=== 新春随筆 ===

       ローマの休日




鹿児島大学大学院医歯学総合研究科
 心身内科学分野 教授 乾  明夫

 6月の最後の週は,大忙しであった。時間に追われる激しい生活の中で,北大の武田教授からお招きいただいた日がやってきた。初夏の北海道に心を惹かれながら,札幌行きの飛行機に乗りたった。ところがこともあろうに,飛行機の中でパソコンが壊れ,激しく揺れる画面をコントロールすることができなかった。最近パソコンの調子が悪く,嫌な予感がしていたが,冷や汗の現実になってしまった。北大の大学院生講義とNST(栄養サポートチーム)チームの講演スライド2つ分を,かろうじてメモリースティックに移し終えたのは,札幌に大分近づいてからであった。講演スライドを,パソコン画面の最上部に置いていたために,取り出すことができた。翌日からローマ出張で,パソコンを使えないのは致命的であるが,今日という大事な日の不幸中の幸いに,心から安堵した。
 北大のポプラ並木は新緑で,淡い緑がこぼれるばかりの春の装いであった。鹿児島との樹木の違いも新鮮であった。北大の広いキャンパスには多くの観光客が訪れ,島津1000年の歴史とは比肩しえないが,学園生活と呼ぶにふさわしい世界がそこにあった。講演の後,「すすきの」のとあるお店に連れていっていただき,北の海の幸を満喫した。鹿児島との食事の違いも新鮮であった。NSTの講演では,「はんだま」など鹿児島の色野菜をふんだんに使った「黒膳」を見ていただいたが,好評であった。
 翌日はローマに旅立つ日であった。国際悪液質学会が主催するミーティングが開催され,EMA(欧州医薬品庁)とAIFA(イタリア医薬品庁)の関係者を交え,サルコペニア(骨格筋委縮)に対する薬剤開発が話し合われる予定であった。EMAとAIFAは,アメリカFDA(米国食品医薬品局)のヨーロッパ版,イタリア版である。札幌空港に向かう列車や羽田までの飛行機,さらには12時間近くのミュンヘン行きの機中で,パソコンを見れない時間は長かったが,新鮮でもあった。外の風景を眺めながら,パソコンを持たない若い日々,追いかけるもののない出張の気楽さを味わった,あの時の気分であった。
 ミュンヘン行きの飛行機では,お昼からお酒を飲むことになった。「すすきの」では「男山」をはじめ,日本酒が料理によくあった。機中でも「木曽路の大吟醸」および「福島の凛」を楽しんだが,神戸で育った僕には甘口の酒であった。東京からの旅路には,医局のS先生が一緒であった。語学をはじめ才能を秘めたS先生は,控え目で穏やかなその人柄が,何よりも魅力であった。ローマに到着した日は,荷物の受け取りに随分と時間を要した。日本では考えられないことであったが,イタリア時間なのであろう。ローマではお店は普通,17時を過ぎて開くらしい。イタリアの人たちは,生活をエンジョイしているようであった。
 2日目の土曜日と帰る前日の月曜日,僕たち2人は同じレストランで,同じ時刻にほぼ同じ席で,夕食を楽しんでいた。几帳面な日本人である。レストランは,月曜日というのに満席に近い。イタリアの経済危機は,いったいどうなっているのであろうか。親子4人が仲むつまじく,大きなピザを食べている。4人で4枚,好きなピザを注文し,お母さんが子どもにピザを切ってあげていた。本場のピザは美味である。「マルゲリータ」は臭さがなく,あっさりしていて,本当に美味しかった。
 僕たちの夕食の中心は,牡蠣とワインであった。レストランは,ホテルお勧めのレストランであった。牡蠣は大小二つの種類があり,2人で1ダースを食べたが,本当に美味であった。2日間とも飽きることなく,牡蠣とワインの楽しい時間であった。ワインはトスカーナのMASIの赤ワインで,お手頃で上品な味であった。土曜日はMASI BROLO CAMPOFIORIN IGT 2009を,月曜日はそのレゼルバを勧められたが,本当に良い味であった。レゼルバの方が,口の中に広がる華やかさがあったが,少しおとなしいと思ったMASIは,牡蠣に良く合って美味しかった。牡蠣には大量のレモンを搾るが,酸っぱさがなく,飲めるほどであって,牡蠣の味が引き立った。あさりや小エビのパスタも,美味であった。思い出に残るレストランで,思い出に残る時間が流れていた。
Pantheon(パンテオン神殿)


Piazza di Spagna(スペイン広場)



 ローマは,観光客で満ち溢れていた。みんな夏の装いで,日差しは強く,晴天が続いていた。背広とネクタイ姿の気まじめな日本人は,少し異様に見えたことであろう。しかし,日本人観光客が少ないのは,意外であった。街は史跡に溢れ,さすがにローマ帝国の末裔たちの世界であった。ホテルから歩いてゆける所に,バチカン市国やパンテオン神殿もあった。パンテオン神殿の屋根の一部はガラス張りで,暗さがなく少しひんやりとした寺院は,多くの観光客で賑わっていた。
 研究会の懇親会は,スペイン坂近くのレストランで,屋外のテーブルも洒落て素敵であった。いつぞや,カリアリ大学のマントバニ教授に,ローマに行ったことがないとお話をしたら,「It's a pity.」と真顔で言われたのを思い出した。ローマの町はしかし,危ない街であった。車はスピードを出し,しばしば人と交錯する。空港まで乗ったタクシーの運転手が,スピードを出しながら,歌劇の歌であろうか,鼻歌交じりに低い声で口ずさんでいた。S先生が,イタリアは肥満が少ないですねと言っておられた。確かに,その通りであった。和食のライバル,地中海食が効果的なのであろうか。それとも,生活を楽しむその生き方が,健康に繋がっているのであろうか。
 S先生とは,ローマのレオナルドダヴィンチ空港のラウンジで,ワインを一緒に楽しんだ。「バルバレスコ」のようなその味は,確かにイタリアのワインであった。ローマからミュンヘンに向かう飛行機の中では,ドイツの地ビールを楽しんだ。2人とも明るいうちから酔っぱらいながら,S先生はフランクフルトに向かわれ,別れることとなった。マントバニ先生は,土曜日はお昼からワインを飲むと言っておられた。僕もこの先,羽田から鹿児島まで,酔っ払い続けるのであろうか。
 王女アンは,スペイン広場で「ジェラート」を食べられたという。王女は侍従長からは,健康的なミルクを勧められていたが,ジョーと一緒のカフェでは,シャンパン(ドンペリ)を飲まれたという。お金のなかったジョーは,コールコーヒーを注文したという。ローマ滞在中,素顔の“王女”様は,一体どのようなワインを楽しまれたのであろうか。




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