随筆・その他

リレー随筆

う つ 病 診 療 に つ い て 思 う こ と

鹿児島大学医学部・歯学部附属病院
メンタルケアセンター神経科精神科 春日井基文
 私は現在,鹿児島大学医学部・歯学部附属病院メンタルケアセンター神経科精神科(以下「当科」)の病棟医長として勤務しています。当科は総合病院精神科として身体合併症を有する精神障害者の入院を受ける機会が多いという特徴があります。身体合併症は悪性腫瘍や心疾患,脳血管障害,膠原病のほかに,自殺企図による外傷も少なくありません。自殺企図に至る精神疾患としては,やはり「うつ病(抑うつ状態)」が多く,ICUでの救急対応が済むと当科へ移されます。このような職場環境から,うつ病診療について考えさせられる機会は少なくありません。
 「うつ病」と言えば,勤勉で真面目,他者配慮,会社人間の中年男性が罹患する精神疾患が典型的とされ,重症になるまで医療機関に至ることは少ないため,早期発見・早期治療が重要であり,国の自殺対策として積極的に広報活動(「お父さん,眠れてる?」というポスターやテレビコマーシャル放映など)や相談窓口設置やゲートキーパー養成がなされるなどの「うつ病」に関する啓発活動がなされました。その結果,「うつ病」が社会的に認知されて偏見が減ったことから,日本における気分障害患者数は1996年には43.3万人でしたが,2008年には104.1万人と9年間で2.4倍に増加しました。結果として,1998年から14年連続で自殺者が3万人を超えていた状況が,2012年からは2年連続で自殺者は3万人を下回り,50代以上の自殺死亡率が低下したことから,国の自殺対策は一定の効果があったと言えます。しかし,「うつ病」の啓発活動にはディジーズ・モンガリング(Disease mongering)の問題が指摘されています。池田光穂大阪大学教授によると,ディジーズ・モンガリングとは,「製薬会社などがその販路を広めるために,医学界と共同歩調を通して,特定の病気をより重要な課題として社会問題化し,治療的介入を進め,その治療薬と特定の病気の知名度が上がることをさす」と説明しています。これはうつ病だけではなく,メタボリック・シンドロームや高血圧症などの内科系疾患でも指摘されています。1999年に日本に初めて新しい抗うつ薬であるSSRI(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors:選択的セロトニン再取り込み薬阻害薬)が発売されたことに合わせるように「うつ病」の啓発活動が盛んとなり,結果として抗うつ薬の年間販売高は170億円から900億円超へと,5倍以上に増加しました。この点について,製薬会社の抗うつ薬のマーケティング戦略によって気分障害の際限のない拡大が生じたという批判もありますが,一方で安易な「うつ病」の診断と薬物療法偏重となっている医師側の問題も少なくありません。
 「典型的なうつ病」であれば,抗うつ薬による薬物療法が必要となる場合が多いと思われますが,「抑うつ状態ではあるが,典型的なうつ病とはいえない」場合も,「典型的なうつ病」と同じ治療を行うことによる問題が増えているように思います。いわゆる「新型うつ病」と言われる,20〜30歳代に多く,原因が環境要因の影響が大きく,他罰的で自己中心的な傾向のある抑うつ状態を認める場合,薬物療法による治療効果に多くは望めず,副作用や薬物乱用・依存の出現,病状の悪化・遷延化の危険性があります。ところで,新しい抗うつ薬であるSSRIは必ずしも安全な薬ではなく,自殺念慮や自殺企図を誘発するおそれがある賦活症候群(アクチベーション・シンドローム:activation syndrome)の出現に注意する必要があります。とくに「典型的なうつ病」でない場合はそのリスクが高いと思います。そもそも,「典型的なうつ病でない抑うつ状態」の鑑別は専門とする精神科医であっても,大変苦慮しますが,そのような場合ほど専門としない診療科の医療機関を訪れる可能性が高いという問題もあります。
 日本うつ病学会のうつ病の治療ガイドラインでは,軽症のうつ病では,「患者背景や病態の理解に努め,支持的精神療法と心理教育を行う。安易な薬物療法は慎む」であり,中等症以上のうつ病では「まず外来で診療できるのか入院を決断すべきかの判断を行う。薬物療法は軽症に比べて積極的に行う。抗うつ薬を単剤で十分量,十分期間使用し,合理性のない多剤併用は行わない。新規抗うつ薬を第1選択薬とするのが一般的だが,この判断に関して十分なエビデンスがあるとは言い難い。いわゆるアクチベーションや過量服薬による致死的不整脈など抗うつ薬の有害作用に精通し十分注意する。ベンゾジアゼピン系薬剤を併用する場合はその必要性を慎重に考慮する」と記載されています。また,軽症うつ病に対する抗うつ薬の効果はプラセボとほとんど差はありません。つまり,精神科を専門としない診療科において,「軽症のうつ病であれば抗うつ薬は使用せず,規則正しい生活や飲酒の禁止,患者自身が自覚するストレスの軽減を指導すること,中等症以上であれば精神科に紹介する」としたほうが安全と言えます。もし,精神科に紹介することが困難な状況であれば,抗うつ薬などの薬物療法によるメリットとデメリットを患者や家族に十分説明して使用されるほうがいいと思われます。とはいえ,精神科に紹介したらかえって「薬漬け」にされたという批判は少なくないので,専門であるかどうかの問題だけとは言えないかもしれません。
