=== 新春随筆 ===

       年男の小自分史
(昭和18年生)



東区・紫南支部
 (田中整形外科クリニック) 田中 源郎

 高齢人口が増加し,その一人として世間様に負担を掛けないようにと考えながら小自分史を書き,年男の投稿の責を果たしたいと思います。しばらくお付き合いください。
 昭和18年3月10日,旧陸軍記念日,お別れ遠足から帰ってきた姉が「猿みたいな赤ちゃん」と言ったと母から聞きました。
 小学校・中学校時代,現在では見られない左大腿四頭筋化膿性筋炎で父に無麻酔切開を受けたのと,戦闘機パイロットだった叔父の酔っ払い運転の車に乗車し田んぼに転落し前額部挫創を酔っ払いの父に縫合受けましたが,それ以外は野球・バスケットとスポーツ漬けの毎日を過ごしました。
 高校は大学入学への階段と割り切り,机の前での生活が多くなりました。大学入学後は卒業までの6年間準硬式野球(ボールの中心は硬式・表面はゴム)を楽しく頑張りました。
 成績は準優勝が西医体での最高成績でしたが,その後の旅行が楽しかった(金沢・神戸・和歌山など)。野球部での交流は現在でも続いています。丁度社会問題化していたインターン制度があり,それと医局制度廃止・大学院入学ボイコットとコミットして青年医師連盟が中心となり運動していました。我々も国試をボイコットとなりインターン終了記念自動車旅行を計画,鹿児島から宮崎〜四国一周,山陽道〜別府に最終宿泊,翌朝は濃い霧の中,城島高原をノロノロ運転でやっと熊本でのデモに参加できました。結果,翌年より卒業と同時に国試がおこなわれる事となり最後のインターン生となりました。
 整形外科入局し,医局での動物実験,県立鹿屋および大島病院等への出張,股関節の診療などバタバタして気が付いたら40前,子どもも大きくなり,一念発起して心と体重73sの身体の開業準備を数年間おこないました。
 42歳で鹿児島市内紫原団地に診療所を開設,診療・ゴルフ・旅行の生活開始。
 目の前の患者さんを治療して社会復帰してもらう現代の治療の傾向と対策,文献を探しました。よい結果がでるように頑張ったつもりですが。
 ゴルフは雨・台風の時にも出掛け8・6水害の前日はさすがに途中で引き返しましたが,48歳の時全国医師ゴルフ大会(箱根カントリークラブ)で優勝できたのはご褒美でした。
 旅行は,上高地をはじめ沖縄・北海道など日本各地を訪れました。外国はフィレンツェ,ウィーンが印象に残って再訪したい都市です。
 今年は72歳の年男となりますがどんな人生が残っておりますやら。




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