緑陰随筆特集

ほ の か に ま よ ふ 萩 往 還 路


西区・武岡支部
(もりやま耳鼻咽喉科) 森山 一郎

 「さびしさに たへたる人の またもあらな 庵いおりならべん 冬の山里」
 (この閑居の寂しさに堪えている人が他にもあってほしいものだ。そうしたらこの冬の寂しい山里に庵を並べて住もうものを。【西行:山家集:新潮日本古典集成】)

8キロ地点:黄昏時の河川敷を軽快にジョグ

 今年のゴールデンウィークもここ山口萩往還にやってきた。昨年は250キロを完踏。今年はどうしても5月2日が休めなかったので,5月3日にスタートする140キロの部にエントリーした。大会前の説明会でのこと。今年から医療従事者や救急救命の資格のある方に救護のロゴの反射板をつけてもらいスムーズな対処をしたいので,希望の方は願い出て欲しいというアナウンスがあった。小生はこのバッジをつけて走った。それから,地元の新聞によれば4月29日に山口市の東方でイノシシの罠に体長1.5メートルのツキノワグマがかかり,その後近くで2件のツキノワグマ目撃情報がもたらされたとのニュースが紹介された。クマ対策に妙案なしで片づけられたが,一抹の不安あり。そして,来年のNHK大河ドラマの「花燃ゆ」の主人公が吉田松陰の妹文ふみとの旨。これから萩往還もますます人気になるだろう。
 萩往還140キロの部は過去3回とも完踏していた。4回目の今回も当然完踏できるだろうと余裕しゃくしゃく。そこで少しモチベーションをあげるために自分なりに目標をたてた。@20時間で走りきること。A萩往還の復路のきつい上り坂で決して弱音を吐かずむしろニコニコと楽しむこと。B最後の天花畑からゴールまで余力を残さず全力で走りきること。鹿児島から参加された知り合いの選手3人とともに,さていよいよスタート。140キロの部は道も知り余裕があり全く緊張しない中での午後6時スタートだった。
 今回の旅行で持参した文庫本は,保田輿重郎氏の「わが萬葉集」である。これがまた特筆すべき傑作で小生の感性にピッタリだった。保田氏曰く,少年期に学んだ萬葉集が年をとってから心にしみる。「私の萬葉集は,心の底で,かうゆう風景の蕩々とうとうとした気分がしめている。少年の日の蕩々の気分だから,血のわく思い出ではなく,気分のわけなくゆれ動くなまあたたかい感じで」ある。決して血潮が沸き立つ強い感情ではなく,全身が程よく温まる気分と述べられておられる。不思議にも小生にとって,懐かしい和歌に浸る気分と,走っているときに感じる自然の中に身を委ゆだねる気分とが同じで,それは熱き感情ではなく温かで穏やかでどこか郷愁に満ちた思いなのである。保田氏と同じ心の感動を齎もたらすのである。また保田氏は漢語や韓語の全く入らない国語だけの萬葉集を強調されていた。日本語の美しさを次のように引用されていた。
 「東行 西行 雲眇々 二月三月 日遅々」を日本語(国語)としていかように読むか?
 「とざまにゆき かうざまにゆき くもはるばる きさらぎやよい ひうらうら」
 なんと素晴らしい国語なのだろうか。けっして万葉人は音読みしないそうだ。
 最初の河川敷を走る20キロはまずまずな滑り出しであった。と,そのとき,折り返してくる選手の一団の中に裸足 はだし で走っている人がいるではないか。まさかその素足のままであの萩往還の砂利道で小石がごろごろ,小さな切り株や根方や杭の多い隘あい路ろを走れるものだろうか。クマの出没の話を聞いたとき以上にこの選手との遭遇には驚いた。そんなことを思いながら,山口市を抜け周防市の市街地を走っているとき,なんだか嫌な疲労感に襲われた。先はまだ長いのに大丈夫なのか。そんなにハイペースではないのにこの脱力感は何なのだろうか。西の空には夕月夜がくっきりと見える。コンビニやファーストフード店などアンチョコな店がやたらに多く,気分の乗らないところを走ったせいなのか。なんだか棄権し投げ出したくなったが,それでもやっと50キロ地点の山口福祉センターの休憩所にたどり着いた。もう午前0時を回っている。おにぎりとみそ汁をいただきいくらか元気を取り戻した。さあこれから最大の難所萩往還の往路に入る。明日の夜明けごろに到着予定の萩城址までが勝負だ。暗い闇の中,自分のヘッドライトと前を行く人の影とわずかな経験だけが頼りだ。萩往還路では,何度か県道を横切る所があるのだが,あるところで前を行く人が県道を左折して行ってしまった。何かおかしいと思いながらも小生もその人に付いていき同じように左折した。少し心配だったので「この道で良かったですかね?」と尋ねたところ「もう少しこの道を走りますよ」との返事であった。不安を抱えながらもその人を抜いて一人で走っていたが,いつまでも萩往還路へ戻る白線の矢印が出てこない。ふと後ろを振り返ると,抜き去った人の照らすヘッドライトが見えなくなっていた。前方にも人影なし。まずい,やはり道を間違ったようだ…。絶望的な孤独感に襲われた。