 「うつ病診療」におけるポイントは,@鑑別診断とA重症度判定の2点が挙げられると思います。@鑑別診断とは,抑うつ状態を呈する「うつ病」以外の疾患を検討することです。つまり,診察時に抑うつ気分や意欲低下,不眠,食欲低下などの症状をチェックリストに当てはめるように確認しただけで「うつ病」と診断するのではなく,器質・症状性精神障害や中毒性精神障害,統合失調症,双極性障害,適応障害などの他の精神障害による抑うつ状態または抑うつ状態のようにみえるだけではないか,背景に知的障害や発達障害,パーソナリティ障害はないか,不安障害や依存症などの併存疾患はないか等の検討が必要であるということです。そのためには,診察時の症状だけでなく,生活歴や家族歴,既往歴,生活状況,これまでの治療経過,患者以外からの情報を得たり,必要に応じて血液検査や画像検査を行ったりする必要があります。ですから,本来は「うつ病」以外の疾患や病態に関する知識がなければ「うつ病」と診断することはできません。製薬会社の小冊子やインターネット,簡単な解説本をみながら,「うつ病」ありきで症状を当てはめるだけの診断は,いわゆる素人判断と大差ありません。A重症度判定とは,症状や日常生活状況から軽症,中等症,重症と総合的な判定をすることですが,とくに希死念慮や自傷・自殺企図歴の有無をチェックし,現在から将来にかけての自殺の危険性を判定することが重要となります。この@とAの手順を踏み,治療方針について患者や家族に説明し,同意を得た上で治療内容を決定することになります。場合によっては入院を検討する必要があります。考えてみれば,この手順や治療方針決定のプロセスは「うつ病診療」に限ったことではなく,他の多くの疾患の診断・治療のプロセスと共通しているものです。ただし,「うつ病」は自殺という最悪の事態に至る可能性があるため,とくに慎重に診断・治療を行う必要があります。
 「うつ病は心の風邪みたいなもので抗うつ薬で治る病気だから,プライマリで治療できる病気です」という啓発活動または製薬会社の抗うつ薬マーケティング戦略の結果,本当に薬物療法が必要である「うつ病」の早期発見・早期治療には一定の効果はあったものの,表面的な症状または患者の訴えのみで簡単に「うつ病」が作られ,必要のない薬物療法が行われる結果,誤診による間違った治療や薬物乱用・依存,副作用の問題が生じていることも少なくありません。また,「新型うつ病」と言われる,本来は「うつ病」とは診断されない患者の増加の結果,「うつ病」そのものに対する偏見が生じ,治療の必要がある「うつ病」患者が医療機関を訪れ難くなるといった本末転倒な状況も生じています。そもそも,「うつ病」は寛解(症状が消退すること)しても,再発しやすく,半数以上の患者は長期的に何らかの症状が出現し,1〜2割の患者は一度も寛解に至らず,自殺の危険性は健常者よりも高く,結果として長期的なフォローが必要ですから,とても「心の風邪」といえるような簡単で予後の良い病気ではありません。また,個人的な意見ですが,専門の医師による診断の上,治療方針が定まり,病状が安定した状態でなければ,「うつ病」(または「抑うつ状態」)をプライマリで対応することは望ましくないと考えています。しかし,専門と言われる医師であっても,見立て違いや症状および治療経過をみないと判断できないことも少なくなく,また適切な対応をしたとしても予後不良のケースもあるため,精神科に紹介すれば全て解決するとは言えないところが苦しいところです。しかし,精神科を専門としない医師にとって,「うつ病診療」に関する情報は,主に製薬会社のMR(医療関係者を訪ねて薬剤情報を提供し,収集することを業務とする者)からの情報や,製薬会社の主催する講演会程度ではないでしょうか。この情報が間違いとは言いませんが,企業利益を前提としたコマーシャルですから,本当に「うつ病診療」に必要なポイントや安易な診断と治療に伴う危険性は伝えられることはおそらくありません。
 本来,『鹿児島市医報』の「リレー随筆」は医師という仕事から離れて,趣味や日々の事柄を面白可笑しく綴り,仕事の疲れを癒やす清涼飲料水のようなものとすべきものなのかもしれませんが,大した趣味も無く寂しいプライベートを送っている私としては,利益相反関係の無い条件で,「うつ病診療」について私が思っていることを綴ってみることが,精神科を専門とされていない先生方に何かしらの情報提供となればと思い,このような内容になってしまいました。この随筆が多少なりとも「うつ病診療」の参考としていただけたら幸いです。

次号は,鹿児島大学医学部・歯学部附属病院の小城卓郎先生のご執筆です。(編集委員会)




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