を「下げ(あるいは落ち)」と言います。有名なところでは「まんじゅうこわい」の「おめえが本当に怖いのは何だ?」「今は濃いお茶がこわい」というやりとり。「井戸の茶碗」の「磨くのはやめておこう,また小判が出るといけない」など,決め台詞とそれによる笑いを旨とします。人情話は下げがないという考えもありますが,最後の締めというふうに解釈すれば,先にあげた「文七元結」の場合には明確なものはないものの,「世間でも評判の元結を作り『文七元結』ともてはやされたといわれています」という説明口調で余韻を持った終わり方をしますので,ここが下げなのでしょうね。必ずしも決まった台詞でなくても,全体をきっちりと締める下げは気持ちのいいものです。
 実は,私は昨年鹿児島であった落語会で,ものすごい「下げ」に遭遇しましたので,少し紹介してみたいと思います。
 「みなみ寄席」柳亭市馬独演会での出来事です。市馬がこの時にかけたネタは,1題めが「粗忽の使者」2題めが「妾馬(めかうま;あるいは『八五郎出世』)」。
 「粗忽の使者」は粗忽ものだが面白いということで殿さまに気に入られている地武太治部右衛門(じぶた じぶえもん)という変な名前の侍が,使者として屋敷に行ったものの,「口上を忘れた」ということで,思い出すために尻をつねらせるといった,まあ,言ってしまえばドタバタ劇。大笑いで会場も大盛り上がり。「中入り」にて会場をリセットした後,市馬は,静かに「妾馬」を始めます。八五郎という大工の妹「お鶴」,殿さま(赤井御門守)に見初められて城に上がり,男の子(世継ぎ)を生んだということで,八五郎が城に招かれる。はじめは緊張していた八五郎も酒をすすめられたうえに,「無礼講じゃ」という殿さまの言葉で,いろいろ殿さまに向かっていつものべらんめえ口調でしゃべりだす。最後に「お鶴」がそこにいるのに気づいて「おめえがそう立派になってくれたって聞けば,婆さん,喜んで泣きゃあがるだろう。おい,殿さましくじんなよ。こいつは気立てがやさしいいい女です。末永くかわいがってやっておくんなさい」と,しんみり。最後に景気直しだと都々逸をうなると,気に入った殿さま,八五郎を家来に取り立てる。まさに「鶴の一声!」という話なのですが,この会では,さらに最後の最後に「この八五郎,武士になったのち名乗った名前が『地武太 治部右衛門』でございます。」
 これ,本当に頭に雷が落ちたような衝撃的な結末!(まあ,アレンジなのですけどね)落語会全体をドカンと締めくくる究極の下げでした。

おわりに
 最後に落語とは全く関係のない話をひとつ。実は最近,薬剤師の吸入薬に関する勉強会をやってます。「薬剤師のための吸入薬指導セミナー」。これまで,鹿児島市,姶良市,鹿屋市,南さつま市と各地で開催してきています。ここでは,参加した薬剤師が患者役,薬剤師役をシナリオをもとに演ずるといったとても楽しいロールプレイがあります。ちょっと落語の要素もあるかな~。
 ということで,ようやくこの原稿,なんとかギリギリ書き終えることができました。5月の紙面に載せるのに4月10日締め切りってのは,ちょっと早すぎると思いませんか?
 おかげで,志の輔が何の演目をかけたかについては詳しくも何も,まったく書けなくて,ここまで読み進めてくださった読者のみなさん,ホントごめんなさい。実際の志の輔の感想は,何か別の機会にお話しできればと思います。
 では,今度は是非,寄席でお目にかかりましょう。

次号は,介護老人保健施設 愛と結の街の黒野明日嗣先生のご執筆です。(編集委員会)




このサイトの文章、画像などを許可なく保存、転載する事を禁止します。
(C)Kagoshima City Medical Association 2015