=== 新春随筆 ===

チェコ,プラハで開催された30th ICM Triennial Congressに参加して




鹿児島大学医学部保健学科
 母性・小児看護学講座 教授 吉留 厚子

 2014年6月1日〜5日にチェコのプラハで,わたし達助産師にとって,最も重要な国際会議・学術集会である第30回ICM(International Confederation of Midwives)Triennial Congressが開催され,わたしは演題を発表するために参加しました。
 この会議は,3年ごとに開催されています。学術集会には,126カ国から3,800人以上の助産師が参加し,日本からは,200人以上が参加し,口演9題・ポスター73題の発表がなされました。会場を歩くと,知り合いにも出会うことも多く,日本語がとびかっていました。わが国では,看護系大学が230校を超え,右肩あがりに増えてきました。新人看護師の3割が大学卒業を占めるようになり,大卒の看護職は珍しくなくなりました。看護系大学の増加に伴い,看護系の学会も増え,大学の教員および臨床の看護職は,少なくとも全国学会で発表することが普通になってきました。さらに,国際学会へ出席しても,活発に発表する日本人の姿も珍しくなくなりました。大学の増加に比例するように,大学教員が活発に世界に目を向けるようになったことを実感しています。このICMには,鹿児島大学からは4人の教員が参加し,演題を発表したり,おのおの興味のある分野での発表を聞いていました。世界中に仲間がいることを,実感した時でもあります。
 以前は,チェコ・スロバキア国であったことは,ある一定年齢以上の人はよく知っている事実です。歴史的に1968年に起こった「プラハの春」は広く知られていて,自由改革路線が推進されましたが,急速な自由化を危惧したワルシャワ条約機構軍が全土を占領し,改革路線は頓挫しました。以後,民主化までソ連軍の駐留が開始されました。冷戦後のビロード革命を経て,1990年にチェコおよびスロバキア連邦共和国となり,二つの国に分離されました。民主化されてまだ24年ほどしか経過していなかったので,どのような国であるのかとても興味がありました。街を歩いたり,お店に入ってみて,数十年前は社会主義国であったことは,どこにも感じることはできませんでした。民主主義を標榜した国に変化したことが分かりました。
プラハは観光名所としても広く知られていまして,プラハ城,カレル橋,旧市街が最もポピュラーな観光地です。気候のよい6月でしたので,全世界から観光客が集まり,旧市街の広場ではひと・ひと・ひと・ひとでした。カレル橋も大勢の人がプラハ城に向かって歩いていました。あまりにも人が多かったので,ホテルは旧市街の近くにありましたので,朝6時30分頃から散歩をしました。朝早くから,街を掃除する人たちがいて,街を綺麗に保ってくれていました。また,道は石畳でしたので,とても風情が残っていました。観光客を呼ぶためには,相応の努力が必要であると思わされました。これまで,友人から,プラハは良い,とても綺麗とは聞いていましたが,非常に魅力的な街であることが分かりました。一度は足を運んでみる国です。

筆 者

学会オープニング会場

カレル橋

ビロード革命の広場

プラハ城

プラハ城から街をのぞむ

夜のプラハ城

旧市街

路 地




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