 家ならば 妹いもが手まかむ 草くさ枕まくら
  旅に臥こやせる この旅たび人とあはれ
 (家にいたら妻の手を枕とするだろうに草枕 旅に出て倒れているこの旅人は哀れだ。聖徳太子が竹原井にお出かけになった時に,龍田山の死人を見て悲しんで作られたお歌である。萬葉集巻第三の挽歌 [カナシミウタ] の最初に掲載されている。【萬葉集415】)
133キロ地点:萩市から山口市への境界の
板堂峠付近。ニコニコランできているか?


 絶望は死に至る最大の病である。絶望してはいけない寂しがってはいけない。最初にかかげた目標のA復路ではニコニコすることを思い出す。今は午前2時前で復路ではなくまだ往路である。往路でもニコニコし萩での夜明けを楽しみにいこうではないか。これは夢に違いない。ほのかに迷い込んだ夢の通い路だ。

 はかなしや 枕まくらさだめぬ うたた寝に
  ほのかに迷ふ 夢の通い路じ
 (なんとなくはかない,頼りないことでしょう。夢の中であの方に逢うために枕の方角を定めるという事もなしに寝たうたた寝において辿たどった,ぼんやりとしていてどちらへ行ったらよいかも不安な,あの方の所へ通じる夢の中の道はまあ。奥野陽子訳【式子内親王全釈】)

 君と会う ただこの道は
 うたた寝の 夢の通い路
 ほのかにも 君の面影
 見ゆるさえ はかなきものを
(辻 邦生訳【日本の古典】)

