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写真1 銀山温泉街
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写真2 花笠踊り
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写真3 さくらんぼ選別
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写真4 こんにゃく料理
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写真5 延沢銀山疎水坑跡
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写真6 銀鉱洞北口
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写真7 銀鉱洞内部
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今年6月,佐藤榮一先生の仙台の友人のお誘いを受け,妻同伴で,佐藤先生夫妻と一緒に山形へ旅行した。
この旅行を準備していただいた方は,佐藤先生とは「エイちゃん…」「コウちゃん…」と呼び合う間柄で,私共も仲間入りさせていただき,これまで海外旅行などもご一緒させていただいていた。先般の東日本大震災では塩竈の店が壊滅的被害を受けられ,住まいを仙台に移されたが,くよくよしていても仕方がないとのお考えで,一昨年は私たちを宮城県への旅に誘っていただき,昨年は沖縄旅行をご一緒し,今年は2泊3日の山形旅行の企画をしていただいた次第である。
山形の温泉でくつろぐ
今回の宿泊地は,山形県南陽市の赤湯温泉と尾花沢市の銀山温泉であった。
赤湯温泉は900年以上の歴史があるというがその中でも江戸後期に開業のルーツを持つという老舗旅館に宿泊し,個性的な露天風呂付き客室でゆったりとくつろぎ,料理長自慢の郷土料理と地酒を堪能した。
銀山温泉は,三層・四層の木造りの旅館が軒を並べる大正ロマンの風情が漂う温泉街(写真1)で,ほのぼのとしたガス灯がともる夕暮れからは浴衣姿の温泉客,夜には正調花笠音頭に合わせた花笠踊りなどを見ることができた(写真2)。
山形の美食を味わう
今回の旅では,旅館での素晴らしい料理のほかに,上山市関根のさくらんぼ狩りでたわわに実った旬の「さくらんぼ」の味を満喫し,楢下では,これまで経験したことのない珍しい「こんにゃく料理」を楽しむことができた。
さくらんぼを丁寧に手作業で選別・箱詰めするのに先立って行う大きさを選別する機械作業は,初めてみるものであった(写真3)。
また,店のパンフレットに「たかが蒟蒻されど蒟蒻」と記載されていたが,こんにゃくを食材にした焼き鳥や串餅風料理(写真4)をはじめ,黒豆風こんにゃく・こぶ巻刺身こんにゃく・こんにゃくそば・こんにゃく寿司・こんにゃくみぞれなど,本物の食材による料理の味に迫るさまざまな職人技の懐石料理には,新たな日本の食文化の創造を垣間見た思いで,感嘆の声を上げざるを得なかった。折からの健康志向の風潮もあって,店は長時間待つ多数の客で溢れ,「芸術的な商品」は,インターネットの利用などで国内各地に配送されているとのことであった。
尾花沢市の銀山遺跡
銀山温泉街の上流には,江戸時代を代表する銀山の一つで,最盛期の寛永年間には人口が二万人余りに達して生野や石見の銀山に匹敵する産銀があったと伝えられている国指定史跡の延沢銀山遺跡があった。
この銀山は,1456年に加賀の人,儀賀市郎左衛門が発見したそうで,銀鉱洞を内包する小高い丘陵地には,彼の立像が建てられていた。
温泉街の程近くには,1,000mを超えて掘進したという疎水坑(排水・運搬・通路を主目的にした坑道)跡があった(写真5)。どこの鉱山でも出水や落盤対策は極めて難問題で,この銀山での労働者の労苦もいかばかりのものかと推察された。
坂道を上ると銀鉱洞北口(写真6)があり,銀鉱洞南口に至る広い間歩(坑道)の一部は,歩道橋や照明などがつけられて観光用に整備されており,坑内見学は無料であった。
この銀鉱洞では,タガネやノミを使用して孔を穿ち鉱石を掘り取り,「灰吹法」で精錬するという一般的な方法ではなく,薪木や木炭を燃やして表面を加熱し,水で急冷して母岩から鉱床を剥ぎ取るように鉱石だけを採掘する「焼き掘り」と呼ばれる方法が採られていたという。坑内の壁面の随所に,薪木などの煙による「すす」の付着が見受けられた(写真7)。そこから,わずかな明かりをともしながら暗闇の中で行った坑内作業で,落盤・出水,一酸化炭素中毒や二酸化炭素中毒・じん肺などの危険性にさらされながら懸命に働いていた労働者の姿が浮かび上がってくるようであった。
終わりに
今回の大変楽しく有意義な旅行を思い出し,折からの猛暑を迎えるにつけ,歴史の表舞台ではほとんど詳らかにされていない延沢銀山や薩摩藩の山ケ野金山などで働いていた労働者の生命・健康危害の実態や,放射能被曝や熱中症などと懸命に闘い,先の見えない福島第一原発事故収束作業に従事している労働者の労苦に想いを馳せている次第である。

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