=== 新春随筆 ===

       干支・「ひつじ」
(昭和6年生)



西区・武岡支部
 西橋 弘成

 日本では4月2日生まれから翌年4月1日生まれの子どもを同学年として,小学校1年生に入学させる。1月1日から4月1日までに生まれた子どもを早生まれといい,それ以前に生まれた子と干支が異なる。だから早生まれの子の人数がクラスでも少ない。
 来年の干支は「未(ひつじ)」で私の生まれた干支だそうだ。今年は「午(うま)」だそうだ。
 「午年」の4月,5月頃の生まれと,「未年」の2月,3月頃生まれとでは約1年の差があるので,家系的遺伝にもよるが,1年生入学時,4月,5月頃生まれの子が一般的に体格がよい。
 干支は,江戸時代までは(年・月),(時刻),(方位)を表わす呼称として用いられた。「寅の刻」とか「寅の方で火事が起こっている」とか。
 「年男」という言葉はその人の干支の年に使う言葉であるが,年男の年に必ず良いことがあるとは限らないようだ。
 昭和6年の未年生まれの自分のことを振り返ってみると,昭和18年3月,熊本県立人吉中学校へ合格したこと(定員250人に対し400人の受験者があり,人吉・球磨地方では上級学校進学校はこの一校のみで,球磨農業学校は上級学校進学者はほとんどいなかったから,人中の倍率は高い方であった)。
 それに,昭和42年第1子が誕生したことである。第2子が男の子であったのは嬉しかった。他には,踊り上がるような喜ばしいことはない。
 年男といっても特別な年ではないと思う。人が年を重ねていくひとつの区切りであって,年男の時だけに良いことが起こるのではなく,毎年を健康で,豊かで,仕合わせで,楽しく生きていくためには,プラス思考で,感謝の心を持ち,他人(ひと)様の幸福のために自分ができる生き方を続けることであろう。
 ある人がある本に書いておられた。「他人の悪口を言ったり,憎んだりした時傷つくのは誰か。それは悪口を言われたり憎まれたりされた人ではない。その人が,そうされていることを知らなければ,知っていてもそれを受け付けなければ全く傷つかない。傷つくのは悪口を言ったり相手を憎んだ人のほうだ。だから仕合わせに人生を送ろうと思うなら,人の悪口を言ったり人を憎んだりしないことだ。むしろ,小さなことでも他人様を誉め,感謝の心で生きてゆくとすべてが上う手まくゆく」のだそうだ。干支が何だからその年が良いとか悪いとか言う問題ではないだろう。
 干支は十二支で12年ごとに廻ってくる。私は来年84歳,次は96歳だ。自分のことを全て自分ででき,外出も自分の足ででき,これまでの人生で得た僅かな知識でも他人様のお役に立つ生活を続けたい。
 学者が言う人間の最高寿命まで生きれたとしたら,あと4回「未年」を迎えることができることになる。
 この世を去る時は,「この男性(ひと)が生きていて良かった」と,喜ばれてお別れしたい。それが何時になるかは,神様の御心次第だ。
平成26年11月



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