緑陰随筆特集

平 戸 と 佐 世 保 の 旅


中央区・城山支部
(高見馬場リハビリテーション病院) 林  敏雄

写真1 平戸ザビエル記念教会

写真2 オランダ船リーフデ号の模型

 平成26年の春を迎えて,家内とどこか旅行に行きたいねという話になって,4月19日,まだ訪れたことのない佐世保と平戸の2泊3日の旅に出た。ちょうど旅行シーズンになり,やっと取れた宿泊ホテルの関係で,まず平戸を目指して出発した。朝,新幹線で博多に出て,佐世保線の特急に乗り換え佐世保に着いた。平戸まで電車もあるが,路線バスなら平戸の街まで行くというので乗ったのはよかったが,急行がなくバスは各バス停に止まるので2時間も掛かって,夕方4時頃やっと平戸に到着し,丘の上に建つ老舗の国際観光ホテル旗松亭で旅装を解いた。
 平戸は人口3万2千の小さな港町だが歴史的には面白い所で,タクシーで一回り観光することにした。徳川家康の外交相談役を勤めた英人ウィリアム・アダムス(三浦按針)が,1564年この地で没して墓もある。フランシスコ・ザビエルはマラッカで薩摩人のヤジロウと知り合い,彼を伴って日本を目指し,まず薩摩の坊津に上陸,1549年8月に現在の鹿児島市祗園之洲に来着した。守護大名・島津貴久に謁見しキリスト教布教の許可を得たが,仏僧と対立して1550年8月には平戸に移動した。その後,山口,大分で布教活動して2年間日本に滞在した後,インドのゴアに移った。1971年(昭和46年)9月に平戸市内の丘に平戸ザビエル記念教会(写真1)が建てられ,手前に光明寺,瑞雲寺があるので「寺院と教会の見える風景」として知られている。教会は大きくはないが形といいモスグリーンの色彩といい非常に美しく,敷地内には純白のザビエル像があった。
 1600年,オランダ船リーフデ号が台風に遭い豊後(大分)に漂着した。5年後乗組員を本国に送還する船を平戸の松浦氏が準備したのが縁で,1609年,平戸にオランダ船が来航し,オランダ商館を開設した。1641年鎖国令により閉鎖し,長崎の出島に移転するまで貿易が盛んに行われた。1979年,当時の石造りの倉庫を模して再建され,平戸オランダ商館としてオープンした。展示品はリーフデ号の模型(写真2)や帆船を描いた絵画などが多かったが,オランダ甲冑と並べて日本の鎧・兜をオランダ風に改造した珍しい物や,日本を明記した大きな地球儀,分厚い医学書,金属製のインク壷から商船に備えた小型の大砲まであった。オランダ人は身体が大柄なので有名だが,愛想のいいオランダ女性職員が一人いて記念写真を撮ったりした。
 夕食は和個室で港を挟んで反対側の丘に建つ平戸城(写真3)を眺めながら,新鮮なカレイや伊勢エビの刺身など,食べ切れないほどのご馳走で満足した。また素敵な眺望の部屋を用意してくれてあり,暗くなると平戸城がザビエル教会とともにライトアップされ(写真4),幻想的な美しさであった。眺望の素晴らしいパノラマ大温泉でよく温まったおかげで,安らかな眠りにつけた。

  
写真3 平戸城 写真4 ザビエル教会のライトアップ

 翌朝は上品な女将の見送りを受けてホテルを後にした。平戸藩は松浦家が藩主の6万石の小藩で,松浦史料博物館を訪れた。ここには甲冑やお姫様用の華麗な駕籠(写真5)や調度品,狩野探幽の狂獅子図屏風,ザビエルの肖像画等が展示されていた。第9代藩主松浦清は明治天皇の曽祖父に当たり,昭和天皇,今上天皇,皇太子など天皇家の方々はよく平戸を訪問され,旗松亭のロビーには宿泊をされた皇族方の写真がずらりと飾られていた。
 市役所近くの境川に架かる幸橋は,長崎のメガネ橋に似ているが幸橋が少し古く,通称オランダ橋と呼ばれ,重要文化財に指定されている(写真6)。

  
写真5 松浦藩主のお姫様の駕籠 写真6 幸橋(通称オランダ橋)

 往路は路線バスで2時間も掛かり閉口したので,復路はタクシーで佐世保に向かい,真っ赤な平戸大橋(写真7)を渡って街を離れ,1時間ほどで佐世保の弓張岳(353m)に建つ弓張の丘ホテル(写真8)に着いた。佐世保は人口25万5千の中都市であるが,日露戦争の時,東郷司令長官率いる連合艦隊が,ここから出撃してバルチック艦隊を殱滅したので有名だ。横須賀,呉と並んで軍都であるが,昭和20年6月に140機のB29の爆撃を受け焦土と化した。現在は海上自衛隊と米海軍の基地となっている。

  
写真7 九州本土と平戸島を結ぶ平戸大橋 写真8 弓張の丘ホテル

 ホテルで少し休憩したあと,ここでのメインである九十九島観光に出掛けた。食べ物では佐世保バーガーが有名で23種類もあるが,美味しいので行列ができるというお店に予約していたのを受け取って,パールシーリゾートに移動した。ここには水族館もあり日曜日なので,観光客や子ども達が多くごった返していた。観光船は純白の「パールクイン」と赤色の「海賊船 海王」の2種あるが前者を選んだ(写真9)。この海域には名前のついた島だけでも二十数島あり,大きな島には人も住んでいて牡蠣の養殖も行われている。小さな岩礁には釣り人が糸を垂れたりしていた。昼食代わりに佐世保バーガーを食べながら約1時間のクルージングで,仙台の松島に劣らない絶景を楽しんだ(写真10,11)。

写真9 観光船パールクイン(白),
海賊船・海王(赤)
写真10 九十九島観光案内板
写真11 九十九島の一つ

 弓張の丘ホテルからの眺めもいいが,すぐ近くに公園化した展望台があり,弓を張ったような三角形の屋根があるので弓張岳展望台という(写真12)。第一展望台からは佐世保市街地と港が(写真13),第二展望台からは九十九島の絶景(写真14)が楽しめる。広場には歌碑が数カ所あり,有名なのは“七つの子”,“赤い靴”の野口雨情の「弓張岳は弦なし矢なし ただ空見てる 梯子をかけてお天道さんに 矢と弦をもらえ」と彫られた歌碑があった。
 翌朝,弓張岳の麓には7階建ての立派な海上自衛隊・佐世保資料館があり,ちょっと覗いてから鹿児島に引き揚げた。ハウステンボスには長崎経由で2回行ったが,今回の旅で佐世保のすぐ隣りだったことに気が付き驚いた次第である。

写真12 弓張岳第一展望台
写真13 佐世保港の海上自衛隊護衛艦
写真14 九十九島遠望



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