 やっとの思いで元の道に戻ったときに見たものは,友人のFさんの私設エイドだった。これにもまた驚いた。Fさんは我々の走り仲間では隊長と呼ばれ,走る練習をいろいろと工夫し山間のトレーニングを行ったり一日100km前後の走りを課したりする。今回の萩往還では,250キロの部に参加されたが,残念ながら無念の棄権で,昨夜から私設のエイドをかって出ていたのである。まさに闇の中の光明で,安堵するとともに感謝の気持ちでいっぱいである。F隊長はこの後も夜を徹して随時要所に待機され,選手たちに清涼飲料水などをふるまっておられた。
 萩往還路はきついのだが,山口・周防の町中のランと違い,森林浴のせいか山の癒やしのおかげか,不思議と疲労感は抜けていく感じがする。確かに足はかなりパンパンなのだが精神的な活力が戻ってくる。いつしか真夜中の孤独感や恐怖心にもなれ,西行の山里の庵にも招かれる資格が得られたような気分となる。
 そしてやっと夜が明け,平坦で走りやすい萩市街地へ出た。ここは頑張って走り,距離を稼ぐところ。比較的順調に虎が崎(96キロ地点)のカレーのおいしい食堂に到着。
 「あなたも無事にここまでたどり着いたのですね」
 食堂の前で突然見知らぬ人に話しかけられた。
 「間違った道を教えて気にしていました」
 とのこと。そうだ,萩往還の往路で小生の先を走り迷い路に誘い込んだ張本人だ。
 「ああ気にしないでください。こうしてここにいるのだから。かえってよい試練を与えてくれありがとう」
 さらりと受け流す事にした。そして同じ虎が崎の自然探勝路で,あの裸足のランナーにもあった。かなり痛々しそうに足を引きずっている。
 「最初からずっと裸足ですか。あの萩往還も?」
 「そうです」
 「痛そうですが,靴か草鞋 わらじ は持ってこなかったのですか?」
 「靴はありません。これからもゴールまで裸足でいきます」
 とても信じられない。果たして無事にゴールしたか確認していないが,こんなご仁じんもいるのだ。
 松陰神社を通過するとき,吉田松陰を拝み,来年の大河ドラマ「花燃ゆ」の成功を祈った。そして金照苑東光寺前を経由して,とうとう最終チェックポイントの陶芸の杜公園(105キロ地点)に着いた。トイレに行き着替えを済ませ,山口名産の夏ミカンを頂きしばし休憩をとる。さあ残り35キロ,苦しくても顔をしかめずにニコニコランできるか最後のランに出た。
 しばらく走っていると,ピンクの白衣のミニスカ看護師に女装したランナーに出会った。彼(彼女)もまた140キロ完踏しようとしている。自然と気持ちもなごみ,笑みがこぼれる。こんな過酷なレースでもファンランに徹する人がいるものだ。ちなみにスタイルはよいのだが顔は小生に似たり寄ったりのおじさん顔。そのアンバランスがうける。医師ジョガーズのビブスをきた小生と看護師の格好をした彼(彼女)とのペアが何となくいい感じだ。でも,次のエイドの佐々並で名物の豆腐にありつきたかったのとマイペースで最後まで行きたかったのとで,彼(彼女)をあとにして,自分一人先を行くことになった。佐々並のエイドでは幸いにしてまだ名物の豆腐は残っていた。この豆腐で最後のエネルギーを補給してあと12キロ。平地ならば1時間というところだが,標高の一番高い板堂峠までが最大の難所である。ここの登りの坂道もニコニコランを発揮して楽しくいこう。自然との戯れもあと2時間あまり。名残を惜しみながら,そして自然の恩恵を感じながら萩往還路の最終地である天花畑に出た。目標B,あと3.5キロを余力を残さず走り切ること。目標通り1キロ約5分のペースで走り,ほぼ余力を残さず20時間44分40秒でゴール。いつものことであるが,ゴールのテープを切るときはいろんな感情があふれ出て,つい涙ぐみたくなる感動を覚えるが,今回も例外ではなかった。目標@の20時間を切ることはできなかったが,きつい上り坂のニコニコランと最後のキロ5分で走るという二つの目標は達成できたと思う。これも,自分一人の力ではなく,幾人ものあたたかい支援と協力のおかげである。私設エイドでボランティアされたF隊長,鹿児島から一緒に140キロに参加したHさん,Oさん,Tさん,250キロを完踏した後応援に駆け回ったSさん,そして瑠璃光寺から山口駅までの帰りをわざわざ車で送ってくださったYさん,さらには大会関係者皆様の親切と愛に包まれて,幸せな20時間であった。深謝申し上げます。

 何層も あなたの愛に 包まれて
  アップルパイの リンゴになろう
【俵 万智】

あとがき
 5月3日鹿児島中央駅を午前10時半の新幹線で発ち午後3時山口着。午後6時山口市瑠璃光寺をスタートし,翌4日午後3時前にゴール。そのままお風呂も入らず,新幹線に乗って午後7時には鹿児島中央駅に到着。そこには妻が待っており,自宅まで車で送ってもらった。実にスムーズな0泊2日の旅であった。妻や家族にも感謝である。今年は結婚してはや25年,我妻はいつまでもかわいくはないのだがまだ煤すすけてもいない。銀婚式になる。

 難なに波は人ひと 葦あし火び焚たく屋やの 煤すしてあれど
  己おのが妻こそ 常とこ愛めづらしき
 (難波人が葦火を焚く家のように煤すすけているが,自分の妻はいつもかわいい。【万葉集2651】)

 帰宅してからずっと気になっていたことは,もしクマにあったらどうするかという問題であった。偶然にも2014年3月10日に上梓じょうしされたばかりの本に出会った。アイヌ民族最後の狩人姉崎 等著「クマにあったらどうするか」【ちくま文庫】である。「萬葉集」に始まったこの萩往還の旅が,ほのかに迷いつつも完踏し,そしてクマ問題の決着をみたことで完結した。



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